徒然なるままに、一旅客の戯言(たわごと)
*** reminiscences ***
PAXのひとりごと
since 17 JAN 2005


(since 17 AUG 2005)

バレンタインデイに想う

 今更言うまでも無く、今の世の中“情報化社会”です。

堅苦しい話で恐縮ですが、この偏屈オヤジが若かりし頃、“コンピュータはインテリジェンス・ミラーである”との教えを受けた記憶があります。(そのころは“パソコン”なんて気の利いたものは黎明期で、“パンチ・カード”を「だらららら~~」と読み込ませて、国際事務機器製のコンピュータを使うのが専らでした)

“インテリジェンス・ミラー”、当時はもとより今でも通用する名言だと思っています。

「コンピュータは自分の知性を映す鏡である」と....。

小生なんぞ、知性に欠けていたもので、あの貴重な資源を有効利用していたのかは甚だ疑問であります(単なる紙資源の無駄遣いをしていたのかも)。

今の情報化社会、インターネットに限らず、色々な媒体を介して情報が入り込んできます。

さながら情報の洪水です。

今のこの“情報化社会”も、社会そのものが“インテリジェンス・ミラー”であると考えています。

ポイントは二つ。

ひとつ目は、溢れる情報の中から、自分にとって有益なものを如何に取捨選択し、さらにそれを“己の知識”として消化し、蓄積するか。

(う~ん、こうして書いていて、それが全く出来ていない - 情報の洪水に流されてしまっている - 自分が情けない)

ふたつ目は、とても重要なことで、ここが今日の“インテリジェンス・ミラー”と言えると思うのですが、“己が得た知識”を如何に正しく“知恵”として使うか。

(あちゃ~、これまた痛い。が、間違った使い方はしていないとの自負はあります。小生が痛いのは、知識が体系だって整理されておらず、いつも散らかった部屋で探し物をしている状態にあること....)

“知識”は“知”が示すように、本来、智をもって理解している事柄、であるのが本来の姿の筈です。

が、社会の歪みが顕著になってきつつある今日では、持てる情報を悪意を持って利用しようとする輩が散見されるようになってきました。

とても悲しく、憂うべきことです。

何も今の世の中に限らず、水戸黄門様の時代から『お主も悪よのぉ~』という輩は居った訳ですが、その頃と今とでは『悪よのぉ~』の輩が入手できる情報量・情報の質が桁違いです。

“悪知恵”という言葉があるように、“知識”を間違った方向に使うと、今の世の中ではそれはれっきとした“凶器”になり得ます。

“人生を豊かにするもの”とするか、社会に脅威を与える“凶器とするか”、情報を手にしたものの“インテリジェンス” - あるいはモラールと言っても良いでしょう - に依存しているのです。

最近、情報の海に溺れている偏屈オヤジが、バレンタインに頂戴した希少なチョコレート(間違いなく“義理チョコ”なのでしょうが、能天気なオヤジはすぐ舞い上がる)を眺めて考えた戯言でした。

“鬼嫁” 財務大臣からは経費節減の折、チョコレートは頂戴しておりません。

(今度、福岡のパターンが入っても“明太子”のお土産は無しだな)
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