きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

多分

2013-09-10 07:03:26 | 日記
ここにきている

エホバの証人のみなさんには


自分の思ったことを書いても

不愉快にさせているのだろうと


思います。

せっかくコメントして

応援してくれていた人も

だんだん無口になってゆく。

やはりこれで一区切りにしたほうが

いいのかもしれない。

最近300人の訪問者が600近くになり

ひかりさんに象徴するような

薄っぺらい読者にブログを

読まれることに

残念感を持ってしまう。


ユダヤ教から背教者とみなされたイエス

2013-09-10 06:38:12 | 日記
ユダヤ人と話してみたらわかりますが

イエス

エーシューアは

ユダヤ教の背教者と今でも

烙印を打たれています。

あの精神世界を作った

イエスの内面の世界を評価しないで

外面のしてきたことから


判断するならイエスは背教者にしかならない

安息日を守るために

最善の策として

何をしてはいけないか

厳重に規則をもうけ

してはいけないことをしないように

規則を求めた

イスラエルにゆくと

エレベーターにシャバオトボタンがある

シャバオトとは安息日のヘブライ語だ

なぜかというと安息日に階数を

押す仕事をしたという違反を避けるため

シャバオトボタンだとその日には


自動ですべての階にとまるよう設定

してある。

安息日を現代社会に適応させる

涙ぐましい努力をいまに実行している

その視点はイエスの時代とかわらない

安息日に何が仕事でしてはいけないか

という単純な原則仕分けをしている


だけだ。


それに対してイエスは

まるで挑むかのように

背教者の烙印を押されるかのように

安息日に何かを行なう


あえてて萎えた人をみんなの真ん中に


たたせてなおしている

7日目に神が休みにはいった宗教の固定した見解とは別に

わたしの父はずっと働いていると

当時の宗教から考えもつかない

聖書解釈をおこなってみせてる


そして安息日の本当の精神

一般の仕事を休んで

人を助ける

ため

人を癒すことに焦点をあてる


いまのエホバの証人がイエスに出会えば

聖書を片手に安息日を守らないから

彼が何を教えても


背教者の烙印をユダヤ教と同じで

簡単に押してしまえると思います。


エホバの証人に大切なのは

外面でどんな教えと業をおこなうかで

あって

内面や精神態度ななにも重要でないわけですから。

でも


自分はイエスが大好きだ。


なにもとらわれずに聖書をある視点を


もちだれも考えたことのない結論に

ジャンプする姿が