今年のレビュー、今年のうちに

ってことで・・
今年さいごに、内田たつる(樹)さんの本を ご紹介します。
『街場の芸術論』です。

内田さんは、、何て言うのかな?
「肩書き」としては一応、
フランス文学者で、哲学の先生です。
(メディアに引っ張りだこな・売れっ子ですが、
いわゆる「傍系の学者」さん(?)なのかもしれません。
新聞コラムなどでよく名前をお見かけしていて、
クリンたちも、社会学者だと思い込んでました💦)
うちのチット
は、この方の「街場(まちば)シリーズ」が好きで
、
街場の天皇論
街場の戦争論
街場の文体論・平成論・アメリカ論・教育論・憂国論・親子論・日韓論
など、
読破しています

「何が良いか
」というと、
文章がわかりやすく
じしょう(事象)を的確に分析し、
ズバリ言い表してくれる、
快さ
。
近年、現代文のテスト問題にも
使われているらしいのですが
、
みんながうすうすかんじていて、さりとて言葉にはしないし・できない想いを、
むずかしい言葉を使わずに さらっと述べて、
ふに落ちさせてくれる
。
そんなかんじ。




(※タイトルに「街場」ってつけてるだけあって、、敷居が高くないんですよね
)
今年・2021年出版された、こちらの「街場の芸術論」は、
そんな・気さくな内田さん

が、
自分の好きな芸術家について、サクッと深く語った本でした。
テーマは、
三島由紀夫、
小津安二郎、
宮崎駿、
村上春樹
その他音楽家たちで、
名前だけ見ると、(・・何を書いてあるか分かりそうなラインナップだな。)
と、
失礼ながら・期待うすに かんじるのですが、、
読んだらやはり、面白い




目の前で、パンパン
って、手を打たれたような気が
ずい(随)所でするそうですから、
つまり、内田たつるは、、
読者(チット)の「啓蒙」に、成功している
と 言えるのでしょう。

内田さんの「各人論」を、ようやく(要約)すると・・
三島由紀夫は、
「自分は余人によって代替し得ない使命が負託されている」と感じた政治の季節の単独者であり実践者であった。
とし、
小津安二郎は、
登場人物たちに直截にメッセージを発信させることなく、心のコンテンツを発露させえた、旧き日本の贈り主であった。
とし、
宮崎駿は、
小津安二郎やジョン・ウォーターズやデヴィッド・リンチと同じく、観た後にとりあえず何か言っておかないと自分が何を観たのかわからないまま宙吊りにされて気持ちが落ち着かなくなる映画の作り手であった。
とし、
村上春樹については、「一読者として、もっぱら村上作品からいかに多くの快楽を引き出すかが僕の関心事だから、」
っておっしゃって、そんなに分析していません。
すいません
🙏もっと良い表現で、うまいことを書いているのですが、
なにせ、、
クリンたちの「要約能力」では
上記が 限界なんです・・
なので
、以下に、内田本の一節を引いて、
さんこう(参考)にしてもらえればいいかな
って 考えます

~『問うことの暴力』より~
小津映画では、観客が知り得ない重要な事実を俳優が台詞で「順序立てて説明する」ということはほとんど起こらない。
それは「説明」という行為に含まれる本質的な暴力性を小津が嫌って(というより怖れて)いたからではないかと私は思う。
・・人にはそれぞれ他人には言えない事情がある。触れられただけで皮膚が破れ血がにじむほどの深い傷を抱えている。
あえてそれを問うのは「真実の探求」に似ていて、非なるものである。・・
「問わない」という気づかいが時には必要なのはほんとうである。「問わない」人にしか自分を託せないほどに疲れ切ることが時にはあるからだ。
小津安二郎はそのような人間の疲れ方をほんとうによく知っていたのだと思う。
・・・こういう、やさしさがステキな、学者さんです
【おすすめ度:


】