社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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歴史模擬授業(第10回 飛鳥時代 前半)②

2010年01月05日 15時40分04秒 | 歴史☆模擬授業

今回は歴史模擬授業10回目です。飛鳥時代前半です。(詳細は、もう1つ前の記事をご覧ください)

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キンコーンカンコーン

「こんにちわ。今日から飛鳥時代を始めるわ。今までは1つ時代で1つの授業って感じでやってきたけれど、飛鳥時代からは習う歴史細かくなるので、3つに分けて説明するね。今日は、飛鳥時代前半、次は飛鳥時代後半、最後にまとめ&文化で。」

「はーい。ここから詳しくなるんだ。そっか、もう漢字が日本に伝わったから、どのような事件が記してあるかが、わかるのね。」

「うん。そういうこと。(ただ、後の時代に作成された内容がほとんどなので、当時の権力者の意図で意識的に消されたり書きかえられたりしている部分がある可能性はあるけれど・・)」

「じゃあ、この飛鳥時代は、古墳時代の続きだから、古墳時代と内容はつながってくるの。」

「古墳時代って、大王を頂点とした、大和朝廷が成立して、ある程度の身分がはっきりしてきた時代だったよね!」

「朝鮮半島から渡来人が日本に来て、中国などの文化を伝えたよね。仏教とか漢字とか儒教とか!」

「よく理解して覚えているね!そうなんだよね。大王と豪族が支配する国家体制ができたころに、中国からの最新の文化を知った当時の日本。

大王をトップにすえたのは、それまでずっと争っていた戦いをやめて、ひとまず1つのまとまりを作ろう!ということになったんだったね。

しかし、ある程度まとまりが出てきたら、またその中で権力者争いが起こり始めるのよ。」

「人間は、欲深い生き物なんだね。」

「その権力者争いが6世紀なんだけど、豪族たちの中で争って、ついに、権力を握る豪族が誕生するの。それが、蘇我氏(そがし)という豪族。蘇我氏は渡来人と強い結びつきを持って、力を伸ばしていったの。さらに、仏教を積極的に取り入れようとして、それに反対する物部氏(もののべし)をついにほろぼして、権力を握ったんだ。」

「仏教って外国(百済)から伝わった、外国(インド)の宗教だよね。日本に昔からあった神様を信仰している人々には、外国かぶれめ!不謹慎な!と思だろうね。」

「え?日本の宗教なんてあったっけ?」

「私、知ってるよ。神道(しんとう)という、祖先を神にまつったり、自然の神を信仰するものだよね。その神様を祀るのが、今の神社だよね。(※正確には、神道は、民間信仰で仏教・儒教の影響を受けて理論化されたもので、この当時に、明確な神道の考え方&神社があったとは言い切れません。)

「あ、そっか。太陽という自然の神アマテラスとか、日本独特の神々だものね。仏教の神々を祀るのがお寺だものね。」

「神社と寺の違いもわかってよかったね♪では話を元に戻すね。」

「蘇我氏は、大王の一族と婚姻関係を結んだりして、血縁的にも大王と近くなっているうえに、物部氏のように逆らったら滅ぼされたりするほど力があるということだから、どんどん、朝廷の政治に入り込んできて、朝廷を脅かす存在になってきたんだよね。」

「ということは・・大王も蘇我氏の血を引いている人が多いってことだよね?さらにその蘇我氏が強いっていうことは、言うこときかないと怖いよね?大王はいるだけで蘇我氏が実質的なトップな感じだよね~。」

「よく、気がついたね、そういうこと。」

「大王はそれでよかったの?」

「いや?そうでもないよ。それに、蘇我氏の中でも、自分のワガママをするために権力をほしかったわけでなくて、日本を中国のような律令国家にしようという考えがある人もいたみたい。」

「律令国家?」

「詳しいことは、今度の飛鳥時代後半で説明するけれど、カンタンに言えば、1つの明確なきまりと処罰、役職を決めて、だれがトップに立とうが、そのきまりにのっとっていけば安定した政治を築ける国家ということよ。」

