怒れる中年

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白岩義民① 「寛永白岩義民」 371年祭

2009年05月12日 | 白岩義民

 郷土の至宝 “白岩義民” について、少しずつ勉強していきたいと思っています。

 このまま埋もれさせてしまってはいけない、との思いからです。そして何よりも、子どものころから心のどこかに、自分たちの誇りとなっていたからです。

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 5月10日、寛永白岩義民371年祭が、鎮魂の碑が祀られている白岩誓願寺にて、しめやかに催されました。

 10人ほどの年配の女性たちの御詠歌で始まり、静かに鋭く鳴らされる御詠歌のかね(持ち鈴)、和尚様の読経・・・と続く中で、極刑に処せられた多くの義民と一揆に立ち上がらざるを得なかった白岩の農民の心に思いを巡らしたのでした。

 法要に続き、「苛斂誅求の白岩城主 酒井長門守忠重の生涯」と題して、渡辺為夫氏の講演が行われました。

 この義民祭は、白岩義民顕彰会によって毎年催されていますが、私は数年前から、できるだけ出席しています。そのたびに深く考えさせられます。祖先というか先輩というか、多くの人たちの限りない努力によって今日の自分が生きていられるのだなあと。

 “白岩義民” と言っても知らない方がほとんどでしょう。白岩でも、若い方は知らない人もいるようです。

 旧白岩郷(今の寒河江市白岩と西川町の大部分)に起こった大規模な一揆であり、渡辺為夫氏によれば、寛永10年と15年の二度の山をもつ長期の事件であったとのことです。その犠牲者は、寛永10年に10人前後の獄死や磔刑者を出し、15年には36人もの磔刑など38人におよんだと言われています。

 旧白岩郷の人々がこれほどの犠牲を払ったということは、いかに過酷な支配が行われていたかということです。

 こうしたことなどを、これから徐々に勉強していきたいと思います。

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