Y's Diary

日々の日記です。日常の出来事を綴っていきたいと思っています。

ネットで見た日本

2013年07月04日 16時53分01秒 | Weblog

最近、鳩山元首相が中国で、
北海道、本州、四国、九州以外は日本の領土じゃない等と、
とてもまともな教育を受けていなかったような、
日本人、日本国の誇りを自ら汚そうとしている姿を見て、
この人を日本から追放してもらいたいとさえ思うようになりました。


パラオの日本に対する思いを現地の新聞等で公開された文献等を知って、
親日国と言う訳が分かりました。
ドイツ領だったパラオを日本が管理する事になって、
医療施設、学校、上下水道等インフラ整備を行い、
パラオの人々が日本の兵士と仲良くなり、
戦況が日本に厳しくなり始めた時に、
アメリカ軍が42000人上陸占拠しようとしている時 に、
パラオの現地の人々は日本兵と共に戦うと言うと、
隊長が激怒して、
「お前たち土人とともに戦えるか!」と怒鳴ったそうです。
強制的にパラオの人達を疎開させる時に、
船に乗り込んだパラオの人達は1人も日本兵士が見送りに来なかった事と、
隊長の最後の言葉を思い出し怒りと悔しさに涙を流したとありました。
船が出航した途端に、日本兵が走りながら見送ったそうです。
その先頭には、あの怒鳴り散らした隊長が笑顔で手を振っていたのを見ると、
パラオの人達は自分達を助ける為にした行動だと分かったそうです。


日本がパラオに掛けた橋の名前を“絆”と名づけ、
パラオ国旗は日本の日の丸から、
太陽に照らされて海面に映った満月を意味し、
さらに丸を中央に置くと日本に対しての意味で、
少しずらして配置した構図になっています。
これも諸説あるそうですが、
現地の方が言っている理由です。


湾岸戦争の時に、
イラクに多国籍軍が入り、
日本の自衛隊も英米蘭仏等の軍と同じ様に現地の人々も考えていたに違いないです。
自衛隊の隊長が話した言葉が現地の人々の心を打ったそうです。
「日本も戦争に敗れて、国土が焦土化した時に、
食料も何もない状態の中から、
祖父母、父母達が頑張って世界2位の国にまでなりました。
メソポタミア文明を有する文化的にも高い人々達が、
日 本が出来た事を出来ないはずがない。
日本の自衛隊はイラクの友人として復興の手助けをする為に来ました。」と。
日本の宿営地の近くにロケット弾が2発打ち込まれた時に、
現地の人々が日本の自衛隊を守れとデモ行進したそうです。
多国籍軍は日本の自衛隊の軍服や車を見て馬鹿にしたそうです。
左胸の位置や車の横側に目立つように、
白と赤の日の丸をつけていたそうで、
敵から狙われやすい事をわざわざしていると言われたそうです。
自衛隊はリスクよりも、
日本の自衛隊として、
イラクの友人としての誇りの方を優先したそうです。
他の軍が見て驚いた事は、
イラクの人々が遅くまで自衛隊の為に働いていた そうで、
昼過ぎの2~3時には他の国部隊がやっとっている人達は帰って行くそうで、
日本だけ何故?と思っていたようです。
自衛隊だけ隊長など階級を関係なく一緒に労働して、
食事等は一緒に分けあって食べていたそうです。
多国籍軍の中で、唯一感謝の為のデモ行進と、
まだイラクに残って欲しいと署名活動が行われた事を聞いて、
日本人としての誇りを考えました。