オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

復帰後1~2年のワナ?

2011年05月09日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
メンタルの関係で最近気づいたコトです。

「良くなった」と思い込んでいて実はそれほどでもないことが結構あること。
一方で、自覚していないところで良くなっていることも結構あること、と言いますか、「自分にはこんな能力が有ったんだった。」と思い出すようなことも結構あること。

つまり、意欲や気分…と言ったような大繰りなことではなく、その中の細かいコトごとに、自分で思っている状態と実際の状態にギャップが存在していることがわかりました。

そして、復帰後1~2年くらいでそのギャップがかなり大きくなって来るってこと。

…って自分のコトを一般論的に書いているのには根拠?がありまして。
友人の主治医がそう言っていた(とその友人が言っていた)からであります。

「復帰後一年ごろというのは、自分にも“出来る(回復した)”という自信がでて来て、つい必要以上に頑張ったり、元気に振舞ったりしてしまうものだけど、実際は自覚しているレベルまでは回復(特に仕事の能力)していないもの。注意の必要な時期のひとつですよ。」というようなお話でした。

当時の私は復職直前で「そんなもんなんだなー。気をつけよ。」と思っていたのですが。
いやあ、忘れてました(苦笑)。

で、なぜ思い出したかと言うと、ちょっとここのところ「妙な(意味の無い)不安感」を感じることが多く不安定気味だったんですね。
もちろん仕事には支障の無いレベルでの話で、「何なんやろな?」程度にしか思っていなかったんです。

そこでふと先の友人(の主治医)の話を思い出して、「そう考えれば…」と納得?したのであります。

具体的には
やっとまともに仕事がこなせるようになって嬉しい(いや、本当に嬉しいコトなんですよ)もので、ハイになってしまう。
で、前述の通り必要以上(現在の実能力以上)に頑張ったり、元気に振舞ったりしてしまう。
さらには、仕事の内容によっては思っている以上にこなせたりしてさらに自信を持ってしまう。

いやね。自信を取り戻すこと自体は非常によいことだとは思います。

問題は、その自信(自分の能力に対する自覚)と実際の(現在の)実能力との間には、仕事や生活上の細かい部分ごとに“差”があるってことなんです。

確かに病気前の能力まで回復している“部分”もあります。場合によっては病気を経験したことで、過去以上の能力が身に付いたとさえ思えることもあります。

一方で、まだ過去の半分くらいしか能力が戻っていない“部分”もたくさん有るんですね。

そこに気づくことができました。

ちょっと例を挙げて補足すると、例えば野球選手。
バッティング能力は戻っているけど守備はまだまだ。そのバッティングもインコースの球を引っ張るのは良いけれど、アウトサイドの球をミートしてライト前へ流す能力はダメ。守備もゴロの処理はマシだがフライの処理は全くダメ。

…というように、細かい“部分”ごとに能力の回復程度が違う、というコトです。

んで。
その状態で何が問題かと言いますと。
「一番調子の良い(力が戻ってきている)“能力の部分”を見て、“全ての能力”が同様に回復してきている、と錯覚してしまう、というコト。

もしくは、最も調子の良い(回復している)部分を基準にしてしまい、「なぜ他のことはだめなんだ。」と凹んでしまうコト。

それによって疲労を溜めてしまったり、憂鬱になったりしてしまうコト。
逆に、思っているよりも能力が発揮できてしまって調子に乗ってしまうコト。

できることはできる。まだ十分ではないことは十分ではない。一方、予想外にできることもある。
という、そのままの現実を「観察」し続けることが大切なんでしょうね。

その時には自分の願望(もう全て良くなっているはず)を一旦横において、できるだけ客観的に見ること。

…ってそれが難しいんですが(苦笑)

とにかく、「できた」「できない」「めっちゃできた(笑)」が、まだまだ混在しているんだ、ということを自覚しておこうと思います。一喜一憂することなく、ね。

それと同様の状況にあるみなさま。
復帰1~2年後は注意時期だそうですよ~。

パソコンの外科手術。

2011年05月02日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
何が内科で外科なのか、よーわかりませんが。

