きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

レイモンド・ビクター・フランズのメッセージをどう読むか

2012-11-20 08:43:02 | 日記
ネットに入っているエホバの証人が通る道として、

必ずレイモンド・フランズの良心の危機を読むかどうかという問題が

必ず生じます。

大半のエホバの証人は背教者の本という事で読まない方を選ぶ人もいます。

その場合、組織に対して問題意識を持つ事もなく平安でいられると思います。

大変なのは、全く無防備で免疫のない状態のエホバの証人が

その本を読んだ後に生じる大変な状況です。

長年信じていた組織に裏切られたように感じ、急速に組織から離れたり

あるいはネットで攻撃的に組織を批判する人になったり、

急速にに組織のあらさがしをして

全否定してしまい、自分の人生もおまけに否定してしまって

自己崩壊的な事態が生じてしまっているように思います。

ものみの塔協会の方ももきちんと答えないで

北朝鮮や中国共産党と同じ路線でネットを見させない事で守ろうとし

余計に信頼をお落としてしまったように思います。


レイモンド・フランズ自体 組織を全否定しているわけでない







この組織の代表者たちが悪意を持って人をだます人たちでない

事は常日頃見聞きしてわかっている。

むしろ、信じ込みやすい人たちで組織が運営され言える事が問題だと

ものみの塔協会自体は、レイモンド・フランズを排斥した後で

自らレイモンド・フランズの指摘した点を少しずつ改善と変更を加えている。


アメリカにパーフェクト ワールドという言葉があります。

たとえば、野球で打席に立つごとにホームランを打てたら

パーフェクト ワールドになるけど現実はそのように行かない。

だから、パーフェクト ワールドが理想だけど

もしか全店を一つ上げるとすれば何を改善するかという思考で

問題を善処してゆくやり方だ。

ものみの塔協会は信者によって、統治体にパーファクトワールドの幻想を

与えすぎた

考えてみたらどんな人間も権力を握ったら、名声やお金やいろんな事に弱くなる

ものみの塔協会だけが例外でそのような事は起きないと考えるとすれば、

そうした事自体が現実的でない幻想を持つことになってしまう。

ものみの塔協会が宗教組織としてパーフェクトだと理想なんだけど、

改善があるとすれば何かという姿勢で臨んだ方がいいような気がします。

全否定していっても何も生じない

もちろん、全肯定はもっとたちが悪いですが・・・・

部分否定でもいいと思います。

ものみの塔の反対者たちが、どんなに声高に反対しても

それに代わるものが作れないわけですから。。。

自民党政権を反対して理想を述べた民主党政権でそれに代わるものが作れなかったように。。


むしろ、ものみの塔を全否定せずに

地方に作り上げた老若男女のまれに見るコミュニティーを

いかに幸せな時間を作れるコミュニティーに変えてゆく知恵が

地元の会衆のそれぞれの人に託されているように思えてなりません。

ものみの塔のゴマンとある間違いを指摘しあげつらっても何も生まれてきません。


自分が以前いたもてなしの素晴らしい姉妹がいました。

彼女はバプテスマを受けましたが、聖書や組織についてはほとんどしりません

ただ、仲間の兄弟姉妹を愛し

出汁から丁寧に取った料理を作り、それを食べて皆は幸せだった。

ある日、若い自分が当時のものみの塔協会の会長のフランズ兄弟の話を

熱心にしていた。

話を全部聞いた後、鹿児島出身のその姉妹はいった。

(ふらんずきょうだいって  だれけぇ???)

その前に唾を飛ばしながら熱心に話した10分間が音を立てて崩れた瞬間だった。


今考えでいいんではにかと最近思います。

ついて行けない変わってゆく教理に振り回されないで

このコミュニティーで幸福になる道を見つけられたらそれはそれで。。。







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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽だまり)
2012-11-20 12:39:23
はじめまして。
その通りだと思います。批判するのは簡単。
その批判に乗っかって そーだそーだ と言うのはもっと簡単です。しかし背教者の方は、それに変わる何かを提供できません。
組織に不信感をもった時期もありました。しかし 完全でないが、ベストを尽くして精一杯やってくれてる事に今は感謝してます。
それ以上でもそれ以下でもありません。
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陽だまりさんへ (bereshit007)
2012-11-20 17:04:53
コメントありがとうございます。

