オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

てゆーか、それは「適応思考」とちゃうやん。

2010年12月08日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
前記事への自己ツッコミです。読み返してちょっと考えて思いました。

> んで何が問題かというと。
> この「(びっきぃ流)プチ認知療法」に慣れてきてしまうと、嫌な気分になり「そう」という段階で「適応思考」を探して、本来の自然な感情を抑え付けてしまう場合がある、ということ。

いや、あのね。
そもそも感情を抑えつけなくてすむ考え方のことを「適応思考」と言うのであって。

…ま、いいや。これからこれから。

それよりも、「感情をありのままに感じる」ことをまず意識しないとね。ワタシの場合。
そんなフツーのことが出来ない(知らない)ままこの歳、というかココロが壊れるまで生きてきたわけでして。

感情を感じる、というのは自分を大切にすること。
自分を大切にするというのは、表面的なことではなく、自分の存在とか尊厳?とかいう本質的なものを「無条件に自分が認められる」ようになること。

ずーっと、周りの評価だけで自分が出来上がってた状態だったからね(あ、まだ進行形でもあるか、苦笑)。
で、評価されるためにあらゆることに完全を期したい、でもそんなの無理だから、とにかく批判されないよう限界まで頑張る。
というか、ワタシみたいなタイプの人間は、ココロに「限界」があるなんて考えもしなかったわけだし。
「大したことじゃない、もっと頑張れるはず。」
んで、「よくやったな」って自分を褒めるどころか、「まだまだやな、もっともっと上手いことやれたで」とハッパをかける。

そーゆー自分を縛り付けている思考(これはもう中核信念=スキーマだね)から、自分を解放していくことが、これからの目標です。
それはきっと、ゴールの無い目標なんでしょうね。でもそれだから(ってどれだから?)生きていけるのかもね。

…てなことでここ2~3日すごしているんですが、なんか気分が安定している感じ。
自分で自分の感情を、まずはそのまま認めてあげることで、自分自身が安心しているよーな。

なんか、自分の中に2つの存在があるみたい(笑)。
一つは感情を生み出したり体動かしたりする、いわば計算機(演算機?)としての脳。
もう一つは、その計算機を制御している良くわからない実体。現れたり消えたり。

でもこの良くわからない実体が本質的な自分自身のような気がするなあ。

…って、何のハナシだったっけ(苦笑)。
それに、メンタル異常の経験のあるヒトじゃないと、何を言っているのか判らんかもねえ(苦笑)。
「感情を感じる」だの、「自分を大切にする」だの…(苦笑)。

認知療法のワナ?

2010年11月29日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
決して一般論ではありません。
あくまで私自身のハナシです。

認知療法って何よ?…というお話はブログの記事で書ける量ではありませんし、私も専門家ではございませんので、詳しくは書きません。
とにかく、出来事をどう感じるかには個人差があるわけで、その差は、「出来事→その人なりの感じ方→感情」という仕組みになっているからだそうです。

この「その人なりの感じ方」を「認知」と言うわけですが、思考パターンとか砕けた言い方もできます。その人の基本的な性格・価値観といったもの(スキーマ=中核信念)に影響を受けています。

んで。
嫌な感情が湧いてきた時など、「何が起こって→どう考えて(自動的に湧いてきた思考)→どんな気持ちになったか」、を分析(紙に書き出す、とか)して、自動的に湧いてきた思考(自動思考と言います)=そのときの認知、とそれによって起こった感情を把握します。

で、他の考え方は無いかな、とブレーンストーミング的に探します。
その結果、「こう考えれば(こう出来事を捉えれば)」嫌な気持ちにならなくてすむ、という「考え方」が見つかれば、自動思考をその思考(適応思考と言います)に置き換えます。

これはそもそもの「認知の傾向が歪んでいる」人の為のものです。
なんでもネガティブに見てしまうとか、取り越し苦労のクセがあるとか、たくさんあります。
その原因もたくさんありますが。
この「認知の歪み」が、うつ病患者など精神疾患の人に多く見られるということで、認知療法は治療に取り入れられたりしています。

んで、私は復職支援センター時代にこの認知療法に取り組み、今ではいちいち紙に書き出さなくても、とりあえず認知の切り替えができるようになりました。
これがときどき出てくる「びっきぃ流プチ認知療法」なんですが…。

いやあ、「慣れ」ってコワイもので。
この「プチ認知療法」にコワイ落とし穴があることに気づきました。
というか「すでに落ちている」コトに気づきました(苦笑)。

あ、繰り返しますがあくまで私個人のハナシですから。認知療法の一般論ではありません。

んで何が問題かというと。
この「プチ認知療法」に慣れてきてしまうと、嫌な気分になり「そう」という段階で「適応思考」を探して、本来の自然な感情を抑え付けてしまう場合がある、ということ。

つまり本来ならば、「嫌な気分」になってから、その理由は?他に考え方は?という段取り(?)を追うことで意味があるわけなんですが、途中を端折ってしまっている、と。

例えば、誰かの話にカチンと来た場合。
(この例の場合、客観的に見てカチンとする必要も無い話なのに、という状況と思ってください。「認知の歪み」を持っているが故にカチンと来てしまっていると。)

本来なら、「何を言うねん。ムカつくわぁ。」と自動的に怒りを感じてから、「まあまあ、奴も○○なのかもしれないよ。他にも…」ってな適応思考を考え出して、怒りを抑えていく(自分を納得させる)、というのがスタイル。
で、そういうことを繰り返すことで、基本的な認知の歪みを直していきましょう、と。

ところが最近のびっきぃ。
カチンと来た瞬間に自動思考を追い払って、適応思考に置き換えてしまっています。
これは認知の歪みが治ったのではなく、適応思考の作り方が上手くなった(?)だけ。
だって、一瞬「カチン」と来ているわけですから。

自動思考による感情(この場合は「怒り」ですね)は一旦しっかり感じて、自分でその感情を受け入れた上で、適応思考を考えなくてはなりません。
なぜなら、「自動的な適応思考(ややこしいな)」では、かつて感情を抑圧していた頃と、本質的に同じだからです。

かつては「怒り」を感じても、それを表現できずただ我慢した。
今は「適応思考」という理屈で抑え付けている。

自分の認知の傾向の結果である「怒り」を、自分で認めず受け入れていない、つまり「抑圧している」ということでは同じだと。

日々の出来事に対する「対応法」としてはそれでいいかもしれないけど、本質的に自分の感じ方を改善しようと思ったら、それではダメですねえ。というか逆効果。
まず、自分で自分を認めるコト(精神疾患の人間にはものすごく深~い意味があります)がすべての始まりですからねー。

というコトに気づいた最近なのでした。
うつ病治療の基本中の基本である、「まず自分を認めること。」に逆行してしまっているぞ、と思ったのであります。

それで最近調子悪かったのかな…。

って、結局仲間内にしかわからん話になってしまったような。まいっか(苦笑)。

大蔵海岸ガシラ好調。アイナメの気配も。

2010年11月29日 | 徒然雑草(釣りのこと)
何の情報誌だよ(苦笑)。

まあタイトルの通りです。
護岸際をシラサで探れば、1時間で3~4尾は釣れてます。ついでに一時間で2~3個は針かオモリをロストして針を結びなおしたりしてましたが(笑)。捨石周りを攻め過ぎ(苦笑)。

あと、あくまで感覚のものですが。
アイナメっぽいアタリが何度か…。いわゆる(?)アイナメの「前アタリ」です。
「?」と待ちましたが本アタリは出ず。

うーん。アイナメだったのか、フグが突っついただけなのか…? いやいや、あれはアイナメだ。本アタリに気づかなかっただけだ(笑)。
もうそろそろ護岸際にアイナメの姿が出てきてもいい時期(水温も)だと思うしねー(単なる希望じゃん)。

どっちにしてもフグの姿も少なくなって(上中層にはまだまだ居るようですが、エサと針を一気に底まで落とし込めば大丈夫)、安心して好きな探り釣りができる時期になりました♪

今度は現場で針結びしなくていいように、たくさん結んで持っていきましょう。オモリもね。
…って探り釣り師なら当たり前か(笑)。

ああ青春の喫茶店。

2010年11月26日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
なんだか一昔前(2~3昔前?)の歌謡曲みたいですねー。

先日、近所の某喫茶店に行きました。
ココは、びっきぃが高校3年の夏休み、近くの塾で一日中受験勉強をしていた頃に友人とよくお昼ご飯を食べに来ていた場所です。もう20年以上前かあ…(遠い目)。

高校生ごときがサ店で昼メシぃ? とツッ込まれそうですが。
いやあ、とっても可愛いというかお綺麗なアルバイトのお姉さまがいたもので(笑)。

高校生男子としては充分な理由でございましょ?

で、近くで用事があったついでに20数年ぶりに寄ってみたと。
いやあ驚いた、全く変わってないんだもんね。
といって古臭くなっているわけじゃなし。もともとセンスの良いインテリアなんでしょうね。

で、「いらっしゃいませ~♪」とお水を持ってきてくれたのが、60歳前後?のお母さん。

「え?? あのお姉さんがこうなっちゃったの??」…なわけなく(笑)。

コーヒーを頼みました。出てくるまでチョイと時間が掛かって、「?」と思ったのですが。
飲んですぐわかりました。美味い。いれたてのコーヒーだ。ひょっとしたら挽きたてかも。

いやあ久しぶりに美味いコーヒーを頂きました。
つーか高校生のころはコーヒーの味なんて、全然判ってなかったんだねーと思った次第。

で、あのお姉さまは今どこに???(苦笑)

初コブ、初タモ、初刺され。

2010年11月24日 | 徒然雑草(釣りのこと)
また語呂良く?まとめてみました。
コブはコブダイ。タモは玉網。のコトです。

あ、釣りのことです。ハイ。

で、コブダイ。
幼魚はこれまでに釣ったことはあるんですが、成魚は初めてでした。
コブの無い雌で25センチくらい。
まあ成魚になったばかりでしょうかね。コブダイにしてはかなり小さいですが。

それでも胴回りは立派なもの、自分としては魚屋さんに置いてもおかしくないサイズのお魚を初めて釣ったという感じです。

ただびっくりしました。
だって釣れたのは大蔵海岸の護岸際。そろそろガシラでも掛かるかな~、って探っていたら突然ゴゴンッ!
2.4mのグラスファイバー100%の愛用探り竿(笑)の穂先が50センチくらい引き込まれた感じでした。

な、なんじゃあ?と思いつつ水面まで引き上げると(その後の引きはそんな強くなかった)、赤くて丸々した魚体が…。
コブだあ、とは判ったものの。大蔵の高い足場からではサイズがわからん。ゴボウ抜きして大丈夫かなあ、と周りをきょろきょろしますと。

近くでカレイ狙いの投げ釣りをしているグループのそばに玉網(タモ)が立て掛けられています。
「すみませーん! タモ貸してくださーい!」とお願い。
「はいはい~」とお兄ちゃんがヘルプしてくれました。

ということで初タモ。

ですが上げてみたら25センチ(汗)。ゴボウ抜きできたなあ。。。騒いでちょっと恥ずかし。

まあそれはどもかく、大蔵の護岸際にも居るんだねー。垂水漁港の波止際には居るってきいてたけど、あっちはかなり水深があるから。。。

んで、初刺されってのはその垂水漁港。
カワハギ狙いで行ったのですが撃沈。キスとハゼがちょい投げで釣れました。…今海の中の季節はいつなんだ??

という状況の中、足元でココンとアタリ。引き上げるとマイクロガシラ。
針はずしながら「何かガシラとは違うなあ」と海に返そうとしたら。
魚体を掴んでいたタオルに引っかかってしまいました。
あらら、と外そうとしたら。

痛! あー指先にヒレの先が刺さった。

にしては異常に痛い。しかもなんか痺れてる??
で、ようやく気づきました。

ハオコゼだぁ。ヒレの先に微毒の棘を持つ小魚です。

つーことで初刺され。気をつけないとねー。
というかなんか垂水とは相性悪いのかね。

現実を生きる。現実に生きる??

2010年11月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
毎度よくわからないタイトルで。
今回は本人すらわかりません(笑)

ただねー、ここ数年(というか心筋症で入院して以来)哲学的?な思考を繰り返してきたわけですが。
最近ちょっと囚われすぎているかな、と思い始めたのであります。

もちろん、そういった思考や学びをする過程で本当にたくさんのコトに気づいたし、人間としても少しは成長できたのかな、と思うことも多々あります。
そのおかげで苦しみから解放されることもありましたしね。
なので、それはそれで有意義だったと思うのですが。

一方で、社会復帰して一年以上経った今、もっと現実をまっすぐありのままに見つめる時期が来たのかな、なんて思ったのです。

そういう段階なのかもしれませんねー。

正直なところ、これまで現実をしっかりありのまま見つめてきたか、と問われれば、ノーです。
そんな心のパワーがないというか、どうでもいいというか、そんな勇気がないというか…、また壊れてしまいそうで(苦笑)。

…って、無意識に思っていたようです。

それが、少し気合が戻ってきたような感じ。
過去の現実、今の現実をしっかり見据える時期が来ている感覚がします。
見据えるといっても“闘う”わけでは無いんですが、苦しかったことを思い出すのはやっぱりパワーがいるからね。

で、話が前後しちゃいましたけど、なんでそんなコトをしなければならないのか。

ここ数年間というのは、哲学的(というより認知療法的?)に過去を見ることで、苦しみのウラで得たものばかりを常に意識するように生きてきたんですね。
放っておいたらココロは勝手に苦しんでくれます(?)ので、思考としてはプラス面ばかり意識するようにしていた、とでも言えばよいのでしょうか。

もちろんこれまではそれで良かったんだと思います。
過去の苦しみと真正面に向き合えるほどのパワーが無かったわけですから。

ただ、結果的にはココロの中の苦しみを、ただ見ないようにしてきただけとも言えるわけですよね。
ということは、いつまで経ってもこの苦しみは消えない、ってコトだと思うんです。

ですから、少しパワーが戻ってきたこれから、少しずつ苦しみを見つめていってみよう、それで「苦しみ君」の行き場を探してやろう、そうすれば哲学的思考に頼らずとも生きていけるようになるかな、と。

で、なんでそうなりたいかというと、哲学的思考でココロの安定を保つのって、それはそれで結構エネルギーを食うんですよね。最近気づきましたけど。

なので、ココロの安定を保つために通常必要以上のエネルギーを使いたくない。
というか、そんなエネルギーがあるならば、今どう生きるか、ということに使いたい、というコトです。

そういう段階に入りつつあるような気がする(はっきりしろよ、苦笑)、最近のびっきぃなのでした。

で、タイトルの「てにをは」の話。

びっきぃのココロの師匠の一人(多すぎて困ってます、笑)の中村天風師は、講演録などをみると、「人生を生きる」ではなく「人生に生きる」という言い方をされています。

おそらく何か意図があってそういう言い方をされているのだろうと勝手に思っていたのですが、最近なんとなく“に”の意味が判ってきつつあるような気がする、のは気のせいだろうか?(だからはっきりしろって)という状態です。

どちらにしても、言葉で表現できるものではありませんねー。だから?はっきりできません(逃げ)。

Twitter始めました。

2010年11月14日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)

タイトルそのまんま、なんですが。

はっきり言って、どーゆーコトが出来るのかあんまり解っていません(苦笑)。

だから始めてみました、ということなんですけどね。

年齢的にも、そろそろ意識して新しいモノを吸収しないとね。時の流れもドッグイヤー(死語?)になって久しいし。

びっきぃが25歳くらいの頃Windows95が発表されて、以後一気に個人的な仕事にもコンピュータ化が進んだんですね。

その時、4~50歳代の上司や先輩は、はっきり分かれました。
つまり、新しい技術についていっている人と、よー解らん、で済ました人。

まあ後者は大体部長級以上の偉いさんでした。自分自身が操作する必要はない、って決め込んでましたねー。

実際は偉いさんが使えた方がより良い技術だったし、少なくとも何が出来るのかは勉強してて欲しかったなあ(遠い目)なんて思います。

つーことでTwitter。

ずっと、また何や新しいモンが流行ってんねんなー、程度の認識だったんですが、ここまで大展開(?)すると、ちょっとは触っておかないと、と思った次第。

まだまだITリテラシー(死語?)を低下させるわけにはいかんしね。

ということで、TwitterのIDです。
このブログと同じbicky_tynでございます。

良ければのぞいて下さいね…と言いたいトコですが、何をどう"つぶやく"んでしょうなあ?(笑)

久しぶりのサービスエリア。

2010年11月12日 | 徒然雑草(クルマのこと)
高速道路のSAのことです。久しぶりに利用しました。
といいますか、阪神高速以外の普通の(?)高速道路を使ったこと自体が久しぶり。

奈良にある病院へ行くのに、普段は阪神高速を使っています。もしくは大阪の会社から電車。
んで昨日。阪神高速神戸線はリフレッシュ工事で摩耶~京橋間が通行止め。

行きは摩耶から乗って行ったんですが、帰りは「摩耶出口は大渋滞だろ」との予想のもと、東大阪から近畿道~吹田~中国道とちょいと遠回り。

ということで、久しぶりに本物の(?)高速道路。

で、ふとSAに寄ろうと思いました。
なんとなく好きなんですよねー。SAの雰囲気って。旅情とまでは言いませんがそんな感じ。

で、途中唯一のSAである西宮名塩SAに寄り道。

…あれ? 何も感じないぞ??
うーん、そうか。どうこう言っても過去何度も利用しているSAだもんなあ。車停める場所選びにしても、「トイレにはこっちが近かったな」状態だもんね(苦笑)。

…ということでトイレだけ利用して、とっとと帰りましたとさ。

ま、久しぶりの100km/h巡航(といっても吹田から少しの間だけですが)。愛車ヴィヴィオ・ビストロちゃんも5速4,000rpmほど(だったかな)でキモチ良さそうに走ってくれました♪。まだまだ元気♪♪

あ、やっぱり??

2010年11月12日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
…タイトルに困ったんですが。

昨日病院へ診察に行ってまいりました。
月一回の定期診察です。循環器内科とメンタルヘルス科。

で、循環器は問題なくお薬も変わらず(変えようが無い)なんですが。

メンタルの方でのコト。
最近の状況として以下のようなことを報告。

・ 気分の変動が毎日コロコロ変わっている感じ。(以前のような周期性の「波」ではない)
・ 気分の日内変動があまり無い。(良い日は一日良いし、悪い日は一日悪い)
・ 夕方~夜の疲労(感)が強くなっている感覚。おかげで「つい夜更かし」は減っている。(本読んでても、気が付いたら寝てしまっている)
などなど。

で先生の見解。
「…うつの症状ではなくなってますねえ。。。」  あ、やっぱり??

ということで、先日アップした記事のようなことを話ました。
つまり、
・ 自分もそういう感じであること。
・ 過去の苦しみがトラウマ的になっていること。
・ それが、何かのきっかけがあれば表面化しやすい状態であること。
・ 表面化すると「もーどーでもええ」の憂鬱状態に陥ること
などなど。

んで先生。
「薬はまだやめられないけれど(薬で保たせているし、やめるにしても少しずつ)、カウンセリングで、ココロの整理をつけていく必要があるかもしれないですね。そうなるとカウンセリングを併用している病院に移る必要がありますが…。」
とのこと。

うーん。カウンセリングねえ。
実はカウンセラー選びって結構難問(経験上)。

それに、あくまで薬物治療との併用ということなので病院併設のカウンセリング、つーかカウンセリングを治療に応用している病院、を探す必要があります。

まあ、とりあえずここ1ヶ月程度の状況からの見解ですし、しばらくは様子見です。

とにかく毎日スムーズに会社に行き(←一応→)仕事が出来ているコト(凹んだ時はトイレでプチ認知療法、笑)を喜びましょう。

さあて週末だ。

2010年11月05日 | 徒然雑草(釣りのこと)
…ハイ、また山を降りて海に行きます。おサカナを釣りに行きます。
狙いはここしばらくカワハギ続きです。狙って釣るとなると結構難しいお相手です。

一応釣果は出してます。具体的な数字は言いませんが(笑)。
キモ和えはやっぱ美味しいっす。

夏に「俺には胴突仕掛けでの竿下探りでカワハギ釣りはムリ」と悟って(笑)、ちょい投げ釣法に切り替えています。

ちょい投げして道糸を張り、常に誘いを入れます。すると「比較的」アタリが判りやすくなります。エサ盗り名人のカワハギ君も動くエサに十八番の「突っつき攻撃」はできないようで、パクリと食いつくようでして(でも微妙)。

なので、ちょい投げしつつ小さなアタリを取るために磯竿(2号)とスピニングリール使用。オモリは道糸を張っておくために6号と重め(竿の許容範囲をちょいと超えてます…。まあフルキャストしないから大丈夫、かなあ)。

風が強くて糸ふけが出るようなら即アウトの釣法であります。

明日は風も穏やかみたいだし、キモ和えのこってり旨みを想像しつつ楽しみましょ~♪

治ってる?

2010年11月05日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
何を突然? ですが。
ここ数ヶ月、というか数年を振り返ってみて思いました。

もう「うつ病」そのものはほとんど治ってるって。

多少説明致しますと、ここで言う「うつ病」とは「脳機能の異常」のこと。

つまり、原因不明の憂鬱感、イライラ、倦怠感、意欲減退…といったうつ症状を起こす脳の病気、のこと。
いわば、西洋医学的?な捉え方での「うつ病」です。

で、そういう意味での病気は、ほぼ治った(というか治っている)と思うようになりました。

確かに、毎日憂鬱だったり楽しめない、といったようなことはあります。
でも、それはもう「脳」の問題ではほとんど無くなったのでは、と思えるんです。
まあ、食欲や(正常な)性欲があまり無い(ほとんど無い)というのは、「脳」の異常がまだ残っているんでしょうけど、そんなに大した状態ではないし。

んじゃ毎日の憂鬱感とかって何?なんですが。

たぶん心の底にこびりついている、かつての苦しいときの記憶が、何かの都度(まあいろいろ)よみがえって、当時の気分に戻ってしまっている、というように思えるんです。最近。
もちろんその度に「プチ認知療法」で対処してやり過ごしているんですが、対処できない場合が結構あるんです。

たとえばオカリナ。
オカリナそのものは最近、また吹こうかな~、と思う時が出てきたりしているんですが、あの「オカリナ公園」には足が向かない、という状態。

正直に言うと「怖い」。

なんせ、心身共にボロボロになった後、リハビリ目的で毎朝あの公園に通ってオカリナを吹くようになったんですね。生活リズムの再構築が主目的です。
まあその頃は音楽に興味が戻って来たくらいには回復していたんでしょうけど。。。

だからオカリナ演奏自体はともかく、あの公園に入ると、あの頃感じていた今とは比較にならない程の強い不安感・むなしさ・寂しさ、そして例の「もう何もかも嫌んなったちまった。どーでもええわ。」という苦しくて苦しくてどうしようもないキモチをリアルに思い出してしまうんではないかと「怖い」んです。

もうあんな思いはしたくない、というキモチが強い(強すぎる)んでしょうなあ。トラウマ?

それが心の底にこびりついたままだから、脳が正常になってもちょっとしたことで「あの苦しみ」を思い出してしまい、「もうどーでもええ」という憂鬱状態に陥ってしまう、と。

うーん、書いていて思ったけど、それはそれで精神的に十分オカシイぞ(苦笑)。

調子が良くなってからは、できるだけ過去とも向き合うよう意識して頑張ってきたつもりだったけど、まだ不十分というか、どこか「逃げてる」「目をそらしている」ってコトなのかな?って感じましたねえ、書いているたった今(笑)。

そろそろ腰を据えて真っ向勝負?を挑みますかね。
つーか、生き方にしろ仕事(商売も経理も労働組合もその他も…)にしても、「真っ向勝負」しか闘い方を知らない、ってのがそもそもの問題なんでしょうかねえ。

さらに言うと、そういうことを「闘い」だと思っているコトがオカシイとも感じましたねえ、書いているたった今(また)。

結局は、ここ数年で学んだ「今の自分をありのままに(評価せずに)認めて受け容れること」と同じで、「過去の自分もありのままに認めて受け入れる」ってことが鍵なのかなあ。

良いこと、悪いことなんて評価をせず、ただありのままにあの頃を見つめられるようになること。

そうすれば、今の自分も本当にありのまま見つめるコトができるのかも…、って思いました。書いているたった今(もういいって、笑)。

ま、それはそれとしてオカリナ。
また吹きたくなってきたのは事実なので、吹きますかね。
とりあえずどこで吹こうかな~。

いずれはあの「オカリナ公園」に戻れるでしょうけどね。きっと。

超久しぶりのノルディック・ウォーキング。

2010年10月25日 | 徒然雑草(ノルディック・ウォーキング)
「ちょう」で変換すると、我がパソコンはまず「釣」が出てきます(苦笑)。
今回は「超」です。チョー。

半年振りくらいですかねー。
この夏の暑さでとても歩く気になれませんでしたから。。。

んで久しぶりの「ノルディック公園(びっきぃの造語)」。

20~30分で終了です。
だって、十分体温まったし、上腕三頭筋はすぐにだるくなるし。
無理は禁物。

また少しずつ歩きましょ。

初チヌ初グレ初イサキ カワハギ2枚に1チャリコ。

2010年10月25日 | 徒然雑草(釣りのこと)
と語呂良くまとめて?みましたが。
↓前記事のよーな、辛気臭い記事の後にはお気楽系が必須?だもんね。

で。
まあ、タイトルどおりでして。
ここ2~3週の釣果(の一部)であります。

場所はいつもの明石・大蔵海岸公園。公園内ではいろいろ動きますけどね。海峡に面した護岸や、朝霧川河口部など。

初チヌ初グレ初イサキは、前に記事にした手作りのサビキ針に掛かってきました。びっくり。
みんな手のひらサイズですけどねー。

カワハギは初めて狙って釣れました。やっほー。
釣り方はちょい投げ&誘い引き、とでも言うんでしょうか?
仕掛け投げ込んで、ちょいっとオモリ持ち上げて沈ませる、の繰り返し。止めれば突っつき攻撃でエサだけなくなるからねー。

確かに、アタリは比較的わかりやすい釣法でした。沈むエサには大胆に食いつくというカワハギの習性は本当のようです。
ただし…、オモリとエサが沈み込んで行く時に糸が張っていないとアタリは伝わりません。この辺の竿とリールの操作が上手くいかん。きっと、かなりのアタリを見逃したはず…。
柔らかくて敏感な磯竿を使ったのは正解でしたが。。。

何か良い方法を考えよ。

それはともかく、久しぶりの「キモ和え」。あうー、最高!! いやマジで。

んでチャリコ。
何それ?でしょうが、真鯛のコドモのことです。ちょくちょく掛かるんですけどね。
今回のは手のひらサイズ弱の「大チャリコ」。
いやあ、すげー引きの強さでした。

このチャリコ。美しい魚体に色、カワイイ名前で好きなお魚ですねー。
カタカナよりひらがなの方がイイかな。「ちゃりこ」って。
ところで「ちゃりこ」って方言だよね、きっと。。。
まあ、チヌ(黒鯛)もグレ(メジナ)も方言だけどね。どーでもいいけど。

愚痴。

2010年10月25日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
タイトルそのまんま(苦笑)。

少し前の大凹みからここ一週間弱立ち直ってきています。やれやれ。
しかし、本当にかなりヤバイ状態でした。
もちろん休職中の「極期」に比べれば問題ない程度ともいえるんですが、一方では「希死念慮(死んでしまいたい、という気持ち。自殺願望とは違う。)」なんかもぶり返しかけてたりね…。

んで、一週間ぐらい前かなあ。とにかく心の中のものを吐き出そうと思って、気持ちを思いつくままに書き出しました。
それが以下の左側。

で、それが済んだあと、それぞれの「気持ち」にツッコミを入れてみました。
そーすると少しラクになりまして。

読み返すと先に進むにつれて、前向きなツッコミに変わっていっている感じでもありましたねー。

んで、なんでそんなもんアップしようと思ったかというと、友人などに「調子悪い」としか伝えていなかったもので、こんな状態「でした」(一応過去形)という報告であります。

矢印の左が「気持ち」、右が「ツッコミ」になっています。

・うんざり → 自分? 世の中? とりあえず仕事そのものではないな。
・何もかもイヤ → すべてつまらん。一日中適応思考を探してる。
・おもしろくない → 釣りもオカリナも車の運転も。仕事を覚えることも。
・つまらない → 冷めちゃった?って何に?
・楽しくない、楽しく思えない → すぐに疲れる。飽きる?これは脳と体の機能異常?
・やってられない → 他人の倍以上の努力をしてきて、それから倍以上の苦しみを味わって、まだ次の世界が見つからない。…って思い込んでいるだけ? いろんな思想や哲学には出会ったけどね。
・さみしい → やっぱ、街中で娘ぐらいの子ども連れの家族をみると寂しい。それだけが原因ではないけどいつも孤独感でいっぱい。
・かなしい → んー。まあ一応という程度。もう悲しさなんて感じなくなった気がする。
・なんでやねん → 他人の倍以上の努力をしてきて、結果、倍以上の苦しみを味わうことになった。今思えば得たものも多いし、この苦しみがなければ得られなかったこともとても多いのではあるけれどね。。。どこかでまだ「むなしさ、ばかばかしさ、もうどうでもいい」というような、やさぐれた気持ちが心の底に居座っている。
・何かくやしい → この世的(物質的・経済的)な視点でみれば、やっぱり失敗の人生でしょ。今のところ。
・しんどい → 肉体的精神的両方
・もう疲れた → いつまで苦しみと闘わなくちゃならん? 忘れることは不可能だから、上手く共存できるよう努力してきたけど、もう手詰まり感。
・意味? → この世って何。何の為にあるの?
・眠い → そのまんま。
・苦しい → そのまんま。
・ゆううつ → そのまんま。
・何もする気がしない → 最近やばい。意欲はようやく回復してきた感じだったが、ここのところ低下傾向を感じる。
・孤独 → いつでもどこでも。なんでだろ。
・もうどうでもいい → もうやってられねえ。死ぬこと自体は怖くないし、どーもこの世の後にはあの世が有るのは確実のようだし(?)。まあそれを前提にした場合、この世はどう生きるのがいいのかねえ?つーかこの世は何のためにあるのかねえ。
・生きているのがしんどい → いつまで苦しみと闘わなくちゃならん? 忘れることは不可能だから、上手く共存できるよう努力してきたけど、もう手詰まり感。
・安心感が欲しい → 復職支援施設のような、お互いに無条件に人間として認め合う安心感が欲しい。
・どうしても元気がでない → 睡眠不足? 脳機能の低下?
・休みたい → そのまんま。長期間ボーとしたい。でもそうなるとまた苦しいんだよな。
・もうだめだ → 手詰まり。
・限界 → もうこれ以上頑張れない。カウンセラー(的な人)は頑張らなくてもいい、と言うけれど、実際社会復帰した限りそれなりには頑張らないとね。うつにしろ特定疾患にしろ、そういう病気を抱えている人間の気持ちなんて理解できる人はほんの少数。…の割には恵まれているか。。。(上司とか)
・ここまで来たのに → うつも心筋症も乗り越えて(つーかそれらにまつわるたくさんの苦しいと感じる出来事)ようやく、会社に復帰して何とか働ける状態にまで持ってきたんだけどねえ。無理なんか?
・あんなに頑張って生きてきたのに → それとこれとは関係ねぇ、とはわかっちゃいるんだけどね。もっと苦労している人もいっぱい居るのもわかってるけどね。
・大切なものをすべて失った → まあ論理的に言えば、「失う」ためには前提として「所有」しているコトが必要になるんですが。そういう意味では女房も娘も健康などなども「自分の所有物」では無いわなぁ。
・昔のような、頑張る充実感を感じたい → 他に充実して生きる方法を知らない。
・毎日釣りでもしてボーと過ごしたい → まあ、今のところは釣りぐらいしか思いつかん、ってな感じか。家島諸島か小豆島みたいな自然の多いところがいいなあ。でもすぐダメになるんだろーな。
・やってられねぇ → 世の中(マクロもミクロも)見てるとイヤんなる。こんな世界で頑張る必要があるか?本来の個々の人々ならともかく、こんな世界に染まってしまっている連中の為に(って自分もそうだったじゃん)貢献する必要があるか?
・なら、革命でも起こす(笑)? → って何の革命(爆笑)?
・もうヤダ → もう頑張れねえ
・くそう → 俺が何をした
・バカヤロ → 俺が何をしたああ!
・おもいっきり泣いてみたい → 泣く感情も無くなった。泣きたくなるほど悲しくもならん。
・おもいっきり怒ってみたい → 人生に一度ぐらいはねえ。
・おもいっきり他人を傷つけてみたい → 気づかずにいっぱい傷つけているんだろうけどね。確信犯的にブチ切れてみたい。後で後悔するのはわかってるけど、何だろ、破壊願望?
・自分を傷つけた人々や世の中に復讐したい → …てなコトを書くだけで、ものすごく罪悪感を感じる小心者(自嘲)。
・どうしようもない → 手詰まり
・無力感 → 自分に力が無い、というより、この世に意味が無い、と感じてしまう。という思考に逃げ込んでいる?
・わくわくしたい → そりゃ誰でもね。年齢の問題もあるか。
・もうどうでもいい → って、やさぐれて拙いことをしでかす前にどうにかしたい。
・何しよ → ホントにねぇ
・何したら楽しい? → うーん。その質問の仕方自体が何か違うような。。。楽しく感じる力が無くなってる感覚なんだよな。
・何したら幸せ? → 同上
・幸せって何? → そう感じるかどうか、だろーな。
・何かしたら幸せになるの? → だからそーゆー問題じゃないって。
・「心ひとつの置き所」、じゃなかったっけ → 中村天風師はそうおっしゃったけどね。
・ってそんな簡単じゃねぇし、俺はそんな強くないし → まあ、「置ける」時もあるんだけどね。そういう意味では昔よりもずいぶん強くなったのかな。
・弱さをさらけ出したい → さらけだせる強さが欲しい。
・どうにかしたい → どうにかなると信じるしかないか。
・でも当分無理そうだ → つーか、当面は無理って思ってた方が、焦らずにどうにかなると思えるかもよ。
・この世の後には何か有るんやろな、無かったらホンマにやってられんで → それとこれとは関係ないぞ。思考が逃げに入ってる。
・この苦しみが糧になるあの世があるんやろな。 → この世にもあると信じたいね。
・この世で”糧”にすることはできん? → できると信じるしかないね。それと、その機会を待っていてはダメだわなあ。
・できんことはないけど、それに何の意味があるのかと思ってしまう。こんな世の中に貢献して何の意味がある? → 「こんな世の中」にすら貢献できるかどうかわからんのに、偉そうに言うもんじゃねえ。
・「愛すること」と「愛」とはかなり違うよな。さらに「愛で在ること」なんて哲学もある。 → それは、本一冊書けるテーマだ。
・疲れた → 疲れてないやつはいない。
・何が必要? 生きるためにどんな哲学が必要? ただ漫然と生きるのはもう無理。 → 「心ひとつの置き所」、か。
・自分のこれまでの人生・ドラマを愛する(浸る?「アタシは悲劇のヒロイン」みたいな)ことから卒業しろ、か…。(「神との対話」より) → 生きてるうちにそうしようとすると究極に難しいテーマだけど、死ぬ瞬間にはほとんどの人が自然に無意識に「卒業」しているんだろうなあ。
・まあ、「幸せを経験するためには、先に苦しみを経験しなければ理解できない。」ってことだわな。世界が相対的に存在している限り真理には違いない。何事も、「そうじゃない」ものがあって初めて存在できる、と(「神との対話」より)。

てなコトうだうだと吐き出してました。
おかげでここ数日は復調気味。このまま普段の調子の波に戻りたいものです。

とにかく、心の底にこびりついてしまっている「もうどうでもいい」を何とかしないとね。

苦しみのウラで、貴重な経験と学びをしてきているんだから。ね。

明石の小アジ。

2010年10月15日 | 徒然雑草(釣りのこと)
↓(前記事)のような状態でも休日は釣りに行っておりまして。

つーか、「何もする気にならんけど、何かしてないと落ち着かない」という「うつ病」経験者には良くわかる感覚なんですけど。
そんなわけで、「釣りぐらいしかするコトがねぇ」という視野狭窄での、非常に良くない精神状態での釣行。

それでも7月までは大漁続きで楽しかったんですがねー。
ベラが入れ食いでした。
関西でしか食べないそうですが、おいしいんですよ。
お刺身なんて歯ごたえもあってね。

んで8月以降。
異常な高水温の中、エサ盗りのフグ(クサフグ)が異常発生(しているらしい)。

波止際で釣ってたらクサフグのオンパレード。文字通り入れ喰いです。釣りにならん。

それとカワハギ&ウマヅラハギ。こちらは釣れれば嬉しいお魚ですが、こいつらは針に掛からずエサだけ上手に盗って行きます。
彼ら?も今年は大量発生しているらしいです。まあフグの仲間ですからね…。

釣行を重ねてようやくクサフグのアタリはだいたい判るようになって見逃せるようになりました。
おかげで、釣り上げて「あーもー鬱陶しい」というコトは減りましたが、代わりに何にも釣れなくなりました(苦笑)。

ということで最近やってるのはサビキ釣りで小アジ釣り。
居着きのお魚ではないので、回遊してきている時合しか釣れません。
まあ普通、釣りってのはそういうもんなんですが。

で、それはそれ。サビキって簡単だけどなかなか奥が深いと感じました。波止際で15cmのアジ釣ってても思いますねー。

何が?と言われても上手く言えないんですが。

それはともかく。
小アジとはいえ、やっぱり明石海峡産。美味しいです。ハイ。
脂がのってきたのか、刺身だと口の中でとろけます。

…15cmを刺身にするのが大変ですが。。。

で、明日の作戦(笑)。
まあアジも美味しいんだけど、そろそろやっぱりカワハギが釣りたい(食いたい)。ウマヅラでもOK。あぁ、あのキモの味…。

仕掛けはあれこれ悩んだ結果、自作のサビキ仕掛け(針は早掛)でフカセ気味に誘ってみよう、と決定。寄せエサ撒きながらね。

フツーの胴突仕掛けに虫エサじゃダメなの?という質問には、「俺には無理」としか答えられません(苦笑)。止まっているエサはカワハギの十八番である「突っつき攻撃」で、知らん間にエサが無くなってしまいます。

なので、ふわりと沈んでいくエサには「比較的」大胆に食いつくというハギ類の習性(らしい)を狙った、それとエサが盗られる心配がない疑似餌での作戦です。食いつきは悪いでしょうけどね。

さて、どうなることやら。。。

というか今日は、復職支援センター時代の友人と月一のお食事(つーか飲み会)。

明日海に行けるのかしらん(笑)。