とにかくドライバー(ソフトでなくて工具ね)使ってパソコンのケース開けて、ハードディスクを換装してフォーマットしてOSをインストール、その他内部のお掃除(特にファン周り)致しました。

つまり、ケース開けてハードディスク換装という意味で外科手術。

数ヶ月前OS(XP)の再インストールをしたことは書きましたが、やっぱり何かおかしい。

んで考えたのです。

・もう寿命?確かにかなり使っているよねー。
・んじゃ基板(マザーボード)かCPUかがダメになった?
・でも、一応ちゃんと動くぞ。何かのはずみで固まる(笑)だけで。
・ということはマザーやCPUは一応まだ生きてる。なら冷却系がNGで熱暴走?。いや、そーいえばずっと前「ハードディスクに物理エラーがなんたら…」、ってメッセージが出たことがあったな…(その時対処しろよ、苦笑)。

で、結論というか術式決定。

今OSが入っている1台目のハードディスク(マスター)を取り外し、2台目のハードディスク(スレーブ)をマスターに変更。
で、完全フォーマットしてOSを導入。

それと内部のお掃除。エアブロアと綿棒で特にファン周りの埃をお掃除して、風量ダウン(してるだろーから)とヒートシンクの冷却効率を改善する、と。

んで作業後。

とりあえず動いています。
固まるような重い作業はまださせてないので改善したのかはわかりませんが…。

ただ、やたらうるさかったファンの騒音(まさに騒音)が多少マシになりました。。。が、やっぱりうるさい。

なんとなくBIOS見てみると5,500rpm。そりゃうるさいわ。
…のくせにCPU温度は48℃! そりゃアカンやろ。。。

と、余計なコト?に気づいてしまったのでファン関係の改造決定。
クーラーごと替えないの?と言われそうですが、今時ソケットAのクーラーなんて売ってないし(びっきぃのPCはathlon XP)。

なので、静音化+冷却効率向上という相反するテーマに突っ込んでしまったのでありました。

つづく…のかなあ???

異動しました。

2011年04月26日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
久しぶりの書き込みですねー。

タイトルの通り4月から異動致しました。
変わらず会計畑ですが、今度はいわゆる純経理(決算とか)になります。
関連会社の業務請負いというカタチで、勤務地は大阪のまま。

つーか、以前の部署と同じフロアで約20~30m?(直線距離)の異動というか移動(笑)。
仕事は以前やっていたコト(といっても完全にマスターしているわけではないんですが、苦笑)。

んで、ここしばらく旧業務の引継ぎと新業務(のお手伝い状態)との平行状態でバタバタしてました。
といっても、大昔(といっても15年前程度か)自動車部品用素材の開発・営業やってた頃に比べればずいぶんマイペース。

つーか、今思えば昔が異常だったんだよねー。業界が、というのもあるけど自分自身の働き方や生き方がね。「異常」という言い方は悪いのかもしれないけど、一生懸命すぎたというか一生懸命の意味を間違えてたというか。。。

…まあそんな昔のコトよりこれからですからね。

そー思えば最近びっくり致しましたことがありました(何だその日本語)。
自分の頭の回転というか理解力・思考力というものがアップしている、ってコト。

具体的には新しい会計基準たちのお勉強。
以前はひとつひとつの概念を理解するのにすごく時間がかかっていたんですね。ずっと。
なので実務に応用するのにはさらに時間がかかっていたわけでして。

