このところ、人は褒めて育てる、というのが主流になっているような気がする。昔はそうではなかったと思うのだが。
私がはっきり意識したのは、シンクロナイズド・スイミングの小谷選手がメダルをとった時である。彼女はアメリカで教育を受け、その「ほめる」教育で成長したという。自分の出来が良くてほめられたかと思いきや、隣の論外の選手も同じコーチからベタぼめだったのだそうだ。それでオリンピックのメダルがとれたというのだから説得力がある。
もう少しさかのぼって1983年、外山滋比古の「思考の整理学」に、「ピグマリオン効果」が紹介されている。まったく根拠なしでも何度もくりかえしほめていると、徐々に成績が上がっていくというものだ。
まして、多少とも根をもったほめことばならば、かならずピグマリオン効果をあげる。
見えすいたお世辞のようなことばをきいてどうする。真実を直面せよ。そういう勇ましいことを言う人もあるが、それは超人的な勇者である。平凡な人間は、見えすいたことばでもほめられれば力づけられる。お世辞だとわかっていても、いい気持ちになる。それが人情なのではなかろうか。
そうだよねぇ。
という訳で、全面的に賛同するところではあるのだが、一方、それが当てはまらないように見えるケースもよく目にするのである。先生はずっとほめ続けている、しかし成績は上がらない。いや上がってはいるのだが、大してほめられていない者の方が、さらに成績が上がっている、という事態。それほど珍しいものではなく、結構よく目にする。
「よくできている」と先生からほめられて、その後に受けた入試には落ちてしまい、ということでは何のためのほめことばだかわからない。なので、ほめっぱなしというのもできないでいる。
そんなところにやっと出て来た(?)対抗論。発言者が百円ショップの「ダイソー」の社長というところに説得力がある。(PHP Buisiness The 21 2011.2より)
人はほめられて伸びるという声もあるけれど,そりゃ嘘じゃろ。たしかにほめられたときには嬉しくて,一時的に頑張るかもしれん。でも持続はせんよね。ならば,もう一回ほめたらどうなるか。今度は頑張るじゃのおて,調子に乗り始める。ほめ続ければ人を堕落させてしまう。もちろん,ほんとうにほめたいときには素直に褒めたらええよ。けど,人を育てようとしてほめるのは逆効果じゃね。
以下「若い人を鍛えたかったら,しっかりと怒ることがいちばんよ」「いい加減に叱ると,適当にやり過ごせば許してもらえると思われて,これまで怒ったことが無駄になるけえね」と続く。おぉコワっ。 しかし、
じつをいうとワシの中では,社員を育てようという意識はそれほど強くないんよ。ワシは,仕事ができるかどうかは素養の部分が大きいと思っとる。優秀な人は放っておいても伸びるけぇ。怒るのは,そうでない人にもがんばってもらうためのきっかけづくりのようなもんじゃね。
大事なのはココなのではないだろうか。ほめられてがんばる人もいれば、叱られてがんばる人もいる。それは人による、というのは昔から言われてきたこと。同一人物でも、両方の要素を合わせ持つことがあり得る。ほめるか、叱るか、これを見極めるのは難しい。教える側とすれば、一生この命題とつきあうことになるのだろうなぁ。
書籍の推薦、ありがとうございます。
本屋に行った時、注意しておきますね。