いろいろ悩まれていまの結論になたのでしょう。

これは、いろいろな角度から考えないと

いけない難しい問題です。

できたら、必要以上の世界をつくりたい

ものです。
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Unknown (ビー)
2012-11-20 18:04:35
はじめまして、今晩は。
私はバプテスマを受けていない伝道者として、活動している者です。エホバの証人的に言うと比較的新しい人の部類にはいる者なのだと思います。

>ネットに入っているエホバの証人が通る道として、
必ずレイモンド・フランズの良心の危機を読むかどうかという問題が必ず生じます。

実際に今、私の状況がこれです。(あらましを読みました)
これからどういう風に考えて行動していったらよいのだろうか?、とモヤモヤしだして2ヶ月ほどになりますが、こちらのブログと上のコメントを読ませていただいて少し楽になりました。
有難うございます。
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研究生で悩んでます (mao)
2012-11-20 19:53:04
初めまして。
私は、いま研究生で、あの黄色い本がやっと終わったばかりなんですが、ネットでいろいろ調べるとカナリ問題のある組織だと分かりました・・・
私に教えてくれてる人はとてもいい方で、交流は大事にしたいとは思ってるんですが、この先どこまで進んでいいものか今かなり悩んでいます。

正直エホバの方たち全般、確かにいい人ばかりなのだけれど、組織の言うことをそのまま鵜呑みにするだけで、かなり無責任だと思っています。
もし、私がこの先伝導するように言われたら、とても私に教えられたことを人に教えることは出来ないと思ってます。
これはやはり早めに離れたほうがいいんでしょうか?
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ビーさんへ (bereshit007)
2012-11-20 21:55:38
コメントありがとうございます。

人生で大切な決定ですので、

賛否両論をしっかり見据えて


自分で納得して行動がとれたらいいとおもいます。

司会者や会衆を喜ばずために

がんばらないよう

いろいろといっぱい悩むと思います。


大変だとおもいます。
返信する
maoさんへ (bereshit007)
2012-11-20 22:01:33
コメントありがとうございます。

いま、いろいろな意味で大変だとおもいます。

あなたが、指摘してるように教えている内容をだれも責任はとらないとおもいます。

自分は、なぜしようとしてるか?

逆になぜやめようとしてるか


納得ゆく証拠をみつけるまであきらめないようすすめます。
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Unknown (通りがかり)
2012-11-20 23:10:22
通りがかりといいながら、いつも気にしている。新しい投稿があるのかと。。。

レイモンド・フランズの提起したこと。

「組織」というものを小さなときから斜めに見て大人になった僕にとって、改めて問題を明確に白昼にさらすものだった。

その提起された問題の一つは、
・組織の存在と個人の良心の対立
であるように捉えている。

つまり、組織の決定や言い方/話し方、奨めること、それらのうちの幾つかは、個人の愛と良心による行動を覆ってしまう可能性がある。

簡単な話では、
「こういう服装がクリスチャンらしい」と組織が言う。すると、それに合わせないといけない気が組織に属す個人には生まれる。
それは個人の本当に思うところとはズレていても、ある人は一つの指針に従うかもしれない。
また、そんな指針はなくとも同じ選択をしたであろう個人の愛や良心による行動の可能性とその機会を消してしまうこともある。

服装しかり、開拓奉仕の推奨しかり、高等教育、血を避けること、すべてにあてはまるだろう。


どちらにしても、組織と個人の間に、いや、組織があるゆえに個人の決定と個人の心から犠牲が影響を受ける。

それこそが、キリスト教自身が抱える自己矛盾なのだ。カトリック、プロテスタント諸派、エホバの証人、すべてに共通するキリスト教の抱える自己矛盾。

イエスの教えとは、我々を規定し罪に定める律法からの開放ではなかったか?
パウロがローマ書で語っているのは、同じく律法からの開放と、信仰と能動的な行動による救いではないか?

「愛」を動機とした受身ではない能動的な新しいおきて。

組織は「標準」を定める。カトリックが「普遍的」なキリスト教を定義することから始まったように、すべての複数の教会を抱えるキリスト教組織で同様である。
これは組織として決めざるを得ない。しかし、組織が決めてしまうから、個人の心からの犠牲を捧げるのに邪魔になることがある。

まして「標準」が「暗黙の律法」になれば、律法契約を破棄したキリスト教の根源にも関わる問題である。

我々は、以前の姿に戻るべきではない。


組織なしでは、成しえないことがある。一方で、組織があるからこそ、悩まされる個人がいる。

組織なしでは、成しえないことがある。一方で、組織があるからこそ、神から離れてしまう人もいる。

どれだけの時をこのことに悩み、組織を、組織人間を憎みさげすんだろう。


個人の自発的な行動という犠牲と組織の存在は相容れない時もある。
これこそが、キリスト教の宿命的な自己矛盾ではないか!


だからこそ、キリストの会衆、キリストの組織である証明を使徒ヨハネは「愛」で証明するようにと言い残し1世紀の活動を総括しながら、ことさら「愛」を強調したのではなかったか?


あなたはクリスチャン?僕は?
組織の?個人の?


一つだけ言える。僕は個人のクリスチャンとしてキリストの愛に倣いたいと。


それでも、問題も抱える組織や疑問さえ感じる兄弟姉妹もいる会衆に属し続ける意味を問うかもしれない。


きれいごとではなく、目の前で実際にその「組織と個人」という葛藤に悩まされて今にも投げ出したくなるかもしれない。僕がそうであったように。


答えにはならないけど、友人にエホバが大好き大好きでそのオーラがにじむ大切な友人がいる。自分に無いものを持っているから惹かれるのだろうな。

彼を見ながら、彼にとって「組織」ってなんだろう?
ふと思った。

すぐに
彼には「組織」なんて問題にならないぐらい、エホバが好きなのだと思い直した。

いまさらながら、最大のおきて
「神を愛すること」
この大切さと強さを感じずにはいられない。


終わりを声高に述べて、預言者のように振る舞い多くの失敗があったとしても、
一部の会衆で児童虐待があり、裁判で負けたとしても、
何年もクリスチャンをしている「経験ある」兄弟姉妹の一部がしょうもないと思っても、

彼はそれ以上にエホバが好きで好きで仕方がないのだ。
そんな魅力的な彼に敬意を持つ僕。

彼は「組織」からエホバを教えられ、彼はエホバが大好きであると同時にそれを知ってる。
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Unknown (mao)
2012-11-21 00:08:39
なんか思うんですけど、宗教団体の中でエホバの証人ほど考え込んで悩む人の多いとこって、他にそうめったにないんじゃないか?って。
今の気持ちを表すと、なんとも言えないような複雑な思いっていうか・・・
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Unknown (メピボセテ)
2012-11-21 12:31:39
長老が自分の悪行を覆い隠すため、その証拠を握り声を上げた平信徒を会衆の平和を乱す危険人物として、嘘の誹謗中傷を権威者に語り、その権威者がその長老の言う事を全て鵜呑みにし、その平信徒に一言も確かめる事なく協会に報告し、排斥寸前にまで追い込むとすれば、ここに全く悪意はないのでしょうか…
私はこのような経験を自分が実際にしてから数年、愕然とした日々を過ごしましたが組織批判は一切しませんでした。したくなかった。その思いは今も同じです。
悩みに悩んだ末に、フランツの著者を読み、自分の経験が例外的でない現実を知りました。広島会衆然り…
組織のおかげで神と出逢い、組織の供給する食物のおかげで神を更に深く知りました。その事に深く感謝し、そしてこの組織の他に変われるものはないと確信していますが…
けれどこういう現実に自分がまさに遭遇し、またこのケースが自分だけでないと知ってしまった今、何もなかったかのように振る舞い、自分を陥れた会衆で普通にしている事は出来なくはありませんが、大変辛いです。
ブログ主さんは今も熱烈にエホバ神を愛しておられると感じます。
それでも息を潜めて組織に留まるより、組織の外から見守る事を選ばれたのは何故だったのでしょうか…
今、岐路に立っている者です…
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訂正 (メピボセテ)
2012-11-21 12:44:40
先コメで見直しをせず投稿した為「自分を陥れた会衆」とありますが、そうではなく、会衆で自分を陥れ、平然と自分の罪は隠しながら調整者をやっている長老と共にやってゆく事は出来なくはないけれど大変辛い…という事でした。
会衆には愛すべき純粋な仲間が大勢います。何も知らない彼らを騙している事に何とも複雑でやり切れない思いになるのです。
長文失礼致しました
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