武士の山野草と花達

ハッスル老人、残された日々を記録として残したい

能登の旅 続編 ⑭

2016-11-30 12:58:52 | Weblog

 

  岩村城跡散策後家路に向かいアッチコッチ

  観ながらのドライブ

  新緑田園風景の中に突然鯉のぼりが目に留まった

   

  色とりどりの鯉が風に任せ泳いでいた

  暫らくこの風情に溶け込む

  気持ちが若返り元気を貰った感じだ

  年老いてもこの景色を観ていると何故か頬がほころびる

   

  先に進んだ峠道「農村風景日本一」の案内板

   

  展望台からの眺め

  先ほど観て来た鯉のぼりも見える

   

  田舎では何処でも見られる風景だが

   

  どの辺りの景色が日本一良く解らない

   

  更に先に進んだら小高い山頂にお城みたいな建物が

  見えたので立ち寄った

   

  岩村藩校新知新館ダッテ

  岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し

  下田歌子勉学所、花菖蒲園、歴史資料館、太鼓櫓、遊歩道を整備し

  自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園

   

     以下ネット引用

  佐藤 一斎は美濃岩村藩士 門下生は3000人とも言われ

  一斎から育った弟子として、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山、横井小楠などがおり

  孫弟子には勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎などがいる

  彼らを通して、一斎の教えが幕末維新により新しい日本を作っていった

  指導者たちに大きな影響を与えたと言われています。

   
  

  太鼓櫓は江戸時代初期 時の藩主松平家乗が 平和な時代になり

  城主が城の山頂に住む必要がなくなったとして 城の麓に藩主邸を造営しました

  以後その場所は政治の中心として機能をはたす一方『太鼓櫓』が

  設けられ城下に時を知らせました

  時を知らせる為の櫓は藩主と領民の心の絆となり

  非常時にはそれを乱打して領民にそれを知らせたともいわれています

  現在の太鼓櫓はふるさと創生の1億円によって平成元年から

  平成2年にかけて復元され、今では岩村のシンボルとなっています。 

   

  この櫓の中に時を告げる太鼓があったそうな

   

  数多くの櫓が有ったそうな

   

  創生の1億円を使い造るとは

   

  「よくやった」と誉めるばかりだ

   

  由緒有る建物を

   

  後世に語り残す事は立派な事だ

   

  城好きなオイラ達には

   

  涙が出る想い そして爆撮りが出来るのだ

   

  太鼓櫓の前には岩村山荘が有る

  歴史とロマン溢れる純和風の宿

  山菜・鮎・松茸・猪などを囲炉裏で味わう季節料理はオススメ

  お城の外観と合掌造りのロビー名物「戦国料理」とラジウム温泉

  全てのお客様が城主をもっとうに

  日本三大山城の一つ岩村城跡のふもとにある岩村唯一の旅館です

   

  次回は長い旅の最終回に続きます 

   

 


能登の旅 続編 ⑬

2016-11-23 15:58:03 | Weblog

 

  アッチコッチ立ち寄り国道8号線を北上した

   

  「道の駅・親不知ピアーパーク」に到着

   

  おさかなセンターは 親不知漁港で採れた

  新鮮な魚介類のレストラン等々が整っている

   

  道の駅前には雄大な日本海が居座っている

  海水浴や海岸でのヒスイ拾いを楽しめます

  拾ったヒスイを買ってくれる店もある

  親不知ピアパークのシンボルである青銅製海亀像「ミリオン」や

  翡翠ふるさと館にある102トンのヒスイ原石は唯一無二の大きさを誇っている

   

  親不知ピアパークは、全国初の海上インターチェンジとなる

  北陸自動車道親不知インターチェンジの北に位置し

  親不知高架橋の高架橋下のスペース・橋脚を利用して

  昭和63年の北陸自動車道の全線開通を記念して整備されました

   

   

  デカイ亀の親子が出迎えてくれます

   

  観光客はオイラだけかな 素晴らしい景色を独り占めにした

   

  道の駅駐車場も高速道の下にある

   

  目の前には双子岩?が……

   

   

 道中付き合ってくれた白山、雪が少なくなった感じがする   

   

  上越市経由(国道18号線)で行こうと考えていたが

  糸魚川市から国道148号線(千国街道)に乗っかってしまった

  道中このような景色が続く

   

  暫らく進むと「道の駅・小谷」が現われた

  時間が有るので先に進もうと考えていたが

  温泉あり、レストランを覗いたら美味しそうな

  海鮮料理 (@^^)/~~~ 即車中泊の場所と決めつけた

   

  早い時間であったが温泉に浸かり旅の疲れを癒した

  湯船からの景色は半端ではない……

 

  温泉に長時間浸かりついたのか頭がフラフラして来た

  出る時従業員がレストランに行かれますかと言っていた

  今から行きますと言ったら400円の割引券をくれた

  

  新鮮な魚料理、  で堪能する

  少し明るいうちに寝袋に潜り込んだ

   

