武道・禅の心で臨床を読み解く(武道、禅、心理療法、ボディワークを学ぶ理学療法士)

21年間の運動指導・700冊の書籍からリハビリ・トレーニングを読み解きます。
良書の書評、稽古・訓練方法、研修報告など

万有を愛護するということ

2011年02月01日 | 文献抄読
今日で
武道の力(大和書房)
時津 堅児著
の抄読を終わりにしたいと思います。

(以下、引用)
 害意を持って打つ「殺人拳」では、自分の持つ可能性を最大限に生かすことはできない。「強くなる」という指標を徹底して深めていくと、「活人拳」で行かない限り「本当の強さ」を得ることはできないという結論がでる。何故か?しごくその理由は至極簡単だ。害意や恨みの気持ちというのは自分の意識で作る。だから害意というのは、それが相手に伝わる前にいちばん近いところにいる自分に伝わるのだ。「あの野郎、殺してやりたい」と人を殺したいほど憎んだ時、その気持ちは自分の身体の細胞が最も先にキャッチする。憎しみの情というのは、その場における殺裁のエネルギーになり、一時的な戦いの効果やレベル・アップのもとになるには違いない。親兄弟の仇を取るために武術の修行に励んだというのもこれに当たる。だが生涯を通して強くなるという指標に照らしてみると、そうした感情は自分の持つ生命エネルギーの可能性を損なうから、「自分の持つ可能性を最大限に生かした形で強くなる」ことを妨げる。余談になるが、離婚して恨みつらつらの元カップルには癌が結構多いという話を聞いたことがある。恨みや憎しみの情というのは、身体の細胞に非常に悪い影響を及ぼすということだ。殺伐とした意識で武道をやった方が早く強くなるかも知れない。だが「自分の持つ可能性を最大限生かして強くなる」という指標に合わせると、そうした意識を洗い落とした武道に向かう必要性が出てくる。いわゆるケンカ空手で一時的に強くなれてもこうした意識の変化がない限り、「自分の持つ可能性を最大限に生かした形で強くなる」ことはできない仕組みになっているのだ。つまり、強さを徹底的に追求すると「活人拳」に到達するのであり、それが目標となる。(以上、引用終わり)
私の稽古する流派の合気道の養生訓で「万有を愛護し万物を育成する心をもって我が心とする」というフレーズがあります。77歳の先輩曰く
「これは、難しいぞ。ゴギブリですら愛するということだからな。」
とよくおっしゃいます。これは茂木健一郎訳「脳にいいことだけをしなさい」にも通ずる内容です。

脳は宇宙よりも広い」「唯脳論」「脳百話」「半分の脳」「神経心理コレクションシリーズ」などなど脳に関する本は沢山あります。これらの本を読んでいて分かること。それは、この世の中(つまり自分の心に表象されている世界)の価値・輝きは全て自分が決めているということ。いかに、外界を捉え生活していくかが活人拳やセラピストに必要な要素なのでしょう。

まだまだ、未熟な私です。日々、修行ですね。

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