オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

チョウチョ不安定。

2010年01月14日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
パタパタフラフラおっとっと。。。あ~墜落したよこの蝶々。

じゃなくて。
情緒です情緒。情緒不安定です。ってまたオヤジギャグ(苦笑)。

んで、それがどうしたの?ですが。
そのまんまです。最近情緒不安定ぎみ。

でも悪い感じでは無いんですよね。

というのは、これまで安定していた(?)というのは、いわば「低位安定」。
喜怒哀楽の感情をあまり感じない、というところで「安定」していたと。

うつ病のひどい時というのは、「怒と哀」ばかりがココロの中(脳かな?)で増幅されて苦しくて仕方が無い状態。
それが収まって、今度は何を見ても聞いても「(あまり)喜怒哀楽を感じない」という状態。

それが少し前から、徐々にいろんな感情をココロに感じるようになってきました。

んで、それはそれで非常に良いことだと思うんですが。
長患いしたせいか、「正常な哀」に対するココロの持ち方を忘れてしまっている、と。
ココロが感情に振り回されている、というような感じ。疲れる。

出来事は出来事に過ぎないし、感情は感情にすぎない。そのまんまを認めれば良いだけ。
苦しければ理性の力で「感じ方(認知)」を見直してみればいい。
ココロ(というか自分自身)はそれを見て、経験しているだけ。ココロ自身が無意識に感情を増幅したり抑圧したりする必要は無いし、むしろそれは害(過度なストレスとか)になる。

…というのが今のびっきぃが目指すココロの在りようなんですけど(もちろん今後変わっていく可能性はあるでしょう)、今はちょっと中途半端。

感情が戻ってきたものの、まだ上手くコントロール?できていない。
特に、長患いに拡張型心筋症とその他もろもろの出来事がちょっとしたトラウマになっているのも事実だし。
だから特に「哀」に関する感情に振り回されやすい状態なんです。

まあこれも「日にち薬」だと思っていますけどね。

それにこうした回復の波も、全て人生における経験。経験自体に良いも悪いも無いわけで。
今は苦しいけど、その経験はきっといつか活きる時が来ると信じています。

つーか現時点でも、この10年弱で経験したことは何ものにも変えられない経験だったと思っています。少しは活かすことも出来ましたし。

大切なことは経験から何を学ぶか、気づくか、そしてそれをどう活かすか、だと思っています。

ならば、不安定にパタパタフラフラ飛ぶことも大事な経験。
いずれ自由自在に飛び回れる立派なチョウチョになった時、必ず何かに活かすことができる。

だから経験をしっかり味わい、少しでも多くのことを学んだり気づいたりしたいものです。

とはいえ、もう無理はしな~い(笑)。

無理してがむしゃらに頑張ることは、10~20代で十分経験したつもり。
同じことしても人間成長しないし。
「ココロに余裕を持って生きる経験」から学べることもあるでしょう。

予後の悪い難病を抱えていて思うことは、「生きていれば色々な経験ができる。経験すれば学びや気づきがある。それはいつか(ひょっとしたらあの世で)役に立つ。みんなの為になる。」という信念です。

だから出来事は出来事に過ぎない、感情は感情に過ぎない、大切なのはその経験から何を学び、気づくか、だと。
だから自分のココロ(の底)に正直に毎日を過ごしていくんだ、というのが今のびっきぃの「哲学」なのです。

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