「つまり、法律を中心した国ってことね。」

「じゃあ、長の能力や気分によって、国の動きがコロっと変わらないってことなんだ!」

「うん!国が安定していれば、国の力がつくでしょ!そうしたら、中国から属国として低く見られないし、攻められる可能性も低くなるわけよ。」

「へえ、そういうことをしっかり考えてたんだ。もしかして、蘇我氏は、日本をそのような律令国家にしたいために、やむ負えなく、反対勢力を倒さざるおえなかったのかもしれないね・・」

「実際には、どうかわからないんだけど、そういうこともありえるよね。下に威張っている奴らって、実際に国のことは考えていないし、視野が狭い。そういう人は頂点には立てない。頂点に立った蘇我氏のトップにぶら下がって、威張り散らす蘇我一族はいたのでしょうね。ま・・これも想像でしかないので、このことは忘れてね♪

実際に、聖徳太子も推古天皇も蘇我の血は入っているし、聖徳太子と一緒に律令制の政治を目指したのも、蘇我馬子という蘇我氏だしね。」

「では、ここからが重要。一部の一族たち(蘇我氏とそのほかの有力豪族)によって政治が動かされ、生まれ(身分)によって役職が決まることをやめようと考えた人々がいたの。その人々の中心が、聖徳太子という人物よ。」

「かわった名前」

「聖徳太子っていうのは、後になづけられた名前なんだ。」

「聖徳大王?」

「いや、大王じゃないんだ。彼は摂政(せっしょう)という役について政治をしたんだ。」

「摂政ってなに?」

 「摂政というのは、天皇が女性か子供のときに、その天皇にかわって政治をする役目のことなんだ。当時の天皇が、推古天皇(すいこてんのう)という女性の天皇だったから。」

「あれ?天皇?大王じゃなくて?いつのまにかわったの?」

「ああ、ごめんね。言い忘れてた。実は、この時点では天皇という名称は使われていないんだけど、のちの文書でこの女性を「推古天皇」と表しているので、便宜的に、そのまま推古天皇という形で教えているんだ。(天皇という名称は壬申の乱前後から使われた)」

「昔のままの呼び名で習っているわけじゃないんだね♪たしかに、歴史のまんがを読んでいると、違う呼び名で呼び合っているのを良く見るものね。」

 

 

「聖徳太子は、「天皇中心の政治 + 仏教を大切に」 しようと考えたの。天皇というトップだけは決めておいた方が、国は混乱しない。だれの命令が1番優先されるかわかっていた方が、動きやすいからね。そして、その天皇を中心に、役人は政治的に有益な人物、つまり、能力や功績を出した人物で決めよう!ということにしたの。それが、冠位十二階というものよ。」

「なんか聞いたことがある。」

「冠位十二階は603年に制定されて、氏(うじ)や姓(かばね)にとらわれずに、能力や実績のある人たちを役人にする、としたの。役人の階級を、冠の色で6色(と文字←徳&仁義礼智信 注意:文字の順番は階級の順番ではありません)、さらにそれぞれの冠の色で大小2つの階級にわけて、計12の階級に分けたのよ。」

「ああ、だから、冠で12つの役人の位&階級に、ということで冠位十二階というのね。」

「意味で覚えるとわかりやすいね!」

「そうそう!これから、いろいろな言葉が出てくるから、意味を覚えながら用語を覚えれば、一気に理解&暗記ができて一石二鳥よ!」

「うん!がんばる!」

「そして、その役人の心構え、つまりきまりを決めるの。そのきまりが十七条憲法よ。十七条の憲法とか、憲法十七条とも言うけど、ここでは一番ポピュラーな十七条憲法という名称を使うね。」

「十七条ということは、17つのきまりがあったってことかな?」

「うん、そういうこと!この憲法には3つの柱がある!と考えるとわかりやすいわよ。その3つの柱とは「和を第一に + 仏教を大切に + 天皇を中心に」というもの。つまり、争ったりむやみに殺したりするのではなく、人の和を大切にし、話し合って物事を決めなさい、そして天皇中心に動きなさい。また、律令国家の中国が活用している仏教というものをあつく敬って、勉強をし、論理的な行動をしなさい、と。(この訳は私の考えに基づくものです)」

