ぶらっとJAPAN

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東求堂&奥田元宋襖絵特別公開【銀閣寺】

2016-11-09 22:40:56 | 京都

思いのほか狭いです。

 

数年前にテレビで見て以来、どうしても見たかった東求堂の特別拝観に行ってまいりました

そもそもは足利義政が大切にしていた阿弥陀如来を祀る持仏堂なのですが、その一間に同仁斎と呼ばれる付書院があり、義政公はそちらを書斎として使用していました。

春と秋に特別拝観があります。銀閣寺は8時半から拝観できますが、東求堂は10時から。しかもガイド付きの拝観で時間が決まっており(10時、10時50分・・・)、一回の定員は25名と制限されています。所要時間は隣接の弄清亭見学と併せて30分ほど。定員制のおかげで銀閣寺が大混雑でも、ゆっくりと見られます。

入り口で受付を済ませると(銀閣寺の拝観料とは別)、本堂の一室で時間まで待機。本堂や東求堂内の撮影は禁止ですが、↑のように本堂から外の写真は撮ることができます。

時間になるとガイドさんが現れ、まずは本堂の襖絵から拝観です。紫外線防止のための扉が開けられると、与謝蕪村、池大雅などそうそうたる画家の絵がずらり(襖絵は一度に1作品ずつ拝観します)。さすが将軍さまの持ち物です。個人的には蕪村の「棕櫚叭々鳥」図がお気に入り。部屋の外からの拝観ですが、それでも棕櫚のジャングルに迷い込んだような臨場感でした。400年ほど前の作品ですが驚異的な状態の良さです。池大雅もまさに「ならでは」の画風で迫力がありました。

東求堂の前にしばし銀沙灘(ぎんしゃだん)を鑑賞。日に当たるとキラキラ光って綺麗です。

銀閣寺形手水鉢の後ろを通って東求堂へ。

色づき始めてます。

阿弥陀如来にご挨拶をすませ東求堂の中へ。すべてがコンパクトにまとめられた空間が居心地いいのは、いわゆる和室の原型と呼ばれている場所だからかもしれません。ただし、シンプルながら手の込んだ天井の細工はとても美しく、高貴な空気を漂わせています。

仏間には義政公の像も安置されており、まっすぐに前を見つめるお顔は穏やかで、東求堂での慎ましやかな生活を偲ばせます。床は創建当時から一度も張り替えられていないそうで、塗が剥がれて白くなった床面を見ていると、阿弥陀如来へ捧げものをする人たちの足音が聞こえてきそうです。

そして外に目を転じれば美しいお庭が。隅々まで神経が行き届いた景色に見学者全員の気持ちが華やぎます。端近に座ってしばしお庭鑑賞。見ているだけで血がキレイになります(笑)。 

東求堂。

隣接した同仁斎と呼ばれる書斎は、付け書院と呼ばれる(外から見ると壁が張り出している)壁際に違い棚と備え付けの文机があります。違い棚にはお茶道具(この日の茶椀は油滴天目のように見受けられました)、文机には巻物に筆、硯、水差しなどがまさに書斎の風情で置かれています。どれも見事な細工のものばかり。硯の前には衝立があり、これは木の葉など外からの侵入物を防ぐようになっているんだとか。というのも、文机の正面は両開きの障子の窓になっていて、開くとこちらもまた眼前に見事な景色を眺めることができるようになっているのです。

左手前に紅葉、奥には滝とその配置は絵画のように完璧、ほんのり色づき始めた紅葉の赤があでやかでとても美しく、さわさわと鳴る滝の音に、なんて贅沢な書斎だろうと思いました。京都の冬は寒いですし、実際、紅葉の季節に外の風を入れるなんて寒いのでは? なんて無粋な想像をしてしまいますが、昔の人は寒さを凌ぐより自然を愛でたい気持ちの方が大きかったのでしょうね。とはいえ、四畳半の同仁斎は真ん中の半畳を外して、炉が切ってあるのでしょうか、暖を取ることができるようになっています。半畳が真ん中にあるのはそういった実際的理由なのですが、その周りに風車の羽根のように一畳の畳が4枚並べられていて、見た目にも美しく配置されているのがスゴイところです。

お茶をいただく時は、窓の障子を半分だけ閉めて、掛け軸のように景色を楽しむという趣向だったそう。優雅な時間ですね。

さて。

東求堂に加えてもう一つのお目当ては弄清亭にある奥田元宋の襖絵でした

20年前に弄清亭を改修するときに奉納されたものだそうです。なので比較的新しい作品と言えます。

子供の頃、遠足で来た時には確実に存在していませんでした(笑)。

作品は「薫園清韻(くんえんせいいん)」「流水無限(りゅうすいむげん)」そして「湖畔秋耀(こはんしゅうよう)」の3つです。

弄清亭はお香を楽しむところでどの部屋もそれほど大きくありません。その部屋の襖一面にまずは鮮やかな牡丹の花「薫園清韻(くんえんせいいん)」。輪郭がふわりとした花びらはたおやかでゴージャス。奥田画伯の好きな花だそうです。何しろ色が美しいです。

そして次の部屋「流水無限(りゅうすいむげん)」は春の奥入瀬。その緑の鮮やかなことと言ったら!! こんなに若々しく生命力に満ち溢れた緑は初めてみました。

右から左に流れていく奥入瀬の激流の先には一本の桜の木。そして右下の草むらには一羽の鳥の姿が。「鳥になって画の中にいて景色を見ていたかった」という画伯の希望なんだそうです。制作当時の画伯は80歳。完成まで3年かかったそうですが、このみずみずしい感性が80歳代とは俄かには信じがたいです。

最後の「湖畔秋耀(こはんしゅうよう)」は晩秋の十和田湖。画伯の代名詞である「燃えるような赤」の景色です。

・・・はあああっ。(注:ため息です^^;)

輝くような太陽は夕日と思われ、つまり、先ほどの生命の始まりにひき較べ、人生の落日にオーバーラップします。こういう景色を見ていると、画伯は書きながら自分の寿命を意識していたんだなと思います。

以前、東山魁夷画伯の晩年の作で、同じように強烈な生命力を感じさせる真っ赤な落葉の絵を見たことがあります。最初に見た時は、晩年になっても衰えない旺盛な生命力に圧倒されたのですが、数年経って再見した時に、この生命の輝きはそう遠くない日に寿命が尽きることの悲しみの裏返しなのだということに気が付きました。

「湖畔秋耀(こはんしゅうよう)」にも同じ思いを感じます。末期の目を持ったからこそ見える美しい景色なのではないでしょうか。

花に誘われて迷い込んだら、人生の深さを覗き見た、という感じでした。

本物の美しい自然の景色と、優れた画家の残した魂の景色と2つが一度に堪能できる東求堂特別拝観。今度は春の景色を愛でに訪れたいと思います

東求堂以外にも見どころはたくさん

コメント
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