「新☆歴史模擬授業」です。今回は,宗教改革♪
詳細は,この前の記事(新☆歴史模擬授業 注意点)をご覧ください。
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「さて,前回は十字軍を行ったわね。」
「うん!キリスト教徒がイスラーム教徒から聖地を奪い返す!と言って行った遠征だったよね。」
「そうそう!また十字軍自体は失敗だったけど,十字軍により,
西ヨーロッパ世界はかわった,というお話だったわね。」
「はい。えーと,たしか・・西ヨーロッパの人々の世界の視野が広がったんだよね。
遠くまで遠征して,
他の国の文化などに触れて・・。」
「そうそう!よく理解しているね!」
「えへへ。」
「十字軍によって,まず経済活動がさかんになった。
それまでは自分の住んでいる地域で農業して自給自足~という生活をしている人々が多くなったんだけど,
十字軍後では,他の国々と貿易したりして,遠くにいる色々な人々と交流するようになったんだよね。
また,イスラーム勢力や東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に残っていた,
古代ローマ帝国の学問・文化が
十字軍などを通して,西ヨーロッパにも復活したりね。」
「そうだったね!」
「また,権力(権威)が誰にあるか,も代わった!
それまではキリスト教の教会とその頂点にたつローマ教皇が西ヨーロッパの権威の中心だった。
しかし,十字軍の失敗で,教会と教皇の権威はおとろえてね・・。
そこから,今日の本題に入ります!」
「おお!ついに。」
「教皇の権威は下がっていく。そうすると,教会の財政も苦しくなる。」
「権威がなくなれば,みんなお金を出さなくなるのかな?(独り言の予想)」
「教会はお金がない!でも,教会を維持していくにはお金がいる!じゃあ,どうするか・・,というと,
それが新しい時代をつくっていくきっかけになってしまう。」
「ほえ?」
「教会は,公然と免罪符(めんざいふ)というお札を出して,それで資金集めをするようになったのよ。」
「免罪符?」
「免罪符というのは,罪の処罰を免除するために発行した証書のことなの。
免罪符を買うことで罪から逃れられる,
キリスト教の考えで,「人間は生まれながらにして罪を背負って生きている」というものがあるの。
その罪の償いとして,祈祷(きとう)をしたり聖地巡礼をしたり,
教会へ寄進(きしん:お金や物品を教会などに寄付すること)したりするようになってね。
(また,十字軍のころは,軍に参加するか代わりに教皇が指定した聖堂へ参詣&寄進したら罪は償える,という
形になったんだけど,それが免罪符の始まり。その後,ルネサンス時代に聖堂建築がさかんになり,
免罪符発行が公然と行われるようになった。)
でも,祈祷(きとう)とかは大変だし,聖地巡礼などは遠いし,危険が伴うから大変でしょ。
それで免罪符というお札を買う,というお手頃な方法で罪を逃れられたら楽だってことで・・。」
「ええええ。なんかおかしい気がする。」
「だって,それって,つまりお金がある人は免罪符を買って罪から逃れれるけど,
お金がない人は免罪符を買えないから,罪を背負って生きていかなければいけないってことだよね!」
「お金持ちかそうでないかで,罪から逃れられるかそうじゃないか!なんてひどすぎる!
誰にでも平等っていうキリスト教の精神からかけはなれているよ!」
「みんなのお怒りはごもっとも!みんなと同じように,教会のこのようなやり方を反発する人々が多くなった!」
「当時の人々も同じ気持ちだったんだ。」
「医療や産業は変わっていっても,人間の気持ちというのはいつでもどこでも変わらないからね♪」
ときは16世紀,教会のやり方に批判した人物で,重要な人物が2人います。
1人はドイツのルター。もう一人はスイスのカルバン(カルヴァン),という人。
ルターは,
「キリスト教というのは,その教えを信じることが大切で,
免罪符とかの物理的なものを購入したり,教会そのものに行くという行為が一番大切なわけではない!
信仰によってのみすくわれるんだよ!」と説くの。」
「信じることだけだったら,お金の有る無しは関係ないものね!」
「そうそう。では,どう信仰するか,ということだけど,やはり,信仰のベースとなるものと言ったら,
イエス=キリストの言行が記されている「聖書」。
そこで,ルターは聖書を大切にします。
それまでは聖書はラテン語という聖職者や一部のインテリしか読めない文字でのみ書かれていたんだけど,
ルターは聖書を現地の言葉であるドイツごに翻訳したんです。」
「ほえー。」
「つまり,お金のない人や,ラテン語が読めない庶民にも聖書の内容が分かるようになったってことだよね!」
「だったら,文字が読める教会の人々に,必要以上にこびへつらわなくても,
自分が聖書を読めば信仰できるってことだね!」
「そういうこと!
