time goes by 2014-10-25 05:58:53 | 日記 きぃっとぉ…~ きぃっと だっ・れっ・もっ・がー なにかぁーっ たりないものをー « 害を及ぼす時間 | トップ | あさひの »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ぼんやりと (くれよん) 2014-10-25 09:46:22 しみしみする写真です。秋の紅葉をしっかり見ることで冬を乗り切れる力がわくんだっていうお医者さんがいました。ホントかウソかわかりません。たりないものを無理に満たさなくてもそんなもんだよってくいしばれる強さはだんだん年を取ればわいてくるのでしょうか。「エホバが姉妹のことを気にかけているからわたしがここにいるのよ」これはわたしが組織の中にたら 間違いなく思う言葉ですが、外に出てしまうとなんとも 悲しい。こんなにひとを傷つける言葉はありませんね。生きんで踏ん張って足りないところも受け入れて静かに生きていけるようになりたい。ふぁいてぃーん 返信する 悲しかったのは (くれよん) 2014-10-28 00:23:48 ようやくわかりました。多分「エホバが」と言われるたびに素の自分をそのまま愛してなどもらえないって言われているのと同じだから。エホバの証人という関係がなければ気遣うことなどないって言われているのと同じだからでした。組織にいた間ズットもやもやしていたこともこれだったような気がします。 返信する Unknown (新緑) 2014-10-30 20:16:48 >「エホバが」と言われるたびに素の自分をそのまま愛してなどもらえないって言われているのと同じだから。そうでしたね。くれよんさんのコメント的をついていることが多いです。わたしも嫌いでしたそういう言い方。わたしの方は最近兄弟姉妹たちからのメール無くなりました。記念式前にまた来るかな?くれよんさん、しっかり元司会者の方にお話しされてすごいです。わたしも本当はそういう風に言いたい。でも、なんでわたしに連絡取る人、みんな電話じゃなくてメールとかラインなんでしょうね?料金とか気になる?奉仕にあんなにガソリン代かけるのにね?あと、話それますが、子供の時叩かれた時エホバが親に権威を与えているとかエホバが鞭をしなさいと言っているとかなんとか言われるのも嫌いでしたね。わたしは子供は好きだけれど甘やかすのは嫌いなので自分ももし親になっていたら必要な時は、叩くことが悪いとは実は思わないのですが聖書とかエホバをいちいち出してくるのが嫌い。わたしに以前どなたか鞭は必要ですよ~親になればわかりますって書いていたけれどそういうことじゃないんですよね。反対者がいたのでハンディなモノが良かったのかしゃもじで叩かれていました。しならないので他のモノより痛くなかったかもしれないですね。青いボールペンで箴言の22:6でしたっけ?が書かれていて、インクが滲んでいて。手製のビロードみたいな生地の巾着に入ってました。道具はあんまり長く使わなかったそうなので3歳とか4歳の頃なんでしょうか?とにかくその頃は聖書とかエホバとか大嫌いで叩かれる前親を睨みつけてました。なのでなんとなく今でもしゃもじは嫌い。(笑)特にプラスティックのじゃない木のヤツ。ずーっと前からいつか親がボケてわけわかんない事したらしゃもじで叩きたくなるんじゃないかっていう自分は感じています。実行はしないでしょうけど仲の良い時を過ごしたのも真実ですがそういう残酷な気持ちを抱えている自分も真実です。性格悪いんでしょうね。でもなんとなくその気持ち自体は自分の中で肯定しています。今日は朝から毒出し放題。 返信する Unknown (孤独) 2014-11-02 00:18:53 毒出しといっても新緑さんのは、さわやかに感じるのはハンドルネームのせい?鞭(躾け)イコール体罰だったら私は、無い方がいいと思います。(本当は断言)皆さん承知の事ですが、2時間静かにさせる手段としては、有効。体罰に代わる手段は大人が、もっと努力して開発すべきだと思っています。私は手のひらで一度だけペチンでした。