「え?なんで、仏教が論理的???」

「科学が進んだ現代では、仏教は神様の話などもあって、そう見えないかもしれないね。でも、当時は、さまざまな物事&現象を、1つの道筋で説明したのが仏教だったのよ。」

「つまり、科学でも、その科学そのものがどうかでなく、それを一生懸命勉強することで論理的思考がまとまるように、仏教も同じだったわけね。勉強するものが違ってだけで、勉強して得られる能力は一緒だったんだ。」

「ほかにも、当時は土着信仰(自分の地域の神々を信じている)や祖先信仰(自分の先祖を神として、その神をあがめる信仰)が強かったから、みんな信じる神がバラバラだったかもしれないの。その人々を1つにまとめるのに、外国の新しい宗教である「仏教」でまとめようという考えや、精神的な仏の救いをとく「仏教」で心のよりどころがほしかったのかも、ということもあるわ。」

「みんな、自分の信じている神が正しいんだ!といったらまとまらないもんね。」

「うん、でも、仏教は良いもの!だから信じろ!と頭ごなしに言っても、みんななかなか受け入れられないよね。そこで、みんなに一目でわかるものをつくると良いわけよ!そう建物をね。仏教の建物、寺を。

当時の最先端の技術で寺を建てたら、「こんなに高い建物を建てられる仏教ってすごい!」「仏教を信じよう!」と思う人々も出てくるわよね。また、外国から来た人々も「日本もすごいな!」と思わせられるし。

そこで、聖徳太子が建てた寺で有名なのが、大阪の四天王寺と、奈良の法隆寺。」

「法隆寺は知ってる!今度、修学旅行で行くよ!」

「では楽しみだね。ちなみにこの法隆寺は世界遺産に定められています。なぜかというと、その特徴の1つに、世界一のものがあるから。」

「????」

「実は、法隆寺は、現在残っている木造の建築物の中で世界で一番古い建物なんだって。」

「へー。そんなに昔から建っているんだ。地震大国日本で崩壊しないっていうことは、本当に建築技術がすごかったんだね!。」

「世界遺産は入試にも出やすいので、法隆寺は要チェックね!」

「あとは、中国の文化をもっと知って、律令国家にしていこう!という考えもあって、当時の中国(隋:ずい)に、留学生などの使節を派遣し、最新の中国の政治&文化を学ぶようにしたの。その使節を、遣隋使というの。有名な遣隋使に、小野妹子(おののいもこ)という人物がいるわ。」

「いもこって女?」

「ううん。男の人だよ。よく、間違えられやすいんだよね、妹子さん。その遣隋使で派遣されるときに、聖徳太子は、昔の日本のように中国に下手(したて)に出る外交でなく、中国(隋)と対等な関係で外交を求めようとしたそうよ。そのときに、隋にあてた手紙の内容の1部を読むわね。それが、「日が出るところの天子が、ひがしずむところの天子に手紙をさしあげます。」というもの。これで、中国は大激怒したそうなんだけど、それだけ日本は意気込みがあったということだったのよね。」

「????なんでそれが怒られるの?」

「当時は、中国がトップで、それ以外の国は属国だから、太陽も中国から出て中国に沈む!というイメージがあたりまえなの。しかし、「日のでるところの天子」つまり、「日の出る天子=皇帝(天皇)、つまり日本」が「日の沈む天子=皇帝つまり隋の皇帝」と記述したの。太陽の出るのは日本・沈む場所は中国で対等だ!ということね」

「へえ、なんか回りくどい言い方だけど、頭よっさそう。」

「このように、いろいろと律令国家日本!にしていこうとしていたけれど、問題はまだまだ山積みだったのよね。平等に見えた冠位十二階も実際は、有力豪族の蘇我氏などは、冠位を授ける上の立場にいて、冠位十二階を与えられたのは中級以下の役人だったとか、天皇中心にしようとしていっても、蘇我氏が入りこみすぎていたり・・と。だから、今度習う大化の改新がおこることになるんだけど。ということでここでおしまい。ここで大切なのは、聖徳太子が制定したり行ったことです。重要語はまとめノートを見てみてね!」

 「では、起立!礼!」

「ありがとうございました!」

 キンコーンカンコーン

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ーーーー

終わり。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。とくに蘇我氏の扱い方には様々な説がありますので、ご了承をお願いいたします。



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