それがここ最近、スーっと頭に入ってきます。

うーん。これは何?
この歳になっていまさら頭が良くなるコトもないだろうし、やっぱりメンタル異常の影響で、思考力も衰えていたんんだねー。…としか思えん。

まあ、うつ病というか「うつ病の症状」は「脳が故障」(言葉悪いかなぁ?)することですからね。さもありなんです。

つーことは、やっと脳の機能(心ではなく情報処理器官としての脳)が本格的に回復していると思ってよいのでしょう。
この状態で安定すれば、減薬も視野に入るのかなあ。

抗うつ薬と、心筋症のお薬(βブロッカーとか)は相性も良くないみたいだしね。
実際、心筋症のお薬は朝、抗うつ薬は寝る前、と時間差をつけて服用しています。

ま、それはそれ。
ココロの方も、本来の自分らしさを取り戻して生活できるようにしていきたいと思っています。

というか、ここ8年?9年?(もう忘れた…苦笑)の苦しみ(というか「出来事」であり「経験」というべきかなあ。「苦しみ」は、自分の反応に過ぎないからね。)と、ここ数年の哲学的思考(?)から得たモノ・知恵・その他もろもろを加えてバージョンアップした”本来の自分”というものを表面化させることができれば、”どんなときでも”明るく楽しく(さらにはあらゆる宗教が説く”愛で在る”状態で)生きて行けるんじゃないかなあと思っていますし、そういう知恵のサワリは判ってきたような気がするんですが。。。???

いつか死ぬときに、「いい人生だった」と何かと比較して評価するのではなく、「価値のある人生を生きた」って自分で自分を認められればいいのかな?

つーか、「生きている限り、人生を価値あるものにしようと生きる。そのプロセスに価値がある。」と。

…で、「価値」って何?(苦笑)

海水温上昇中。

2011年03月03日 | 徒然雑草(釣りのこと)
つーことで(何が?)お気楽記事。

びっきぃのホームグラウンド?である明石界隈の海水温が上昇し始めました。やっほー。
最低温だったころから約1℃近く上昇してます。

これでお魚さんたちもエサを追う元気が出始めるかな???

???なのは、今年の冬はかなり水温が下がっていたので、1℃上昇したといってもようやく昨年の一番冷えていたころの温度(苦笑)。

ベテランさんたちによると、絶対的な水温より前日や前々日からの相対的な温度の変化の方が影響が大きいらしいんですが。
とはいえねぇ。この真冬の低水温でもそーなのかしらん? しかも北日本並に冷え込む瀬戸内海(って最近知りました)。

「あ~、今年の冬はよく冷えたけどずいぶんマシになったねー。ちょっとお出かけして食事しよっか?」というノリになるのか、「う~、ちったぁマシにはなったどまだまだ冷えるわ。もうちょいおとなしくしとこ。」なのか?
え、いやお魚さんたちのキモチがね(笑)。

って考えてわかるはずもないので、今度の週末も愛用の短竿持ってイノシシ村から山を下るのでした(たぶんね)。


なんとなく苦しいこと。というか普段考えていること。というか考えてしまっていること。

2011年03月02日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
思いつくままの雑文です。

どーも楽しいことがない。つーか楽しめない
釣りにしても、最近はなんだか義務感?で行っているような(苦笑)。というか何もせずボーっとしていられないから出かける必要があって、ならば一日つぶせる釣りになっている、というところでしょうか。
とはいえそれなりに楽しい(気持ちいい)から一日海辺に居られるんだろうけどね。

オカリナも楽しんでいた、というより、当時毎日公園へ通うという生活リズム作りのための手段だったようです。
こちらも、オカリナそのものを楽しんでいたというより、「上達すること」が楽しかった?ように思うなあ。

どうも、何をするにも「~のため」という理由付けを必要とする心のクセがあるようです。
逆にいうと目的のない(ただ楽しむだけの)行動ができない、
ということでしょうか。

ところで拡張型心筋症のこと。
予後がかなり良いとはいえ、いつ再発して死ぬかもしれない病気であることは事実。
そもそもの原因が判らないんだから、どんなときに再発するかも判らないわけで。

死ぬこと自体に怖さはないが、何か生きる気合が入らない。逆に生きる気力が萎える時がある。生きることが馬鹿馬鹿しく思えてしまう時がある。うーむ。
ということは、「死」に対する本当の覚悟はまだ出来ていない、ってことなのかなあ。

一方で、人生は生きることそのものに意味がある、生きる過程、経験をしていくことに意味があるとも思っています。
その意味で、自分の心の認知の歪みにしろ、それによるうつ病にしろ、難病にしろ、それらが原因となった様々な苦しみにしろ、すべてかけがえの無い経験をしている、と思ってはいます。


で、メンタルのこと。
うつ症状(脳の異常)はほぼ回復した状態です(薬のサポートは必要だが)。
一方自分のスキーマの歪みの内容が判ってきた感覚です。しかも強い歪みのようですね。
表面的には、自己否定感、取り越し苦労の不安・焦り、根拠のない悲しみ、といったものがまだまだ振り切れない。
ま、原因が判ったからといってすぐ対応できるものでもないけどね。病気に限らず何でも。

喪失感のこと。
以前に比べればずいぶんマシにはなっている。むしろ忘れたころにふと思い出す程度。
家族(家庭)、家(住宅)、健康、スポーツ(競技)、それとまあ収入もか…
いまさら、世俗的な成功(お金持ちになるとか出世するとか)に対しては全く関心がなくなりましたが。
まあ現実問題として、もうちょっとお金は欲しいけどね(笑)。

「感情」について。
例えば「苦しみ」。
「苦しみ」は「苦しむ」から「苦しい」んだ。と思っています。
「苦しむ」ことと「苦しみを感じる」ということは違う。

それは以前、「悲しみ」を素直に「そうか、俺は悲しいんだね」とそのまま認めることで、ものすごく「安心感」を得られた経験からそう思うのです。
「悲しんでも仕方が無い」と心を抑えつけると、さらに悲しく、そして苦しくなってたことに気づきました。

自分の感情を、自分が認めてあげること。これがまず私のような認知の歪みの傾向を持った人間に必要なことなんだろうと思う。
もっとも、うつ病の極期にそんなことはできないけどね。するべきでもないだろうし。

ただ、上手く自分の「感情」を認めることができると、自分に対する「意味の無い不安」や「意味の無い焦り」が消えていく経験はありました。
さらに自分に対する絶対的な自信のようなものも感じました。それは他人と比較しての優劣ではなく、ただありのままこの世に存在していてもいいんだ、というようなもの。「自信」という言葉とはちょっとニュアンスが違うかな、と思います。

これが心に根付けばもっと楽に生きられる、そして経験からもっと多くのことを学ぶことができる、と思う。

何にせよ、もうそろそろ「少しは」穏やかに毎日を暮らせるような心の在り様をマスターしたいものです。って「本当に」毎日穏やかだったらそれはお釈迦様かイエス様たちのような悟りを拓いた人たちだよ(苦笑)。なので「少しは」です。

近づいている実感はあるんだけどね。。。(笑)

大蔵海岸に哲人現る。

2011年02月12日 | 徒然雑草(釣りのこと)
いやあ、今日釣り場で出会ったおじさんなんですが。

なんだかびっきぃと、釣りの楽しみ方(作戦立てたり仕掛け作りが好きとか、そのくせ釣り場に来れば海眺めてボーっとしてるとか、笑)が似ているようで雑談に花が咲いたんですが。

そのときにおじさんが言ったことに妙に感じるトコロがありまして。

曰く、「釣りは『楽しみ』を釣るんだよね」。


……… うーむ。深い。深い言葉だ。

釣りに限らない感じもしますねー。
「楽しみ」も人それぞれだし。

うん、今日はよい「釣果」に恵まれました。護岸の上で(笑)。

え? 護岸の下の釣果? この季節につまんないこと聞くんじゃありません(笑)。

大相撲の八百長疑惑から法治国家のあり方について考える。

2011年02月06日 | 時事ネタ(独善的見解)
ほーんと、久しぶりの時事ネタ。

ずっと自分のことで精一杯だったからね(苦笑)
よーやく世の中の出来事に「ツッコミ」入れてみようかな、という気分になったのであります。

んで、

例によって結論から申しますが、今回の一件、「日本相撲協会」に罪はあるのかいなぁ。興行中止や公益法人の認可取り消しというペナルティを受けるほどのことななのかな、と思うのです。