司会者には、ベルトや、手作り鞭の話しも聞きましたが、もともと子供を虐待しかけたのを期に、学び、クリスチャンになったので、自分が制御出来なくなるのが本当に怖くて、鞭をしない方法が、ないかと思っていましたが、信頼出来る姉妹(息子さんや姉妹自身もストレスなく献身されているように見えた)に教えてもらったのが、3ど教え諭してだめなら、一度だけ。でも集会中子供が、爪を噛むようになって、こんな我慢させてちゃダメだ、と思って、目ざめよに載っている動物などをカラーコピーして切り抜いてノートにはったものを集会中見せたり、アイコンタクトや、背中さすったり、小声で褒めたり。海外の集会で日本が厳し過ぎるのがわかってからは、トイレで飴なめさせたり、外の空気吸わせたりしてましたが、2時間は持たないので、どうしてもペチンしてました。子供も力の限り抵抗するので、それを抑えつけてするので、冷静になんてできるわけもなく、自己嫌悪。数年経っても爪噛みは時々でるし。親になったらわかるってなんですかね。私がわかったのは(最中だけど)思い通りにならないことばかりだということ、(自分の親の反面教師があるにもかかわらず)いっきに老け込むほど耐えなければならないことがあること、自分のこさえてきたた物差しは、使えないこと。アイデアマン、コメディアンにならなきゃいけないこと。かな。今のとこ。あと休養必須。経験して、辛かったこと、やだったこと、本音(毒出し)するのは、誰かが、同じ思いをしなくて済むように。してしまった人も癒されるように。まだまだ多くの人が知らない本音が、あるはずだからひろっていきたいですね。 返信する Unknown (mami) 2014-11-04 13:16:07 ムリに期待しすぎて人を傷つけている誰かに迷惑をかけたり傷つけないことってどんなに頑張っても絶対に、なんて人はいない傷ついて初めてわかることもある以前にべレシートさんがかけてくれた言葉と似てますね苦労のない問題のない人生はつまらないって人の気持ちや自分が本当は何に傷つき譲れないものはなんなのかムリな期待って、自分の得のためなのかきっとあなたならできるよって、未知なる伸びしろを信じてるからこそ期待してくれているからなのかなぁ私は人に何を期待しているのかという方向から考えてみるとちょっと違った景色が見える 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
写真です。
秋の紅葉をしっかり見ることで
冬を乗り切れる力がわくんだって
いうお医者さんがいました。
ホントかウソかわかりません。
たりないものを無理に満たさなくても
そんなもんだよって
くいしばれる
強さは
だんだん年を取れば
わいてくるのでしょうか。
「エホバが姉妹のことを気にかけているから
わたしがここにいるのよ」
これはわたしが
組織の中にたら 間違いなく思う言葉ですが、
外に出てしまうと
なんとも 悲しい。こんなにひとを傷つける言葉は
ありませんね。
生きんで踏ん張って
足りないところも
受け入れて
静かに生きていけるようになりたい。
ふぁいてぃーん
多分
「エホバが」
と言われるたびに
素の自分を
そのまま愛してなど
もらえない
って言われているのと同じだから。
エホバの証人という
関係がなければ
気遣うことなどない
って言われているのと同じだからでした。
組織にいた間
ズットもやもやしていたことも
これだったような気がします。
と言われるたびに
素の自分を
そのまま愛してなど
もらえない
って言われているのと同じだから。
そうでしたね。
くれよんさんのコメント的をついていることが多いです。
わたしも嫌いでしたそういう言い方。
わたしの方は最近兄弟姉妹たちからのメール
無くなりました。
記念式前にまた来るかな?
くれよんさん、しっかり元司会者の方にお話しされて
すごいです。
わたしも本当はそういう風に言いたい。
でも、なんでわたしに連絡取る人、みんな電話じゃなくてメールとかラインなんでしょうね?
料金とか気になる?奉仕にあんなにガソリン代かけるのにね?
