立川談春さんの「赤めだか」を読み終えました。
ひたむきな談春さんの言動も魅力的ですが、なんといってもこれは談志(イエモト)のお話だと思いました。入門して二十年以上たってから書かれたのに、詳細にイエモトの言葉を記憶しているところに、落語への情熱とイエモトへの愛を感じます。
『ヨタロー』に立川ボーイズとして出演していた時代の談春さんは観ていましたが、落語を聴いたことはありません。でも、イエモトの落語は、一度だけ聴いたことがあります。
もう十年以上も前、東京の読売ホールでした。
始まるまでロビーで時間をつぶしていたら、なんとご本人がジャージを着てうろついている! 意外と小柄で、でもトレーニングはしっかりしていそうな体つきでした。「身体もやわらかい」とその後の高座でおっしゃっていたので、気を配っていたものと思われます。
映画の試写会をやるほどキャパの広いホールは満員御礼。男性客(しかもどうやら一人で聞きに来ている方も多数)が多く、ちょっと異質な空間でした。詳しい内容は忘れましたが、マクラは世相を斬る辛らつな内容で、しかも長い。でも場内は大ウケで、常連客のものと思われるひときわ大きな笑い声が印象的でした。
さらりとはじめたネタは『芝浜』。
そういえば、年末だったのでした。
実は、個人的には『芝浜』は志ん朝師匠がお気に入り。だから、しっかり者のおかみさんの機転で駄目な男が改心する、ある意味、おとぎばなし的な人情味を期待していました。
ところが、イエモトの『芝浜』はもっと切羽詰って生々しくて、金を拾ったのは夢だと亭主に言い張るおかみさんは、松本清張の小説にでも出てきそうな、気弱で、男にすがる以外に生き延びる術を知らない、だからこそ必死で「夢だ」と押し通そうと叫び続けるちっぽけで哀れな女に聞こえました。
その苦しさが伝わってきて息が詰まりそうで、「こんな『芝浜』嫌だな」と思っていた時、突然イエモトが「たちくらみが・・・」と言って頭を抑え、噺を中断してしまったのです。
しばらくそのままの姿勢でじっとしていましたが、やがて「すみませんねぇ」と言いながら続きを語り始めました。けれど、一度切れた集中は戻らず、結局、その後は尻つぼみで終わってしまいました。
詳しいことは知りませんが、その当時すでにイエモトは大病を患った後で、声もかすれて十分には出ていませんでした(そのことを詫びていたように記憶しています)。
いまでも時々、この日の『芝浜』を思い出します。志ん朝師匠を聴けば(ナマの高座は聴いたことがないのでCDやDVDですが)いつも心がほんのりと温かくなり、えもいわれぬ幸せな気分になるのですが、あの日のイエモトの『芝浜』は、イエモトの生き様すべてをさらけ出した、落語をぐいと現実の生活にひきつけた、とてもリアルで苦しい物語でした。
客が帰り仕度を始める中、イエモトは高座を降りずに「ありがとうございました」「お気をつけて」と言った言葉を繰り返します。
なんでも昔の寄席は履物を脱いであがるので、帰り際、客が履物を履くまでの時間、演者が残って見送りをしたものなんだそうです。だから気にせずゆっくりとお帰りください、とおっしゃっていました。その口調は穏やかで、優しい人柄がしのばれました。いま思えば、ふがいない姿を見せてしまったことを申し訳なく思っていたのかもしれません。けれどいろいろな思いを全部呑み込んで、淡々と見送っていらっしゃいました。
いつかまた聴きに行こうと思いながら果たせないまま、とうとうイエモトは鬼籍に入られました。もう、高座をナマで聞くことはかないません。そのことが、時折、むしょうに寂しくなります。
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