佐呂間町の閉校 ※赤字は今回レポート
「小学校」
- 佐呂間町立浪速小学校(1977年佐呂間町立幌岩小学校へ統合)
- 佐呂間町立栃木小学校(1986年佐呂間町立若佐小学校〈初代〉へ統合)
- 佐呂間町立佐呂間小学校〈旧〉(2006年新設の佐呂間町立佐呂間小学校へ統合)
- 佐呂間町立知来小学校(同上)
- 佐呂間町立仁倉小学校(同上)
- 佐呂間町立若里小学校(同上)
- 佐呂間町立富武士小学校(同上)
- 佐呂間町立若佐小学校〈初代〉(2006年新設の若佐小〈2代目〉へ統合)
- 佐呂間町立栄小学校(同上)
- 佐呂間町立浜佐呂間小学校〈旧〉(2006年新設の佐呂間町立浜佐呂間小学校へ統合)
- 佐呂間町立幌岩小学校(同上)
「中学校」
- 佐呂間町立若里中学校(1965年佐呂間町立佐呂間中学校へ統合)
- 佐呂間町立知来中学校(同上)
- 佐呂間町立富武士中学校(同上)
- 佐呂間町立仁倉中学校(1967年佐呂間中へ統合)
- 佐呂間町立幌岩中学校(1999年佐呂間中へ統合)
- 佐呂間町立若佐中学校(2006年佐呂間中へ統合)
- 佐呂間町立浜佐呂間中学校(同上)
佐呂間村(1953年・佐呂間町へ町制施行)
- 佐呂間村立中佐呂間中学校浪速分校(1953年)
若左村(1956年・佐呂間町を新設)
- 若佐村立若佐中学校上佐呂間分校(1952年)
今回の旅では札幌から高速で遠軽町まで行き、そこから国道333号線を経由して網走市に到着した
遠軽から最初に立ち寄ったのが佐呂間町の2校
あとの1校は最終日に再び佐呂間町を経由して帰途についた時に訪問。
「旧佐呂間町立若佐小学校」
開校:明治41(1908)年
移転:平成18(2006)年
校舎:(確認中)年竣工
佐呂間町武士105-1
ナビ「武士神社」 ※2025年3月27日撮影
訪問時はご覧の通り、わずかに人一人分の道があるだけ
またこの後の予定もタイトなので遠方からの撮影となる。
通路右側にいくつかの碑があるが雪に埋もれて判らないものも
「百年記念の碑」や「二宮像」は確認出来た。
左側は大規模なメガソーラー施設となっていた
ここが校庭・グラウンドだろう
左側の傾斜の少ない屋根が玄関で、校章もズーム撮影となる。
平屋だからか、横に長い校舎で、もう一列が斜めにあり連絡通路で結ばれている
正面からは見えないが体育館は奥にあり。
途中から道は無くなり一ヶ所からの撮影になった
別の横側の道を行けば、もう一列の校舎と体育館が見えるはず
だがそちらの校舎側にもソーラーパネルがひしめいており囲まれた状態だ。
「若佐小学校」は、数キロ戻った場所にある「若佐中学校」へ2006年に引っ越しをしたので正確には移転だ。
そして旧校舎として、ここは空き家となったのである。
「旧佐呂間町立若佐中学校」
開校:昭和22(1947)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:(確認中)年竣工
佐呂間町中園38
ナビ「佐呂間町立若佐小学校」 ※2025年3月27日撮影
「若佐中学校」が2006年に「佐呂間中学校」と統合し生徒が移った後に「若佐小学校」がこの校舎を使用している。
まだまだ活用できる校舎なので再活用は良いことだろう。
現役の小学校だがちょうど春休みであり授業は行っていないはず
そう思い中に入らせていただいた。
体育館の前に旧中学校の物と思われるものがある
「思い出の校門」とあるので2006年までは、入り口にこの校門があったのだろう
校門自体を移設し思い出として設置したのはあまり記憶がない
多くはその校門の校名プレートだけを取り替えていた。
それによって「若佐小学校」が続く限り「若佐中学校」の思い出もずっと残るのだ。
何かとってつけたような閉校記念碑より素敵じゃないかと思った。
「旧佐呂間町立幌岩小中学校」
開校:明治42(1909)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:(確認中)年竣工
佐呂間町幌岩
ナビ「旧幌岩小学校」 ※2025年3月29日撮影
背景の天気が前2校と違うのは訪問日が違うため
旅行の最終日にサロマ湖廻りで帰途に着いたのでこの学校に寄れた。
「幌岩小中学校」はサロマ湖に内陸から突き出すキムネアップ岬の付け根、内陸にあった。
入り口の大きな石碑は閉校年が書いてあり
先に中学校がその7年後に小学校が閉校となった。
落ち着いた色の校舎だ
校章も残っている
この右側の平屋が中学校か?
開基と開校80年の碑(裏は見ず)
敷地内に住宅があり、使用されているようなのであまり中に入らなかった
ここも残雪で校庭のタイヤも雪に埋もれたようになった
このような開けている学校には、やはり雪が溶けてから行くべきだった。