maibunCの裏手から西に、丸山塚古墳の北側を通過し、さらに行くと・・、
この写真の四つ角にたどります。
その交差点の角に、1つの石碑が建てられています。
いつも気に留めずに来ましたが、実はこの石碑、
甲斐風土記の丘の建設の歴史に深く関わるものでありました。
古典的な石碑だと、碑文の上の方に題額というものがあって、
何とかの碑、ということがすぐにわかるのですが、
これは少し違っています。
大切なので、碑文を書き留めます。
伝来の地 曽根丘陵
今 蘇る古代
地権者の願いは残こった
風土記の丘の建設に際して、先祖伝来の土地を提供した
旧地権者の皆さんの記念碑でありました。
碑の裏側にも、文面がありました。
これも大切なので、書き起こします。
この地は、山梨県のあけぼのの舞台に
ふさわしい 古墳群 遺跡 歴史的 民俗
的な資料を備え、南アルプスの遠望、笛
吹川の清流の整う景勝の地である
風土記の丘・曽根丘陵公園は、昭和五十
年七月より進められ、私たち地権者八十
一名は、優良農地、山林等二十五ヘク
タールを以て趣旨に賛同し、県立考古博
物館・埋蔵文化財センターが竣工した
この機会に地権者相集い、この記念碑を建
立した
昭和五十七年十一月
そういう経過は、時間の経過とともに忘れ去られてしまいがちですが、
こうした石碑の存在を記憶にとどめ、歴史文化を謳う公園の
建設の歴史を理解していきたいと思います。
ちなみに、「昭和五十七年十一月」というのは、考古博物館と埋蔵文化財センターが
その月の3日に開館・開所したタイミングであります。
また、この碑文を作成された当時の地元自治体の行政責任者(旧中道町長)も
地権者代表も、さらには石工さんも、すでに鬼籍に入られてしまいました。
この石碑のある場所を、マップに落としてみました。
(写真の撮影: 2009.6.6)
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