武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

『気』と理学療法

2011年01月28日 | 文献抄読
今日も、
武道の力(大和書房)
時津 堅児著
を読み解きます。

(以下、引用)
「気]についてどう理解するか
 コウモリは超音波を出して飛んでいるが、人間には聞こえない。人間の目には完璧な闇夜であっても赤外線カメラには風景が映る。超音波も赤外線もこの空間に存在しているが、人間の脳がそれらを解読できないから情報として知覚できないだけだ。人間の脳が解読できなくても、身体そのものはこうしたさまざまなエネルギーの満ちた空間にどっぶり浸っているのだ。身体は空間に存在するさまざまなエネルギーに対して開かれたアンテナだと考えてよい。だから、我々が認識できる、できないに関わらず、身体そのものはさまざまな情報の元をキャッチしている。繰り返すが、アンテナそのものがキャッチした情報元も、脳がそれを解読できなければ情報とはならない。脳が解読することによって、初めて情報となって我々はそれを知覚する。この空間には人間の五感で知覚できないものの方が多いと考えてしかるべきなのだが、似非合理主義の人間は「手に触れて、目に見えること以外は信用しない」などという前近代的なロジックの上にふんぞり返るから始末が悪い。気感覚に目を開こうとする場合、これが第一の障害である。このような人は口を揃えたように言う。
「気というものがあるなら、私に感じさせてみてくれ。実際に感じることができたら信じるから。」これに対して私は言いたい。「虫のいいことを言うものではありません。数学が嫌いでできない人が、『数学ができるようにしてみてくれ。できるようになったら、数学を好きになってみせるから』と言われたら、どう答えますか?できない人はできるようになろうといくら苦労しても中々できないのだから、『できるようにしてみてくれ』というのは虫がよすぎます。これと同じで、なかなか気を感じることができない人が、感じようと努力もしないで、感じさせてみてくれと開き直るのは虫がよすぎます。自分の鈍い感性を磨こうともしないで、『私の頭を良くしてみて下さい。良くしてくれたら、分かってあげるから』と言うようなものです」閉ざされた自分の感性の上に腰を下ろして開き直っていては、気感覚を育てることはできない。前述しだように、気というのはだれもが自分の身体のアンテナでキャッチしているのだから、脳がそれを解読できるように訓練さえすればだれでも感じることができる。
(以上、引用終わり)

心理や催眠、合気道を学んでいくと人の心の動きやPTが行う動作分析では見切れない微小な体の変化まで分かるようになってきます。これらを総称もしくはメタファー(比喩)として『気感覚』というのであれば、時津氏の言わんとすることも合点がいきます。この視点で患者さんと接していくと治療・訓練成績があがります。もし現状のPTの枠に捉われず、目の前の患者さんを本当に良くしていきたいのなら『気』の世界の開拓は必須だと考えます(気についての私の考えは今までのブログ記事もご参照下さい)。

「KY」という言葉はもはや死語になりつつあります。現代は空気を読まない方が楽な時が多々あります(PTは職業上KYが多いかもしれません)。一時はそれでいいのですが、それを続けると自我が崩壊します。自我が確立してないがゆえに自らが患者以上に病んでしまったPTが多いと耳にします。PTだけではなく現代で自殺者が後を絶たないのも『気』を読めないならばうなずけます(お勧め文献「ユング心理学と現代の危機」)。


次回の武道PT勉強会は『気』を読む手始めとなると思います。『気』を読む素晴らしい世界を一緒に味わえるといいですね。

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