goo blog サービス終了のお知らせ 

きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

手放す ことに関する聖書的考察

2021-03-04 05:22:00 | 日記
私たち​に​罪​を​犯す: 直訳,「私たち​に​負債​が​ある」。人​は,自分​が​罪​を​犯し​た​相手​に​対し​て​いわば​負債​を​負う。つまり​責任​を​負う。相手​に​罪​の​許し​を​求め​なけれ​ば​なら​ない。イエス​は,山上​の​垂訓​で​教え​た​模範​的​な​祈り​の​中​で,罪​の​代わり​に「負債」と​いう​語​を​使っ​た。(マタ 6:12​の​注釈​を​参照。)許し​に​当たる​ギリシャ​語​は,字義​的​に​は,「手放す」と​いう​意味。つまり,支払い​を​要求​せ​ず​に​債権​を​手放す​と​いう​こと。


わたしたちは


人生で人との関係で


手放せない負債をかかえてしまう。


それが言わば罪意識の重みをもたせてしまう。



解決は


許す



つまり負債を手放すことにあるのだろうか。

岡倉天心との出会い

2021-03-03 05:04:00 | 日記
はからずも


岡倉天心の終焉の芸術活動をおこなった場所に



きた。



天心が最後に見た風景と居住建築に



わたしはすっと入ってゆけた。




彼は美を極めようとした稀有な日本人だったかもしれない。



馬に奇抜な服でまたがる天心の横顔



その終焉の地は



炭酸塩の奇岩が海岸に埋め尽くされていた。




彼の芸術信念は



西洋 東洋というカテゴリーで美を説くのでなく




それぞれで
きわめて大成している美をみつけることだった。



すごい日本人が過去にいたものだ。

腑に落ちた

2021-03-02 06:31:00 | 日記
なぜ

ダ という濁音が

綺麗な心からでてくるか?


んだ んだ  

あるじゃないか。


照れ臭く感謝を隠す日本語の濁音が



んだ んだ


そうだべ


いわなくてもわかってるべ



この感覚に近いのかも知れない。


実際 ダンネバードも


デレ デレ  ダンネバードということがあるようだ。


いや


ダの濁音は



当たり前のところ


小っ恥ずかしくていえないところ



ようやく口をついた勇気ある発音が






だったのかもしれない。