例えばaikoさんが好きだと言っても、ワタシの場合、歌詞は二の次なんであって、どうも、聴き方が違っているノではないかと思っていたのですが、あぁ、その秘密は、みゆき姐さんがバラしてくれた。
中島みゆき
『愛していると云ってくれ』(1978)
この、みゆき姐さんを代表する名盤。
一曲目が、コレは、明確に朗読であって、音楽ではナイのデスが、「今夜は 泣くと ・・・・・・思います」というフレーズのあと、間髪入れず、絞り出す、正に絞り出すような「怜子」がまずスゴイ。この冒頭、この瞬間は、ホントに相当なモンなのですが、ココで、あぁ、コレって映画とかドラマなんだと、分かった。
そもそも、あの震え声の中島みゆき唱法って、音楽的ではナイですからね。
で、その極めつけ。
五曲目の「化粧」という曲の、4分あたり。
「バカのくせに 愛してもらえるつもりでいたなんて」ってフレーズのとこ。
「いたなんて」の「た」から後の崩れ方、崩し方。
凄まじいデス。完全に座り込んで、ヘタリ込んでます。
情景が見えるもんね。
この曲は、ココ以外でも、凄まじい崩れ方を随所で見せる、ホントにスゲぇ歌唱なんですが、やっぱり、コレは相当「芝居」に近い。
で、ようやく分かった。
歌というヤツは、多くのヒトにとって、ドラマとか映画の一番イイトコロを切り取ったようなモンなんだべ、と。歌詞の前後のストーリーは自分の想像で補って作って、最も感動できるように自分で再構築した、主演が自分の映画の最高潮のクライマックス、そこに流れて来る最高にドラマチックなBGM、その合わせ技が「歌」なんだべ。つまり、映画のクライマックスを、たったの5分で味わえる、そんな装置が「歌」なんだべな、きっと。
あぁ、氷解、氷解。
「音楽」の一ジャンルだと思っていた「歌」が、実は「音楽」とは別ジャンルなんてね~。まぁ、衝撃デスなぁ~。
とは言え、日本語の「歌」がそもそも、「Song」とは別物であってサ、「和歌」ってモノの存在からも、ホントは、それは分かって居たのです。が、やっぱり「音楽」とは別の存在の「歌」を、こうまで具体的に明確に見せられると、ショックだな~。
ただし、どっちがイイとかワルイとか言う話ではナイですからね。
どっちも、それぞれにスバラシイものでアリマスから、フツーは考える必要なんてナイんでしょうね。
ソレにしても、みゆき姐さんは、「感情」である「歌」と、「生理」である「音楽」の橋渡しを、「歌」の側から長年担っているンだな。やっぱり、希有なスゲェ人デス。