あと、話それますが、子供の時叩かれた時
エホバが親に権威を与えている
とかエホバが鞭をしなさいと言っているとかなんとか
言われるのも嫌いでしたね。
わたしは子供は好きだけれど甘やかすのは嫌いなので
自分ももし親になっていたら必要な時は、叩くことが悪いとは実は思わないのですが
聖書とかエホバをいちいち出してくるのが嫌い。
わたしに以前どなたか
鞭は必要ですよ~
親になればわかります
って書いていたけれど
そういうことじゃないんですよね。
反対者がいたのでハンディなモノが良かったのか
しゃもじで叩かれていました。
しならないので他のモノより痛くなかったかもしれないですね。
青いボールペンで箴言の22:6でしたっけ?が書かれていて、インクが滲んでいて。
手製のビロードみたいな生地の巾着に入ってました。
道具はあんまり長く使わなかったそうなので3歳とか4歳の頃なんでしょうか?
とにかくその頃は聖書とかエホバとか大嫌いで
叩かれる前親を睨みつけてました。
なのでなんとなく今でもしゃもじは嫌い。(笑)
特にプラスティックのじゃない木のヤツ。
ずーっと前から
いつか親がボケてわけわかんない事したら
しゃもじで叩きたくなるんじゃないかっていう自分は感じています。
実行はしないでしょうけど
仲の良い時を過ごしたのも真実ですが
そういう残酷な気持ちを抱えている自分も真実です。
性格悪いんでしょうね。
でもなんとなくその気持ち自体は自分の中で肯定しています。
今日は朝から毒出し放題。
感じるのはハンドルネームのせい?
鞭(躾け)イコール体罰だったら私は、無い方が
いいと思います。(本当は断言)
皆さん承知の事ですが、2時間静かにさせる手段
としては、有効。
体罰に代わる手段は大人が、もっと努力して開発すべきだと思っています。
私は手のひらで一度だけペチンでした。
司会者には、ベルトや、手作り鞭の話しも聞きましたが、もともと子供を虐待しかけたのを期に、学び、クリスチャンになったので、自分が制御出来なくなるのが本当に怖くて、鞭をしない方法が、ないかと思っていましたが、信頼出来る姉妹(息子さんや姉妹自身もストレスなく献身されているように見えた)に
教えてもらったのが、3ど教え諭してだめなら、一度だけ。
でも集会中子供が、爪を噛むようになって、こんな我慢させてちゃダメだ、と思って、目ざめよに載っている動物などをカラーコピーして切り抜いてノートにはったものを集会中見せたり、アイコンタクトや、背中さすったり、小声で褒めたり。
海外の集会で日本が厳し過ぎるのがわかってからは、トイレで飴なめさせたり、外の空気吸わせたりしてましたが、2時間は持たないので、どうしてもペチンしてました。
子供も力の限り抵抗するので、それを抑えつけて
するので、冷静になんてできるわけもなく、自己嫌悪。数年経っても爪噛みは時々でるし。
親になったらわかるってなんですかね。
私がわかったのは(最中だけど)
思い通りにならないことばかりだということ、(自分の親の反面教師があるにもかかわらず)
いっきに老け込むほど耐えなければならないことがあること、
自分のこさえてきたた物差しは、使えないこと。
アイデアマン、コメディアンにならなきゃいけないこと。かな。今のとこ。あと休養必須。
経験して、辛かったこと、やだったこと、
本音(毒出し)するのは、誰かが、同じ思いをしなくて済むように。してしまった人も癒されるように。
まだまだ多くの人が知らない本音が、あるはずだから
ひろっていきたいですね。
人を傷つけている
誰かに迷惑をかけたり
傷つけないことって
どんなに頑張っても
絶対に、なんて人はいない
傷ついて初めてわかることもある
以前にべレシートさんがかけてくれた言葉と似てますね
苦労のない問題のない人生はつまらないって
人の気持ちや
自分が本当は何に傷つき
譲れないものはなんなのか
ムリな期待って、
自分の得のためなのか
きっとあなたならできるよって、未知なる伸びしろを信じてるからこそ期待してくれているからなのかなぁ
私は人に何を期待しているのかという方向から
考えてみると
ちょっと違った景色が見える