武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

「動作分析」の限界・「間合い」、「拍子」、「気」の必要性

2011年01月26日 | 文献抄読
なぜ理学療法に武道なのか?カユイところに手が届くような明快な本があったので今回から数回に渡って抄読していきます。



本のタイトル:武道の力 
出版社:大和書房
著者:時津 堅児
(以下、引用)
年をとっても衰えない武道は可能か

本を書く上で、私は次のように問題を立てた。
武道では年をとっても強くなれるという。それが可能だとすれば、そのロジックは若い者が中心になる競技スポーツのそれとは異なっているはずだ。そのロジックを掘り出すために、私は年老いた連人と若く元気な剣道家が、竹刀を持って立ち会う状況を設定してみる。老人はいくら達人であっても体力では若者にかなわない。だが、打ち合いの稽古を見ると、若者が打つ前に年老いた方が間違いなく打っている。体力があって、スポーツ能力において勝る若者がたじたじとなり、そのうち息があがってくる。逆に体力に劣る老人の方は軽やかに呼吸をしている。このように体力のある方が息切れし、体力の劣る方が、楽にやっているという現象が剣道では実際に起る。どうしてこうした現象が起るのか?たまたまこうなるのではなく、立ち合えば必ずこうなる。だから、そこにはロジックがあり、それを解明することが武道理論の中心問題であるはずだ。
 熱練の結果だとか精神が磨かれたからだなどといっても、何も明らかにはならず体験論から一歩も進むことはできない。何度やっても間違いなくこのような結果が起るというのは、そこに論理的な構造があるからだ。だからその構造を明らかにすることがあらゆる武道論の第一歩であり、そこを瞹昧にしているから一般の武道論は精神論に終わっている。だから武道における勝負の構造を明確にし、その上に立って初めて実用性のある方法論を考えることができる。
これがテーマの大筋だ。
これを掘り下げるにあたって、折から勉強中だった深層社会学の論理を応用した。深層社会学というのは、ソルボンヌ大学で私が師事したジョルジュ・バランジェ教授の師匠であるジョルジュ・ギュルヴィッチが作り上げた社会学の方法である。<社会的現実というものはさまざまな層からできており、各々の層を個別的かつすべてを総合的に捉えていく>そうした社会学の方法論だ。勝負という現象をこの方法論で掘り下げていく過程で、私は期せずして記号学の分野に足を踏み入れることになる。
この理論で勝負現象を分析すると、次のようになる。
勝負という現象を観察すると、まず二人の人間が立ち合うという形で目に映る。そこで直ちに目につくのは、打ったり打たれたりする人間の動作だ。これが勝負という現象の最も表面的な層である。 これを身体の次元として捉え、そこから身体動作としての技を分析することができる。
(武道PT解説;つまりこれがPTのする動作分析や運動療法のレベル)

 次に、立ち合う二人の動作をよく観察し、勝負という現象を掘り下げてみる。すると、ニ人の身体は微妙に動いており、二人を隔てる距離もまた微妙に変化するということがわかる。しかも、それはただの変化ではなく特定のリズムがある。これがいわゆる拍子である。拍子は各人の身体の動きとして現れると同時に、二人を隔てる距離の変化の中にも見られる。この変化する距離が間合いである。だから、拍子と間合は切り離すことができず、勝負における第二の次元を形成する。
勝負という現象をさらに掘り下げてみる。
老いた達人が打つ動作は必ずしも速くはない。だが、拍子と間合が調和し、身体は無駄なく動いている。しかも、相手の意図を読んだ上で動いている。つまり、相手の意識が虚の瞬間を確実に捉えているため、相手が打ち出す前に打つことができるのだ。つまり、動作そのものが速いのではなく、結果として早く打っている。
外から見るとゆっくり打っているように見えるが、相手には見えていないから、いつ打たれたか分からないのだ。人間の意識は一定の濃度で活動してはおらず、虚と実の織り成す一種の波長がある。武道ではこの波長を読み取る訓練をするため、相手の虚を確実に押さえることができるのであり、老いても強いという理由はそこにある。
これが「読み」の次元で、これが勝負の最も深い層にあり、武道の勝負というのはこの三つの次元によって構成されている。だから、筋肉の反応時間がどうのこうのといったレベルの「科学」は、最も表層の身体に次元だけで武道を考えていることになるから埒(らち)は明かず、複合構造から成る武道の方法論は決して出てはこない。先ず三つの次元を個別的に捉え、その上で三つの次元を総合的かつ融合的に捉えることによって武道の方法論を考えていかねばならない。

(以上、引用終わり)
昔、PT学生時代に反応時間を測定する実験運動学の授業がありました。剣道四段の同級生がいて「おまえなら反応時間早いんだろうね。」と何気なく話をしたら、
「そんな事だけで試合しているんじゃない!!」と返されたのを思い出します。その時の私は武道など興味もなく、この会話はこれで終わってしまったのですが、彼はこんな世界を感じていたのかもしれません。

皆さん、武道の試合だけではなく患者さんと接するとき試合のような理合がそこには存在します。深遠なる世界へ踏み出しましょう。

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