とういうのは、わが国は法治国家であります。

法治国家というのは、人間の精神(良心?)が法律を必要としないまで進化するまでの、次善の社会システムだと思うんですね。

という法律論に基づいて(ってびっきぃは法学の専門家ではありませんが)で今回までの大相撲に関わる不祥事を振り返って検討するとどうでしょ。

「日本相撲協会」に落ち度はあったかなぁ?っと。
協会の構成員に対する監督責任のレベルじゃあないのでしょーか?

罪に問われるべきは、八百長した力士たち個人個人に過ぎないと思うんです。
野球賭博もそう。

法的にはそういう解釈になるのかなあと。ただ公益法人の構成員だから、特別背任レベルの罪には問うべきかもいれませんが、それは専門家が判断すること。

よって、日本相撲協会には監督責任以上の落ち度は無い、少なくとも法的にはね。と思っています。

んじゃなんで、まだ背景もはっきりしてない現段階で、所管の大臣までが認可取り消しに言及するコメントまで出して、諸悪の根源は日本相撲協会にあり、という「空気」になちゃってるんでしょうね。

まさに「空気」だと思うんです。
立て続けに「裏切られた」気分のファンにとっては理屈も論理もなく、怒りの矛先は当然元締の日本相撲協会に向きますわなあ。
その気持ちはびっきぃにもよくわかります。何気に相撲ファンだったりするので。

んで、また大衆迎合主義のマスコミが煽る。
すると、ホントに日本相撲協会が「すべて」悪い、という「空気」が醸成させる。

この勢いで公益法人の認可取り消しなんてことになると、それはもう法治国家の姿ではないと思います。

繰り返しますが、人治国家でもいいとは思うんですよ。ただしそれは国民一人ひとりの心が十分に成長し哲学的かつ根本的・基本的な価値観を共有できるくらいにまで成熟した時、の話です。

今はまだ人類は法を持って価値観の共有化を図っているわけでして。

なので今回思うんです。
このままの「空気」で日本相撲協会の公益法人認可取り消し、なんてことになると、わが国は法治国家ではなくなってしまう、とつい大げさ(でもないよな)に考えてしまうのでありました。



押し付けオカリナ。

2011年01月29日 | 徒然雑草(オカリナ・ハーモニカのこと)
ちょ~久しぶりのオカリナネタでございます。

といってもびっきぃ自身ではございませんで。

とある10歳の女の子に無理やり?オカリナを買い与えたのであります。

といっても、千円のプラスチックオカリナ(でもナイト製)。
だって十分じゃん。プラオカで。

んで。

10歳の女子は早速楽器屋さんの前でプ~と音を出したのであります。
いやあ驚いた。
さすが頭の柔らかいお子様。
10分もすればC~Cまで1オクターブスムーズに出すじゃないすか。

もちろん、息圧のコントロールはわかってないので少々の音程のブレはあるものの。

学校のソプラノリコーダーとは違う音色が気に入った様子。しめしめ(笑)。

つーか、違う音色を教えてやりたいと思って、アルトCを持てる手の大きさになるまで待ってたびっきぃなのです。
だってソプラノCじゃリコーダーと大差ない(こともないけど子供の耳にはね)。

それはそれとして。

びっくりしたのは、そのプラオカの音。
結構いい音だすんですよ。マジでびっくりしました。

びっきぃの「風雅改」の立場は…、とまでは言いませんが。

ナイト恐るべし。

でもやっぱりナイトの音。ちょい硬め。
だけど、なつかしのナイト・プロヴァンスよりは吹き方次第で柔らかい暖かい音色を出せそうなポテンシャルを感じました。

ナイトさんよぉ。
プラスチックでそんないい音だしてたら、本物?買う気なくなるぜぇ(笑)。


そーいえば、逆パターンもあったんだった。

2011年01月25日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)

なんの逆?

