ある若い指揮者が、様々な悩みを抱えながら頑張っている様子を偶然知った。
悩まない人はいないから、それだけだと当然なのだが、どう合図を出すべきか、みたいな話になると、私の頭の中に疑問符が増える。
サイトウ・メソード、山田一雄メソード、いずれも「叩き」という打法を一番の基礎におく。続く拍の点が常に予測できる振り方のことである。
昭和20年代から50年代くらいまでに訓練を受けた人達は、ほぼ例外なくこの「叩き」を何カ月もやらされたものである。
ところが、実際オーケストラを指揮すると、この「叩き」が全く不要、どころか、かえって邪魔になることに気がつくのである。
そして、「叩きは使わないから教える必要もやらせる必要もない」という指揮の指導をする人達が現れたようである。
そうだろうか。
確かに、この訓練は日本独自のもののようである。
しかし、私に言わせれば器楽の「ロングトーン」はほとんど使わないから、訓練不要と言っているのと同じに聞こえる。(続く)
悩まない人はいないから、それだけだと当然なのだが、どう合図を出すべきか、みたいな話になると、私の頭の中に疑問符が増える。
サイトウ・メソード、山田一雄メソード、いずれも「叩き」という打法を一番の基礎におく。続く拍の点が常に予測できる振り方のことである。
昭和20年代から50年代くらいまでに訓練を受けた人達は、ほぼ例外なくこの「叩き」を何カ月もやらされたものである。
ところが、実際オーケストラを指揮すると、この「叩き」が全く不要、どころか、かえって邪魔になることに気がつくのである。
そして、「叩きは使わないから教える必要もやらせる必要もない」という指揮の指導をする人達が現れたようである。
そうだろうか。
確かに、この訓練は日本独自のもののようである。
しかし、私に言わせれば器楽の「ロングトーン」はほとんど使わないから、訓練不要と言っているのと同じに聞こえる。(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます