あ、みなさま明けてましたのでおめでとうございました。
…って去年も書いたな(苦笑)。
ま、それはそれとして。
最近、ずいぶんと「かつての自分」が戻ってきたように思います。
一言で言えば、以前の記事の通り「生きる気力」ってコトですね。
これが出てきてから、かつての「気合」だの「明るさ」だのといったものが少しずつ戻ってきています。
そして、何より大切なのは「自信」を持てるようになってきたこと。
実はこれは以前とは全く違うモノです。表面的には同じようですけど。
かつての自分が持ってた自信というのは、他人の評価に依存したもの。
仕事にしろ人間性にしろ、他人が認めてくれることで、自分の自信(というか“自分自身=自我?”)を支えていました。
そして、それしか自分を支える方法を知りませんでした。
今は違います。もちろん他人に良い評価をしてもらえれば当然嬉しいものですし、自信にはなりますけど、それは二次的なもの。
あくまで、「自分で自分を認める」んだ、ということの“意味”や“心の持ち様”がようやく判ってきました。
というのは、「自分を認めましょう」って、メンタル系の本には必ずと言っていいくらい書かれていますけど、その方法どころか“意味”がわかんないんですよね。他人の評価に依存して長年?生きて来て、結果疲れきってしまったびっきぃのような人間には。
つーか、「他人の評価に依存して生きている」ってコトすら自覚してない(できない)ものだし。
それがようやく判ってきました。というか「悟って来た」と言った方がイイのかもね。
物心ついてから四十年弱自分を縛り付けていた考え方、つまり自分にとっては当たり前の生き方(でも、ものすごくしんどい生き方)から、解放されてきた感じです。
直接的なきっかけは、12月ごろからの「感情を素直に感じる」ということができるようになったコト。
以前は出来なかったんですよ。
2つの病気以前はそんなこと考えたこともなく(無意識)、病気以後は、例えば「悲しみを素直に感じたりなんかすると、さらに泥沼に陥ってしまう。」という(意識的)状態で、ずっと抑圧していた、と。
まあ、病後に、意識的に感情を抑えてたのは止むを得ない状況ではありました。
「あの時期」に「感情を素直に感じる」なんてことやってたら、本当に泥沼に陥って、自暴自棄に陥ってしまって(いや、結構堕ちたか…苦笑)、取り返しのつかないことをしてたかもしれない。
なのでタイミングなんでしょうね。
自分にとって良い時期に「感じる」ことができるようになった。逆に言うと「感じる」コトが出来るようになったから、良い時期になっている、とも言えるかも。
んで、何が「良かった」かというと、「自分で自分を安心させる」コトができるようになったということ。
これは驚きでした。
例えば、「そっか、俺は悲しいんだね。辛いんだね。」と思う(心から「認める」)ことで、心の根っこ?の部分が安心し始めたんです。心の表面はやっぱり悲しいんですけど。
でも場合によっては、「悲しんでいる自分を客観的に観察している自分」を感じたりなんかして(訳わかんないコト言ってるね。苦笑)
てなことを繰り返していると、自然に「しっかしお前(自分のコト)、今日までよく頑張ったなあ。というか頑張ってるなあ。」という気持ちになったのであります。
で、以前の記事どおり、休日前夜布団の中でひたすら自分を褒め続けてみたわけであります(笑)。
そうすると。
「安心感」がバージョンアップして「自信(というか生きる気力)」になってきたわけです。
それからですねー。昔のように冗談言ったり、職場でも自分らしく働けるようになってきたのが。
気分良く(悪くなく)過ごせる時間が倍増しました。
そんな感じで約3週間経ったというトコロ。
まだまだ不安定(誰にでもある“波”ではなくて、フラフラしている、ってこと)ではありますが、一応3週間維持できてる、無理せずに、ってことがすごく嬉しい。
しばらくこの調子を維持していようと思います。
そうすれば、またそのうち一段上がる時期が自然にやって来るでしょう。
…って去年も書いたな(苦笑)。