「他人の評価に依存せず、自分で自分を安心させ自信を持たせる」ということの「意味」がようやく理解できて、実践できつつある、ということを前々記事に書きましたが。

それはそれで非常に大切、というか我が人生において、ものすごく大きなターニングポイントになるだろうとすら思われるコトなのですが。

んで。

そんな状態を約一ヶ月続けて来て、心に根付き始めたかなぁ、と思っていた昨日、ハタと気づいた(思い出した)のであります。

それが「逆パターン」。

つまり、「他人からのマイナス評価に対する、過度の敏感さ」がまだまだ残っているな、と気づいたのです。

まさに表裏一体のお話。早く気づいてよかった(笑)。

自分が「過度の敏感さ」を持っていることと、その原因は以前から判っていました。
「マイナス評価」というのは、あくまでも自分の「行動」や「考え方」に対する評価であり、批判・批評なわけです。
でもそれを、自分の人格(尊厳と言ってもいい?)を否定されているように受け取ってしまう、という心のクセが原因です。

こういったコトも素直にありのまま受け容れ、反省すべきコトは反省する。但し、あくまでも「行動・考え方」に対する批判であり、自分の尊厳を責められているわけではないということを心に根付かせる必要があります。

結局のトコロ、そういう風に何でもかんでも「自分の深いトコロ」まで責められている、と思うことで(責めているのは他でもない自分自身なんですが)、どんどんココロが苦しくなっていったわけでして。

まあ、これの対策?は「練習」でしょうね。
マイナス評価・批判を受けた時に、「何に批判を受けたのか」を冷静に把握する練習です。
「どの行動のコトなのか」「どんな考え方のコトなのか」ですね。
そして、自分の尊厳を否定するような攻撃?を受けることはほとんど無い(少なくとも今の社会生活の中では)、という大前提をしっかりとココロに植えつける、と。

また、「自分に対する自信」は「自分の存在・尊厳」に関わるものであり、他人からのマイナス評価・批判は「自分の行動・考え方」に関わるもの。

そういう全く違う尺度を混乱させてしまわないように、というコトでもあります。

来たぁ!アイナメ27cm。

2011年01月18日 | 徒然雑草(釣りのこと)
…どこの釣り新聞の見出しだよ(苦笑)

だって、びっきぃにとっては十分大物なもので。
つーか大蔵海岸のアイナメにしても良いサイズでしょ。たぶん。

で。

本当に嬉しかったコトは、狙って釣れたってコト。
つまり今回は、数よりも大きなアイナメorガシラ狙いだったのです。

なので竿を出す場所は、以前から目をつけていたシークレットポイント(笑)。普段そこで竿出ししないのは、季節風がモロに当たる場所だから(弱々)なのですが。

今回は水温の下がり具合を見ても、小物の数釣りはできんと判断して大きめ狙いにしたわけです。

で、普段の釣り方と何が違うかと言うと。

ハリ大きくしました。
普段はチヌ3号か同じくらいの大きさのメバル針。
今回はチヌ5号(爆)。だって、根魚はお口が大きいんだもーん。
結果ジャストサイズでした(たぶん)。

それとエサ。
普段はシラサエビですが、今回はサンマの切り身(エサとして冷凍モノを売っています)。
理由は…、何かでサンマの切り身なら大きなガシラが釣れるって聞いたから(笑)。
それと、ハリの大きさとのバランス。

