嵯峨野には祇王寺をはじめ、常寂光寺や野宮神社、天龍寺など平安・室町時代の古い遺跡がたくさんありますが、その中で江戸時代創建の落柿舎は、かなり新しい部類と言えるでしょう。ここは芭蕉の一番弟子・向井去来の遺跡で、芭蕉も何度か訪れ、彼の『嵯峨日記』はここで書かれました。去来が落柿舎を営んだのは貞享4年(1867)以前ですが、現在の落柿舎は明和7年(1770)に再建されたものです。
近代の親しみやすい建物と、趣味人の粋さがミックスされたこの場所、門前から見る景色は遮るものがなく気持ちよく山を見渡せて、密かにお気に入りの場所です。
門の前に広がる田んぼ。
一歩中に入ると、庭も家もコンパクトですが、自然を楽しむ工夫に溢れています。室内に飾られたお皿や花を眺めた後、庭のあちこちに置いてある椅子に座れば、気分はもう俳人。一句ひねる技量はなくても緑や鳥のさえずりをしみじみ味わうだけで十分楽しいです。同じ気分を味わったであろう先達たちが残した俳句の碑が、あちこちにさりげなく置かれています。
柿主や梢はちかきあらし山 去来
家の角には一般の方の投句を受け付ける「投句箱」も。
家の縁側に敷かれた2つの円座がまるでおしゃべりをしているように仲良く並んでいて、全体的にものすごくウエルカムな雰囲気なんです。
面白かったのは、その円座の上方に掲げられた「落柿舎制札」。俳席で芭蕉が即興的に作ったとも、去来が元案を作ったとも言われていますが、内容を読んで思わず笑ってしまいました。全部で五つあって、例えば、「一 雑魚寝には心得あるべし 大鼾(いびき)をかくべからず」とか、「一 煙草を嫌ふにあらず」挙句に「俳諧奉行 向井去来」とあります。もしかして、ふざけてる?(笑) いずれにせよ、自由で楽しそうな雰囲気が伝わってきませんか? 俳諧を愛する者たちが好きな時に好きなように集まって、ああでもないこうでもないって句をひねったんでしょうね。そんなイメージから、まるで、ボブ・マーリーのジャマイカの家みたいだと思ったわけです。鍵もかけず、誰でも出入り自由だったボブ・マーリーの家には、ホントに関係ない人がレコーディングを見ていたりしたそうですよね。
父親が医者で、自身も勉学に励み武芸に秀でていた去来ですが、この家の佇まいや、制札から察するに、相当人が良い、楽しい人だったと思われます。
「落柿舎」の名前どおり、今度は柿の季節に来てみたいです。
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