ま、それはそれとして。
最近、ずいぶんと「かつての自分」が戻ってきたように思います。
一言で言えば、以前の記事の通り「生きる気力」ってコトですね。
これが出てきてから、かつての「気合」だの「明るさ」だのといったものが少しずつ戻ってきています。
そして、何より大切なのは「自信」を持てるようになってきたこと。
実はこれは以前とは全く違うモノです。表面的には同じようですけど。
かつての自分が持ってた自信というのは、他人の評価に依存したもの。
仕事にしろ人間性にしろ、他人が認めてくれることで、自分の自信(というか“自分自身=自我?”)を支えていました。
そして、それしか自分を支える方法を知りませんでした。
今は違います。もちろん他人に良い評価をしてもらえれば当然嬉しいものですし、自信にはなりますけど、それは二次的なもの。
あくまで、「自分で自分を認める」んだ、ということの“意味”や“心の持ち様”がようやく判ってきました。
というのは、「自分を認めましょう」って、メンタル系の本には必ずと言っていいくらい書かれていますけど、その方法どころか“意味”がわかんないんですよね。他人の評価に依存して長年?生きて来て、結果疲れきってしまったびっきぃのような人間には。
つーか、「他人の評価に依存して生きている」ってコトすら自覚してない(できない)ものだし。
それがようやく判ってきました。というか「悟って来た」と言った方がイイのかもね。
物心ついてから四十年弱自分を縛り付けていた考え方、つまり自分にとっては当たり前の生き方(でも、ものすごくしんどい生き方)から、解放されてきた感じです。
直接的なきっかけは、12月ごろからの「感情を素直に感じる」ということができるようになったコト。
以前は出来なかったんですよ。
2つの病気以前はそんなこと考えたこともなく(無意識)、病気以後は、例えば「悲しみを素直に感じたりなんかすると、さらに泥沼に陥ってしまう。」という(意識的)状態で、ずっと抑圧していた、と。
まあ、病後に、意識的に感情を抑えてたのは止むを得ない状況ではありました。
「あの時期」に「感情を素直に感じる」なんてことやってたら、本当に泥沼に陥って、自暴自棄に陥ってしまって(いや、結構堕ちたか…苦笑)、取り返しのつかないことをしてたかもしれない。
なのでタイミングなんでしょうね。
自分にとって良い時期に「感じる」ことができるようになった。逆に言うと「感じる」コトが出来るようになったから、良い時期になっている、とも言えるかも。
んで、何が「良かった」かというと、「自分で自分を安心させる」コトができるようになったということ。
これは驚きでした。
例えば、「そっか、俺は悲しいんだね。辛いんだね。」と思う(心から「認める」)ことで、心の根っこ?の部分が安心し始めたんです。心の表面はやっぱり悲しいんですけど。
でも場合によっては、「悲しんでいる自分を客観的に観察している自分」を感じたりなんかして(訳わかんないコト言ってるね。苦笑)
てなことを繰り返していると、自然に「しっかしお前(自分のコト)、今日までよく頑張ったなあ。というか頑張ってるなあ。」という気持ちになったのであります。
で、以前の記事どおり、休日前夜布団の中でひたすら自分を褒め続けてみたわけであります(笑)。
そうすると。
「安心感」がバージョンアップして「自信(というか生きる気力)」になってきたわけです。
それからですねー。昔のように冗談言ったり、職場でも自分らしく働けるようになってきたのが。
気分良く(悪くなく)過ごせる時間が倍増しました。
そんな感じで約3週間経ったというトコロ。
まだまだ不安定(誰にでもある“波”ではなくて、フラフラしている、ってこと)ではありますが、一応3週間維持できてる、無理せずに、ってことがすごく嬉しい。
しばらくこの調子を維持していようと思います。
そうすれば、またそのうち一段上がる時期が自然にやって来るでしょう。
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