あとは普段と全く一緒の超簡単探り釣り仕掛け。「仕掛け」なんて言うのもおこがましい程の簡単仕掛けです。だって、根がかりしてロストするコトも多いからね。シンプル・イズ・ベストです。
って仕掛け作りが面倒なだけとも…(苦笑)

まあ同じ探り釣りとはいえ、探り方はかなり変えました。底の状態がいつもと違うので。

ということでアイナメそのものよりも、「作戦大当たり!」が嬉しいびっきぃなのでした(笑)。

メンタル状態、良い感じ続いています(まぁ一応)。

2011年01月18日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
あ、みなさま明けてましたのでおめでとうございました。
…って去年も書いたな(苦笑)。

ま、それはそれとして。

最近、ずいぶんと「かつての自分」が戻ってきたように思います。
一言で言えば、以前の記事の通り「生きる気力」ってコトですね。
これが出てきてから、かつての「気合」だの「明るさ」だのといったものが少しずつ戻ってきています。

そして、何より大切なのは「自信」を持てるようになってきたこと。
実はこれは以前とは全く違うモノです。表面的には同じようですけど。

かつての自分が持ってた自信というのは、他人の評価に依存したもの。
仕事にしろ人間性にしろ、他人が認めてくれることで、自分の自信(というか“自分自身=自我?”)を支えていました。

そして、それしか自分を支える方法を知りませんでした。

今は違います。もちろん他人に良い評価をしてもらえれば当然嬉しいものですし、自信にはなりますけど、それは二次的なもの。

あくまで、「自分で自分を認める」んだ、ということの“意味”や“心の持ち様”がようやく判ってきました。
というのは、「自分を認めましょう」って、メンタル系の本には必ずと言っていいくらい書かれていますけど、その方法どころか“意味”がわかんないんですよね。他人の評価に依存して長年?生きて来て、結果疲れきってしまったびっきぃのような人間には。

つーか、「他人の評価に依存して生きている」ってコトすら自覚してない(できない)ものだし。

それがようやく判ってきました。というか「悟って来た」と言った方がイイのかもね。
物心ついてから四十年弱自分を縛り付けていた考え方、つまり自分にとっては当たり前の生き方(でも、ものすごくしんどい生き方)から、解放されてきた感じです。

直接的なきっかけは、12月ごろからの「感情を素直に感じる」ということができるようになったコト。

以前は出来なかったんですよ。
2つの病気以前はそんなこと考えたこともなく(無意識)、病気以後は、例えば「悲しみを素直に感じたりなんかすると、さらに泥沼に陥ってしまう。」という(意識的)状態で、ずっと抑圧していた、と。

まあ、病後に、意識的に感情を抑えてたのは止むを得ない状況ではありました。
「あの時期」に「感情を素直に感じる」なんてことやってたら、本当に泥沼に陥って、自暴自棄に陥ってしまって(いや、結構堕ちたか…苦笑)、取り返しのつかないことをしてたかもしれない。

なのでタイミングなんでしょうね。
自分にとって良い時期に「感じる」ことができるようになった。逆に言うと「感じる」コトが出来るようになったから、良い時期になっている、とも言えるかも。

んで、何が「良かった」かというと、「自分で自分を安心させる」コトができるようになったということ。

これは驚きでした。
例えば、「そっか、俺は悲しいんだね。辛いんだね。」と思う(心から「認める」)ことで、心の根っこ?の部分が安心し始めたんです。心の表面はやっぱり悲しいんですけど。

でも場合によっては、「悲しんでいる自分を客観的に観察している自分」を感じたりなんかして(訳わかんないコト言ってるね。苦笑)

てなことを繰り返していると、自然に「しっかしお前(自分のコト)、今日までよく頑張ったなあ。というか頑張ってるなあ。」という気持ちになったのであります。
で、以前の記事どおり、休日前夜布団の中でひたすら自分を褒め続けてみたわけであります(笑)。

