石川県・ななお(七尾)市に、やってきました
今回の「能登半島旅行」
で、
うちのチット
が
もっとも・行きたかったところが、この「七尾」という
町です

ここ・ななお(七尾)は、戦国時代のえし(絵師)、
「長谷川等伯」の 生まれ故郷・・

はせがわとうはく(長谷川等伯)
とは、「狩野派
全盛の時代
」
において、
一代の 名をあげ
、
国宝・「松林図屏風」を のこした、巨匠です

チットの目的は、とうはく(等伯)が「松林図屏風」
に描いた、とされる、
故郷の松ばやし(林)を 見ること
と、
地元のおかし(菓子)屋さんで、とうはく(等伯)に
ちなんだ
おかし(菓子)を 買うこと
です。
松ばやし(林)については、昨日の夕方、
海岸沿いで、だいぶ・見てきたので、
今日は、もういいかな
ってかんじです。
あとは、町の中心部にある、「老舗和菓子店・花月
」
で、
おかし(菓子)を 買うだけです

(そして、ぶじ、ゲットしました
)
長谷川とうはく(等伯)
は、戦国時代のおわりごろに、ここ・七尾で
生まれ
、
30代になってから、京に のぼった
そうです。
そのころ、都では、大手アート集団「狩野派
」
が
はば(幅)を きかせており、
とうはくも、その技法を 学ぶところから、キャリアをスタート
させました
しかし・・、かのう(狩野)派のせい(勢)力
下では、
とうはくに
出世のチャンスなどなく、
一人前になっても
、弟子をとるようになっても
、
目立つ仕事は
みんな、
かのう(狩野)派に
もっていかれました。。
とうはくは、なかなか・ひ(陽)の目をみる
きかい(機会)に
めぐまれず、
それどころか
チャンスをつかみかける
と、毎回・かのう(狩野)派に
ジャマされてしまいます

(このままでは、何事もなせぬまま、くちはててしまう。。)プルプル・・
なやんだ・とうはくは、一計をあんじ
、
有名武しょう(将)「前田玄以
」に せっきんします

前田げんい(玄以)は、ひでよし(豊臣秀吉)
の部下だから、
気に入られれば、大きな仕事に ありつけるかもしれない・・
)
とうはくは、
前田げんい(玄以)
のために 絵を描き、
有名茶人・千利休
とも、近づきになりました
やがて・・・
ねらい通り、大きな仕事が まいこみます

それは、秀吉がたてる・お寺の、「壁画制作」です
とうはくたちは、一門のめいうん(命運)をかけて
この仕事に
取りくみました

とうはくは、「楓図
」を描き、
息子のきゅうぞう(久蔵)は、「桜図
」を 描きました
本来、かのう(狩野)派が やるはずだった・仕事を、
かのう(狩野)派をも しのぐ
・ごうか(豪華)さで、仕上げた
ことで
、
長谷川一門の名は、一気に 高まります



・・・・・
天下人・秀吉
にも みとめられ、いまや・大手の
仲間入り
ライバル・かのうえいとく(狩野永徳
)は、ちょうどよく・亡くなり
、
自分には、
自分よりも 才のう(能)がありそうな、
息子がいる

・・・・
じゅんぷう・まんぱん(順風満帆)



とうはくは、しあわせでした



しかし
そんな、しあわせも つかの間
とうはく・さいあい(最愛)
の息子、「久蔵
」
が、
26さい(歳)の若さで
病死して
しまったのです

・・・・・・
打ちひしがれる・とうはく。。
長谷川派の、未来をたくそう
と 見込んでいた
息子に
死なれた
とうはくの かなしみは
深く、
こののち、とうはくは、キラキラした「金碧画
」の
せい(製)作
から、
とおざかるように なりました・・。
そのかわりに、ねっしん(熱心)に 描きはじめたのが、
すいぼくが(水墨画)です・・。

とうはくが、
「松林図屏風」をいつ、描いたのか?
その具体的な年代までは、わかっていません。
けど、たぶん・息子が亡くなった後だろう。
と
言われています。
それは、この絵の 松林のようすが、あまりにさびしく、
とうはくの 暗い心と かさなって見える
からです。。
ここに 描かれている、松林
の一本一本は、
細く、
まさに、きびしい・海風にさらされた
、
のと(能登)半島の 松ばやし、そのもの・・


とうはく・50代の、「心象風景」が、
この、故郷の松林にたくした・「水墨画」にある
って
かんがえられて
いるのです。
今回、クリンたちが 買いに行った、七尾のおかし(菓子)屋さん、
「花月」では、
しょうりんずびょうぶ(松林図屏風)の世界を
さいげん(再現)した、
その名も「松林」っていう・和がし(菓子)が
つくられています


朝もやに とけ込む、松ばやしの たたずまいを、
小豆とかんてん(寒天)で ひょうげん(表現)した、
アートな 和がし(菓子)


ひんやりとした
海岸の空気まで とじこめたか
のような、
シャリシャリ

・うつくしい、
おかし(菓子)です
さらに、もうひとつ
同じお店から出されている・洋がし(菓子)、
「とうはくんサブレ」
は、
とうはくが、一生をかけた
、えふで(絵筆)を かたどった、
ぼっこん・りんり(墨痕淋漓)
な、やきがし(焼き菓子)

で、
食べると、
サクサク・ハラハラ・・くだけちり、、
長谷川一門の
はかなさを、
えん(演)出しているか
のよう。。
(なんという、ふかさでしょう・・
)
とつぜんのごうう(豪雨)
で、「能登半島一周計画
」
は
とんざ(頓挫)して
しまったけれど、、
このおかし(菓子)を 買えただけでも、ここまで来て
よかった
って、
クリンたち、まんぞく(満足)でした
とはいえ・・
そんな・とうはく(等伯)の物語
を、知らずして、
ただ、
サブレのパッケージだけ
見てしまうと、
ゆるキャラ・「とうはくん」のせいで、若干・かるく見られがちな
サブレだったりします
。(かわいいですが・・)
おみやげに、
おかし(菓子)をあげた
友だちのジェマちゃん
からも・・
「もしもし~クリンちゃん
金沢のお菓子、いろいろ・ありがと~
おいしかったけどさあ~、ぶっちゃけ・『とうはくんサブレ』には、
かなり、ウケた
アハハ・・・
」
って、言われました
(※長谷川等伯の説明をしてから
わたすのがベターです
)
(その36、「石川県に対する勘違い」に、つづく)