この「スピリチュアルズ」という組曲、3曲目まで、それぞれ個性的で魅力がある。が、ここまでは他の作曲家でもそれが書ける人はいる、という範囲内だと敢えて述べよう。
この4曲目は、興味深いことがいくつかある。
まずテキスト。
作曲家に なるという そのときは
ぼくは 音楽を 書くんだ
アラバマの 夜明け について
そのなかに いちばん きれいな歌を いれるんだ
アラバマの黒人の少年が、夜明けの歌を書いて作曲家になる、という情景・・・
そんなこと、あるだろうか?
とも思うけれど、合唱のメンバーが「書くんだ」「書くんだ」と歌い続けると、こりゃあ井財野も書かなきゃ、という気持ちになってしまう。指揮しながら、一方で追い立てられる自分を感じてしまう、妙なところがある歌なのだ。
そして、作曲者の信長貴富がダブってくる。信長が「いちばんきれいな歌をいれるんだ」と我々に語りかけているような錯覚も覚える。本当に一番きれいな歌がはいっているから・・・。
ただ、ここでちょっと目には、とても理解しがたい楽器が登場する。
「霧のように大地から・・・」と歌う部分のバックにカタカタカタ、コトコトコトという音が聞きとれるだろうか。これはカウベルのトレモロなのである。
いちばんきれいな歌で盛り上げて、最上の映画音楽か上質のポップス調とでも言うべき楽想のところに、なぜカウベルのトレモロなのか?
考えられる理由
1. そのままではお涙ちょうだいになってしまうかもしれないので、わざと「お笑い」を入れた。
2. アラバマの大地には牧牛がいっぱいいて、朝になると牛たちが一斉に起きてカタカタゴトゴトやる、という情景を描いている。
皆さんはどう思われるだろうか?
答が何だかはわからないけれど、こういうことを考える人はそうそういない。真に信長が他と一線を画すのは、ここからだと思っている。
</object>
カウベルのトレモロは、映像からは微かにしか聞こえませんでしたが、実際もそうなら、いい感じでバックグラウンドに入ることになるのでしょう。
素直に、アフリカ感を醸し出す音のような気がしますが。
鳥か、獣か、わかりませんが、ドラミングの音。(を模した、アフリカ楽器の音)を模したもの、ではないでしょうか。
お久しぶり・・・ですか?
うーん、アラバマはアメリカの南部の州で、直接アフリカには結びついていないんですよー。奴隷として連れてこられた過去はありますけれど、奴隷は楽器を持てなかったと思いますので。
カウベルのトレモロ、いい感じ、ですか?ありがとうございます。では、この感じでまいりましょう。