そうすると。
「安心感」がバージョンアップして「自信(というか生きる気力)」になってきたわけです。

それからですねー。昔のように冗談言ったり、職場でも自分らしく働けるようになってきたのが。
気分良く(悪くなく)過ごせる時間が倍増しました。

そんな感じで約3週間経ったというトコロ。
まだまだ不安定(誰にでもある“波”ではなくて、フラフラしている、ってこと)ではありますが、一応3週間維持できてる、無理せずに、ってことがすごく嬉しい。

しばらくこの調子を維持していようと思います。
そうすれば、またそのうち一段上がる時期が自然にやって来るでしょう。

ビストロちゃん大手術。

2010年12月27日 | 徒然雑草(クルマのこと)
久しぶりのクルマネタです。

びっきぃの愛車、平成8年式 スバル ヴィヴィオ ビストロ(形式E―KK3 自然吸気SOHC直列四気筒 最大トルク…もういいって)。

ずっとヘッド周りからオイル漏れがあったんですが、ようやく修理してきました。

というか、メインはタイミングベルトの交換。
平成8年式で、まだ換えてなかったの? と言われそうなんですが(苦笑)。

とにかく、タイミングベルト+ファンベルト類、ヘッドカバーガスケットとカムシール&クランクシール(リア側のみ)、ついでにウォーターポンプ。

よーするに、一度にやった方が工賃が安上がり、というコト。

んで。

一週間経ったトコロ。
オイル漏れ完全にストップ。

これで安心してピークパワーまでブン回せるぜ、と20代の若造が思うよーなコトを嬉しく思う、不惑のびっきぃなのでありました(苦笑)。

自分を誉めまくってみました。

2010年12月27日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
ま~た酔っぱですが。

先々週かな?
自分を徹底的に誉めてみました(笑)。

自分の感情を素直に感じるコトを繰り返してると、自分を誉めてみたくなったわけであります。

と言うか、ようやくそーゆー気持ちになれたと言うか。

あんな経験して、よく今生きてるな、から始まって。

気が付けば遥か昔の自分をも誉めまくってました(苦笑)。

もちろん自分なんかより辛い思いをしてる人が数え切れない程居るのはわかってる上でね。

そーすると。

これまで他人の評価に依存してた自分から卒業して、自分で自分を認められるよーになったよーな。

それに伴って、気合いというか、生きる気力が甦った感じ。

鏡みて、眼に力が戻って来たなあと感じる状態です。

そろそろ、ここらでまた一花咲かせようと言うか、もう一度会社(いや、社会に)に一泡吹かせてやろうか、という気合いが戻って来ました。

ようやく、ワタシのスキーマであるファイターの血が甦った感じですねー。

というコトで日本人の皆様、覚悟してね(笑)。

タイコリールにハマってしまいました。

2010年12月15日 | 徒然雑草(釣りのこと)
まーた釣りネタです。

明石海峡大蔵海岸の探り釣り師(自称)の最近のお気に入りはタイコリール。

両軸リールの方が何かと便利ではあるんですが。

つい買ってしまった超格安タイコリールが気に入ってしまいました。

お魚とのダイレクトな感覚というか、糸の出し入れの面白さというか。

つーことで、竿とリール合わせて5千円しないタックルで、ガシラ二桁上げてる週末です。

でもそろそろアイナメが欲しいなあ。

感情に苦しむ。感じる。感情を感じる。

2010年12月15日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
えー、多少酔っぱですが(久しぶり)。

最近わかったコト。

やっぱり自分の感情をありのまま受け容れていない、ってコト。

例えば「悲しみ」。
悲しみをそのまま感じるのではなく、「悲しむべきじゃない」とココロを無意識に抑えつけていたこと。

だから「悲しい」ではなくて「苦しい」になってたコト。

「悲しい」を素直に悲しいと感じるコトで、自分のココロが安心するコト。

感情を抑えつけることで自分を苦しめていたコト。

素直に感じるコトで、悲しまずに悲しむコトすらできるってコト。。。

人間のココロって不思議なモノです。