文屋

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■紙子15号、伊東静雄論の8回目、そして外は、雨、雨、雨ダス。

2008年03月14日 18時42分46秒 | 日録雑感

詩誌「紙子」15号は、いま校正段階。
4月の初め頃には、できあがってきます。

ぼくは、作品『外地』を書いた。

連作「双児の艸」シリーズ。

ぼくが書いている一照の地にある双児の艸。
それをぼくは写真に撮ったのだが
それは、私の「生の外地」のことなのかなあ
といった詩。

それから編集工房ノアのPR誌「海鳴り」に
連載中の『伊東静雄論』の8回目分を書き上げて
原稿を送付。

今回は、伊東の「朝顔」の詩3篇を引用しながら
伊東における
「擬我」「喩的身体」など
造語をからめて
彼の詩の両地平としての、彼岸と此岸についてなど
頭、ぎゅんぎゅん抱え悩みつつ書く。

この間、

杉本秀太郎や長野隆の著作とともに
なぜか
上田閑照「実存と虚存」ちくま学芸文庫
    「言葉」岩波現代文庫
山口昌男「文化と両義性」岩波

なども読む。

詩は、身体的、時間的には「錯誤」や「無」であり
唯一、空間的には、「虚無や錯誤」の結路として成る。

錯綜した、多次元の現/実存と
混沌錯乱した、詩作品の虚/存のはざまには
場所しかない。
身体や時間は、滅するが、場所(空間)は滅びない
のではないかと

思いながら昨夜、睡眠していたら
その理屈が「夢」にでてきて
夜中の3時に、目が覚める。

メモをとろうかと考えたが、
そうしたら眠れなくなりそうなので

とにかくテレビをつけた。

どのチャンネルも、天気予報ばかりで

雨、雨、雨、、、、、だと。






聴いている音楽、

一時は、ブルックナー、脱出を試みて
シューマン、シューベルト、マーラーとたどるが
またまた、ブルックナー。

とくに、3番と6番。
最近よく聴くのは、ウィリアム・スタインバーグという
マイナーな指揮者。

それからいまかけているのが

「レディオヘッド」のトム・ヨークが好んで聴いている
という、

ペンデレツキの「チェロ協奏曲」。
まったくもって、頭、ぐちゃぐちゃにびしょびしょに
なる音。

ああ、ロック聴きたい(聴けばいいのにね)
それから、トム・ヨークって、マガジンやREM
好きなんだよね。

ぼくも、一時期、
バズコックスやマガジン
それからマイケル・スタイプ
トム・ヴァーレーンなんかばっかり聴いていた。

ああ、ロックなジャズの世界に戻りたい。

この前、バーゲンで

チャーリー・シェイバースとレイ・ブライアントのコンボ盤が
NO1から3まであって、すべて購入。
60年代の音源なのに、まんま中間派の音で
癒されます。



で、トム・ヨークって
ほんまにペンデレツキ、聴いてるんかいな。

それにしても、このチェロコン
美しい悪夢です。


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