聖書に限らず,書物というのは,そういうことができるから,すっごく良いものだよね。
どこかの学校,どこかの団体に所属できなくても,
本を読む能力さえあれば,力がつくってことだから,
今でも本というのはすごく大切だと思う。文字が読めないとダメだから,文字だけはしっかり勉強してね。
よい授業を展開することも大切だけど,良い書物(参考書)を作りだし,世に出すことで,
なにやらの事情で塾に通えない子にも勉強の機会を与えられたら,と私は思ったりも。」
「たしかに!」
「あ,話がずれてごめんね。もとに戻すわ。」
「はい。」
「ルターは信仰によってもに救われると主張し,聖書を大切にした。
この考えは,領主や農民の支持を得た。
では,カルバンは?というと,商工業者(商人・職人)に大きな影響を与えたんです。」
「支持する(影響を受けた)人々が違うんだ。」
「商工業者ってお金を稼ぐでしょ。お金を稼ぐというのは,きれいごとではすまされない。
人間の欲とかも必要になってくる。
でも,当時のキリスト教の考え方で,
お金を稼ぐというのは,あまり良いことではないと考えられていたの。
だから,商工業者からしたら,生きるために仕事をしているのに,
それによって自分たちの罪は救われないんだ,という苦しみがあったんだ。」
「そうだったんだ・・。」
「そんなとき,カルバンは言うの。
「魂が救われる(罪から逃れられる)かは,最初から神が決めてるの。
だからあなたたちが働くことで,魂がけがれたり,罪から逃れらないってことはない!
あなたがこの職業をしているってことは,それが神のお導きなんだよ。
自分の職業にはげむことは神の教えにかなうことだから安心しておくれ。」とね。」
「おお!自分たちがしていることは間違いないんだよ!と言われたら,
そりゃうれしいよ!。」
「でしょ!ということで,ルターやカルバンの考えを支持する人々が多くなり,
それまで支持を集めていた教会中心の考え方と分離することに。
このように,新しい考え方ができ,それによって世の中の動きがかわったことを
宗教改革と言います。」
「ここで言う宗教とはキリスト教のことを指すのね。」
「宗教改革により,西ヨーロッパのキリスト教もついに2つに分かれるの。
ローマ教皇を中心とする従来の教会中心の組織をカトリック,と言い,
ルターやカルバンなどの新しい考え方の改革派の
キリスト教徒のことをプロテスタントと言います。
プロテスタントは,protest(抗議する)をする人,という意味だから,英語と一緒にして覚えると一石二鳥ね。」
「抗議する人ってことは,プロテスタントとは,教会(カトリック)から見た言い方なんだね。」
「カトリック,プロテスタントって聞いたことがある!」
「愛知県の私立中学も,カトリックの中学もプロテスタントの中学もあるもんね。」
「よく知ってるね。
ちなみに,カトリック・プロテスタントのどちらが良いか悪いか,という問題ではないからね。
この当時のカトリックのやり方はやりすぎだとは思うけど,現在は修正されて,
まじめな信仰をしているから。
また,プロテスタントも,キリストの教えを第一にしていますが,教会も大切にしているので。
どちらがいいか,は人それぞれ。」
「はい!」
「さて,話を戻します。
カトリックの教会は,プロテスタント勢力が強くなり,あせります。
そりゃ,今までは自分の傘下に入っていた人々がこぞっといなくなってしまうんだもの。
そこで,彼らは
まだキリスト教が浸透していない地域にキリスト教を布教して信者を増やそうじゃないか!と
思いつくわけです。
時は大航海時代という船で遠くの地域まで行くのが流行った時代。
ですので,キリスト教布教と,新しい土地に行く!という2つの考えがドッキングするのです。
では,時代はその大航海時代を行いましょう。」
「はい!」
「ではでは終わります!起立・礼!」
「ありがとうございました!」
おわり。
※こちらで説明したルター&カルバンの言葉は分かりやすくするために要約したものなので,
この言葉をそのまま彼らが言った,というわけではありません。
※ わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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