詩誌「紙子」15号は、いま校正段階。
4月の初め頃には、できあがってきます。
ぼくは、作品『外地』を書いた。
連作「双児の艸」シリーズ。
ぼくが書いている一照の地にある双児の艸。
それをぼくは写真に撮ったのだが
それは、私の「生の外地」のことなのかなあ
といった詩。
それから編集工房ノアのPR誌「海鳴り」に
連載中の『伊東静雄論』の8回目分を書き上げて
原稿を送付。
今回は、伊東の「朝顔」の詩3篇を引用しながら
伊東における
「擬我」「喩的身体」など
造語をからめて
彼の詩の両地平としての、彼岸と此岸についてなど
頭、ぎゅんぎゅん抱え悩みつつ書く。
この間、
杉本秀太郎や長野隆の著作とともに
なぜか
上田閑照「実存と虚存」ちくま学芸文庫
「言葉」岩波現代文庫
山口昌男「文化と両義性」岩波
なども読む。
詩は、身体的、時間的には「錯誤」や「無」であり
唯一、空間的には、「虚無や錯誤」の結路として成る。
錯綜した、多次元の現/実存と
混沌錯乱した、詩作品の虚/存のはざまには
場所しかない。
身体や時間は、滅するが、場所(空間)は滅びない
のではないかと
思いながら昨夜、睡眠していたら
その理屈が「夢」にでてきて
夜中の3時に、目が覚める。
メモをとろうかと考えたが、
そうしたら眠れなくなりそうなので
とにかくテレビをつけた。
どのチャンネルも、天気予報ばかりで
雨、雨、雨、、、、、だと。
★
聴いている音楽、
一時は、ブルックナー、脱出を試みて
シューマン、シューベルト、マーラーとたどるが
またまた、ブルックナー。
とくに、3番と6番。
最近よく聴くのは、ウィリアム・スタインバーグという
マイナーな指揮者。
それからいまかけているのが
「レディオヘッド」のトム・ヨークが好んで聴いている
という、
ペンデレツキの「チェロ協奏曲」。
まったくもって、頭、ぐちゃぐちゃにびしょびしょに
なる音。
ああ、ロック聴きたい(聴けばいいのにね)
それから、トム・ヨークって、マガジンやREM
好きなんだよね。
ぼくも、一時期、
バズコックスやマガジン
それからマイケル・スタイプ
トム・ヴァーレーンなんかばっかり聴いていた。
ああ、ロックなジャズの世界に戻りたい。
この前、バーゲンで
チャーリー・シェイバースとレイ・ブライアントのコンボ盤が
NO1から3まであって、すべて購入。
60年代の音源なのに、まんま中間派の音で
癒されます。
★
で、トム・ヨークって
ほんまにペンデレツキ、聴いてるんかいな。
それにしても、このチェロコン
美しい悪夢です。
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