JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

多発性脳転移

2017-01-07 17:46:52 | 日記
年末に大騒動となった脳転移発覚。

本人は「え~~?」っていう感じですが
おそらく、肺に転移した時と同じく
自覚症状というのはあまりないのが普通なのだと思います。

しかし、ずっとしつこいめまいに悩まされていたので
この時点で見つかったのはラッキーだったと思いたいところ。
先生からレポートを頂きましたが
今回、とっても画像が多いです。
最低でも7か所の転移があるという事なので
そういうことだと思います。













矢印が付いているところが転移巣

そして、診断は



という所です。

私が通院している病院はその日で年末年始の休業に入るので
先生方もバタバタしていたのもありますが
いつもはもっと冗談も言いながら
「痺れはねぇ~~。嫌だろうけれど取れるのに時間がかかるんだよね~」
という感じも慰めの言葉ばかりの診察なのですが
初めでダ~リンを付き添わせ、紹介したら
とても堅い挨拶をされて(まあ、医師同士だからそうなのかも)
「丁度良かったです。いらっしゃらなかったら、夕方でもお呼び出ししていました」とか。

今まで、一度も付き添いがなかったのですが
何の宣告の時も一人で聞いてきましたが
「誰かに説明しないと」というのは
とても悪いって事だったのかしら?
時間が経つとそういう不安もあります。

今通院している病院は放射線治療のフロアを
機材も含めて大改装中だから、治療出来ないので
緩和ケアの先生と乳腺の先生で受け入れ病院を手配して
まあ、ラッキーな事に翌日診察が可能という事態になり
年末の29日にどっさり資料を持って診察へいき
明けて4日から治療。

急がなくては!!!

というムード満載。

帰宅して脳転移の事を調べると、結構シビアで
それは肺に転移した時よりもずっとずっとシビアで
(肺に転移した時にショックだったのは肺がん併発かも、ということだったけど)
余命が平均13か月くらい。
え?まだまだ死ぬ気配はないんだけど
あと2年以内くらいなの?

だけど、色んなデータは私の腫瘍よりずっと大きく
こんなに小さな腫瘍の状態で見つけたので
私はまだ大丈夫な人の部類にはいるんじゃないか?

本当にいっぱい調べたけれど
どれも症例としてあるのはもっと自覚症状も顕著だし
私は「ひどいめまい」くらいだったし
また、タラリランで生活できるかもしれない。
そういう今にもしぼみかけそうな期待をちょっと持ったりして。

治療する病院の担当医師のお話では
一応、放射線酔いの事などの説明。
しかし、全脳照射でちょっと心配なのは
以前の放射線治療は、声帯に近づいていたがんをやっつける感じだったけど
がんを小さくして、症状を和らげること。
やっぱり、脳だし、とてもセンシティブな所だから
がん自体は小さくても残るんだな、と。

線量は30~40グレイ。
前の半分量くらい。15日間。
土日などの休みがあるから1月25日までの治療日程。
副作用としては
放射線皮膚炎、倦怠感、食欲不振、吐気
白血球減少、耳の炎症、脱毛。
そして、治療後に起こるものとしては
中耳炎、難聴、視神経の障害、記憶力低下
軽い認知症もあるかも。怒りっぽくなるかも。

放射線治療の晩期副作用でずっと腕の痛みと痺れが来ているので
起こることは起こるし
起こらないことは起こらない
まあ、何かあっても脳にがんが増殖するよりはマシ。

そして、4日から治療に入るので
治療のための頭の固定具を。
ギプスみたいなやつを顔にギュ~~~~~っと押し付けて
頭の型を取ります。
なあ、こういう経験は二度とないので
治療が終わったら、その型は貰って帰ろうかと思ってます。

放射線の治療は
準備も治療自体もとっても簡単で
ササッと済んでしまいます。

はぁ・・・・・どうなるんだ私の運命。

家にいればPCで脳転移の人を探す。。。
ガンマナイフを使った人が多くて
つまり、結構大きな転移が一つドカンとある人の方が抜群に多くて
私のような人はなかなか見つからないのですよ。

小さな転移がだくさんある人って????

一人だけ見つけたけれど
大分前のデータだし
似ている感じの人とか
殆どの人が、脳転移が最後でお亡くなりになっている。。。

え”-----!
何だかブルーになるんですけど・・・・・

放射線治療が終わらないと、肺近辺のがんの治療はできないらしく
CTも27日に延期だし
肺門リンパの腫瘍が大きくなるのも嫌だ。
歌えなくなるから。
今後の治療はどうするんだろう?
無治療ってことはないですよね?

脳には抗がん剤治療は効果がないんですよ。

どうなるのかなぁ。

まあ、この状態で
何とか復帰できても、大きなことがやれる期間は大分狭まったわけです。

本来の予定では
今年の5月には歌手生活40周年だったわけですが
LAST ANIME JAZZ に観客を総動員してしまったので
そんなに続いては呼べないので
これは秋に延期して、ツインドラムで、ニューコンボででもライブをしようか。

そして、2018には還暦ライブに合わせて
人生最後で最高の出来となるようなCDを作成したいし
同時進行で、ぼつぼつちゃんと歌える時期に
葬儀用のバラード集を録音していこう。

まあ、それくらいの計画は立てていたのだが

うむ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出来んかも?

そんなら秋くらいからCD録音の準備をして
ちょっと、色んなのを一緒に録音しておいて
2018年春に大きなライブを1本にしてやろうか。

いや、でも、春のライブってなかなかお客様が難しいから
やっぱり12月かしら
でも、それまでちゃんと歌えるのかしら。。。。。とかね。

どうしよう。

今考えても無駄なのだけど。
放射線治療が終わって
その「忘れっぽい期間」が終わって
ちゃんと元気になってから
もう一度ちゃんと計画を立て直さねば!!!

うーーーーむ

なかなか忙しい日程になって
「本当に晩年は忙しい毎日でした」って葬式のときに言われそうな気がする。

私は生き残れるか?

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