  早く寝てしまった為か真夜中に目覚めてしまった

  今から寝ても何ともならない

  パジャマのままで運転をし白馬、大町を過ぎて

  「道の駅・アルプス安曇野ほりがねの里」に到着

  目覚めたのが朝の9:00頃……

   

  途中のコンビニで朝食を買い込み

   

  塩尻市経由で

   

  19号線を南下し

   

  木曽福島を

   

  通り抜けて

   

  岐阜県恵那市岩村町にある「岩村城」散策に向かった

   

  狭い山道を難儀し到着

  城跡の石垣がが有るのみでガッカリこいた

   

  旅の話しはもう少し続きます

   


能登の旅 続編 ⑫

2016-11-18 12:58:13 | Weblog

 

 富山城散策後今日の宿泊予定の

 「金太郎温泉」に足を向けた

 道中では「白山」が出迎えていてくれた

 車から降りて雄大な白山を眺めていると

 何故か元気を貰った感じがする

  

 金太郎温泉に到着後駐車場を見まわしたら

 嫌な予感がした 駐車場所探しでウロウロ廻って居たら

 ホテルの従業員が出て来た

 従業員曰く「いらっしゃいませ、今日はお泊りですか、

 予約は有りますか……」

 オイラは予約はして無いが今日は部屋が有りますかと聞いた

 すみません、本日は満室で空き部屋は無いの事……\(゜※ロ\)W(/ロ゜※)/

  

  頑張ってアレコレ頼み込んだが諦めるより方策無

  

 白山に再度元気を貰い滑川市の

 「道の駅・ウェーブパークなめりかわ」に向かった

  

 富山湾に面した道の駅 この海岸にも

 「日本一のサンセット」と書かれていた

 今回の旅で日本一のサンセット看板を数え切れないほど見て来た

  

 所変われば全てが日本一になってしまう

 能登半島に沈み込むサンセットは確かに素晴らしく

 ビールの味も格別だった

  

 朝早くの目覚めで道の駅横にあった滑川漁港を散策

 漁港の卸売市場があり漁を獲た漁船の出入りが多かった

  

 その後日本海沿いを進んだ

 この場所はよく覚えていないが「滑川海浜公園」かな……

  

 新緑に映える残雪の白山

  

 糸魚川市の道の駅

  

 雄大な日本海と親不知海岸

  

  

 日本海の上を走る国道8線

  

 この位置から観る「佐渡」と「能登」方向が反対に

 想えてならない

  

 青海八景からの眺め

  

  

 絶壁で足の下が日本海

  

 新芽が出そろい全体に柔らかい感じ化する

  

 春大文字草が

  

 咲き誇り競演してゴザル

  

  

 見事な景色に時間を取られてしまった

  

 北陸自動車と

  

 旧国道が

  

 隣り合わせで観られる

  

 こうした景色を観ていると

  

 時代の流れを強く感じる

  

  次回に続きます


能登の旅 後編 ⑪

2016-11-07 14:42:09 | Weblog

 

  海王丸散策後富山城に到着

  随分昔に来たままで周辺の変貌に驚きを感じる

   

  富山城は「浮城(うきしろ)」

  「安住城(あずみじょう)」ともいわれたそうな

   

          『富山城歴史ガイド参照』

  富山城は、天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職と名を改めた

  その後神保氏が3代に渡って居城した。

  天正4年上杉謙信は富山城の神保氏を追い

  家臣の小笠原長隆・上杉信定を置いた。
 
  天正7年、織田信長は佐々成政を富山54万石封じた

  成政は、城を改修し城下町の整備を行ったその後成政は 

  信長の死後の後継者争いで反秀吉の立場をとるが柴田勝家滅亡後

  秀吉の軍門に降った 天正15年の豊臣秀吉の九州征伐後 

  成政は肥後熊本城へ転封になった。 

   

  慶長5年の関ヶ原の戦功により金沢城主前田利長は

  加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た 

  慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが

  慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失したため 

  高岡城を築いて移った。

  寛永16年、3代前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させた

  利次は、廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立した

  以後富山前田氏13代の居城として明治に至った。 

   

  この二階には「郷土博物館」が有り富山城の歴史が

  展示されているそうな

   

  富山城の撮影には難儀コイタ……

   

  撮影ポイント(絶景)では

   

  背景にデカイビルが映り込む

   

  ビルが映り込まない場所を探すのに

   

  疲れた体にムチ打って周辺を歩き回るのデアル

   

  もうイイデショウと思って居ても

   

  急ぎ足で

   

  城内を巡るのデアル

   

  オイラはお城が大好きで

   

  家に帰ってから

   

  画像の整理が大変である

   

  爆撮りの為か

   

  似たような画像が次から次へと出て来て疲れ果ててしまうのである

   

   

  富山市佐藤記念美術館 

   

  美術館前には

   

  立派な庭園が観られる

    

   

  佐藤記念美術館  

                     

   

              ネット画像引用  

   

  まだ旅は続きます……