クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

佃島を築いた人々~築地江戸散歩・7

2015-02-26 | クリン江戸散歩

 つくだじま(佃島)に わたりました

 ここは昔、江戸わん(湾)の うきしまを、埋め立ててできた、

人口の「漁師島」です

 今では、はし(橋)がかかり、2020年の東京オリンピックに向けて 

注目される

東京ウォーターフロントの一部ですが、

 歩いてみると、地価上しょう(昇)とは むえん(無縁)の

なつかしの下町、

という フンイキ・・

 うららかです  (←民家の井戸)

 しんさい(震災)や、せんさい(戦災)を まぬがれた、古い町並みと、

 向こうがわの 「リバーシティ高層住宅」がかなでる、

ナイスな、ハーモニー

 佃島は、「徳川家康」と したしかった、大坂の りょうし(漁師)さんたちが、

いえやすの江戸入りに

ついてきて きずいた町

 彼らは、「将軍献上」のシラスりょう(漁)を 独占し、

なかなか

ゆうぐう(優遇)されながら、

りょうし(漁師)ライフを 

すごす・かたわら、

 江戸の海上治安を たんさ(探査)する、「密偵」もやってた

とかいう説もある 

人々でした

(上の絵:「名所江戸百景」より、「永代橋佃島」)


 そんな、佃のりょうし(漁師)さんたちは、、

 故郷・大坂の「住吉大社」を ぶんし(分祀)した、「住吉神社」をたてて、

なにわのアイデンティティーを

けいしょう(継承)し、

 ハデに祭りを もよおして、今もがっちり・町を支えています


<神社境内の蔵に張られた、警告の紙には・・・>

 「神社境内での釣りを禁じる」とありました (・・・独占けん(権)だな

(つづく)











コメント (2)
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