そのカンボジア人の長老は
このように切り出した。
(僕たち カンボジア人は 恥ずかしいんです。)
と目を下にうつむく。
語られたのはポルポトへの憎しみでも 悲しみでもない。
恥ずかしいという感情だったのだ。
彼が説明するには、
日本に来て何度も何度も考えるそうです。
(宗教や人種の違いで戦争や争いがおきるのはわかる。)
(申し訳もたつ)
(でも。。。。。)
(ぼくたちは、同じ人種、同じ民族、同じ言語、同じ仏教徒だった。)
(それなのに
どうしてあのような虐殺が
自分たちの民族に起きることを許してしまったのか?)
どうして ?
どうして ??
どうして ???
その気持ちにただ黙って聞いた。
カンボジア人は日本に来て悲しさからポルポトのことを話せない人もいるかもしれない。
でも根っこには、民族としてのこの恥ずかしさがあるのだ。
自分たち
日本人のエホバの証人たちはどうだろうか。
かつては
あれほど互いを愛し合って
一緒に喜んで王国会館い行き
賛美を歌い
苦しきを忍び
おむすびを分かち合う仲間だった。
同じ民族。同じ言語。同じ人種で創造者を崇拝しながら
同時に
これほどの仲間に対する虐殺に近い抹殺を平気で行ってきた
日本のエホバの証人
日本支部や巡回監督や会衆長老 それを支持する無言の会衆の兄弟姉妹たち
過去一緒に崇拝していた仲間を
あのように追いつめてゆく
長老たちの殺人の息をはずませてゆくのは
いったいどこから来るのだろうか?
この15年間
8万人近い同じ日本人が組織から離れていった責任はいったい誰がとるのだろうか?
誰もその責任を感じないで
毎週 エホバに対して集会のプログラムの復習だけの意味のない祈りが
日本中の王国会館でささげられている。