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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

就職就職と騒ぐ一方で…

2019-04-08 22:12:26 | 日記・エッセイ・コラム
〈UNEMPLOYED〉とプリントされたシャツを着た若者とすれ違った。

「プータロー」と喧伝して歩くとは、また大胆な…と思った。

では、サラリーマンがみんな〈EMPLOYED〉と書いてあるシャツで歩いたらどうだろうか。

「雇われています」
今どきの言葉で言えば、「社畜です」

そこら中に社畜がうろうろしている光景を想像すると、心地よいものは感じない。

「雇われていません」=「自由です!」

こう考えると、誇らしいプリントのように思えてきた。

「先生の寿命は5年」説

2019-03-03 22:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
筆者が東京芸大を卒業後しばらくした頃の自説である。(ナマイキーっ!)

当時、続々と新しい先生が着任され、そのレッスンを受けた学生達の自慢合戦があった一方で、クソミソにけなし合いも聞こえてきていた。(みんな生意気!)

貶されている先生、ちょっと前までは絶賛されていたのだよ、と言ってやりたかった。

しかし、国立大学というところは、昔から基本的に人員不足、と言って良いだろう。いろいろしなければならないことが多くて、学生の面倒は「ある程度まで」が普通。

それでも新しい先生は張りきっていらっしゃるから、そのパワーで素晴らしい結果を生む。それが続くのが大体5年くらいかな、と思ったし、実は今でもある程度思っている。

ただ最近、それほど単純ではない現実も知るところとなった。

「学校の中ではすごく高く評価されるが、社会に一歩踏み出すと全く大したことはない」ということは、昔からよくあった。

しかしその逆、離れた場所から見たら素晴らしいことをやっているのに、その地域では大して評価されないということ。
こういうことも、時々あるようだ。

先生が自分を戒める意味で「寿命は5年」で、そこを超える時、しっかり気を引き締める必要はあるだろう。

が、必ずしも先生は悪くなっていないのに、5年で評価が下がってしまう場合もある。そんなことを最近数ヵ所で知ることになった。

なかなか大変な世の中である。

録画をいつ観るか

2019-01-03 16:15:00 | 日記・エッセイ・コラム
年末年始は面白いテレビ番組が目白押し、だった。リーマンショック前までは。

今は、とても少なくなったと思う。
そして、録画しておきたい番組もほとんどなくなった。

昔は忙しかった。紅白歌合戦も全部録画していたものだ。
一回観るだけではもったいないほど手間がかかっているし、世相も反映しているから、と思っていたのだ。

しかし、段々面白くなくなってきた。
歌作りに素人くささを感じてしまうことが増えたから、とも言える。
ので、録画は止めた。

ということもあるかもしれないが、最大の理由はそこではない。
以前書いたけど、DVD-RAMが市場から消え始めたからだ。

私がせっせと録画していたのは教育機関のレクチャーのためである。
紅白歌合戦を教材に使って、ここが面白いとかつまらないとか言うためである。

このDVD-RAMが、世間では使えなくなり始めた。このショックで、録画に対する情熱はかなり失せた。

そうなると、自分で観るためだけの録画になる。

これをいつ観るのか。

まあ、お正月あたりにゆっくりじっくり、と思っていたが、お正月になると、そうは言っても別の番組が一応あるし、テレビの前だけで「ボーっとしてんじゃねぇよ」とチコちゃんから怒られたりして、結局観ない。

なので、半世紀前の習慣に逆戻り。新聞のテレビ欄を見て、観るべき番組を集中して観る。
ありがたいことに、総集編やら連続再放送やらあって、全く観れなかった「西郷どん」やら「義母と娘のブルース」やら、一部分ではあったが、観ることができた。

タイミングが合わなくて、観れなかったものもある。まあそれは縁がなかったと思って諦める。
今どき、観れなかったからと言って地団太踏むような番組はほとんどないし、なまじ録画してしまったら、全部観ないと、と思う性分。そして全部観たら、時間を浪費したと後悔しないとも限らないので、これがちょうど良い。

テレビ局の皆様、2019年も面白すぎる番組を作らないで下さいね。

キョウイクとキョウヨウ

2018-12-31 16:51:19 | 日記・エッセイ・コラム
英語のテキストに載っていた話だ。

高齢者にはキョウイクとキョウヨウが必要

今日行くところがある
今日用事がある

ということ。

年金を払うのも、もらうのも、あと数年、となると、これは他人事ではない。

コンサートは、その「キョウイク」と「キョウヨウ」に大いに貢献できるし、貢献すべきだろう。

2018年、痛切に感じたことである。

来年も良い年でありますように。

ショーソンと「ぞうさん」

2018-12-23 19:16:00 | 日記・エッセイ・コラム
以前も書いたような気がするが、ショーソンの交響曲、第2楽章第2主題と、童謡「ぞうさん」は酷似している。
それを利用して井財野はショーソンからぞうさんにつなげる「團伊玖磨童謡メドレー」を作ったことがある。

さて、近衛秀麿の本を読んでいたら、たまたまショーソンの交響曲、日本初演が1952年だ、という文章があった。

え、そんなに遅いのか、え、昭和27年…

途端にむずむずしてきた。

團伊玖磨が「ぞうさん」を作ったのはその頃ではないか?

ネットで調べると、詳細に調べた人がいらっしゃった。まど・みちおの歌詞を佐藤よしみが改変してしまって、そちらが定着してしまったとか、新聞に載ったゾウの話は、記者の創作だったとか、まあ戦後のどさくさはいろいろあるものだ。

それで、今で言うフェイク記事を基にまど・みちおは作詞して、一旦別人が2拍子の「ぞうさん」を作り、そこそこ普及したと思われる。何故ならば、私の母はその2拍子のぞうさんを、私に歌って聞かせてくれたことがあるから。

そして3拍子のぞうさんが作られ、「3拍子にして、象の感じがとても表れている」と中田喜直は著者「メロディーの作り方」の中で絶賛していた。

が、いつ作曲されたのか、不明になっている。團存命中に多分一番有名な作品になったし、あれだけの文章家だったから、どこかに「こうやって作った」と書いてあって良さそうだが、(多分)唯一「私の好きな歌、嫌いな歌」(エッセイ集、タイトルは違ったかも)に「一番稼いでいる曲」と書いて、大した記述はなかったと思う。

わかっているのは放送発表が1952年の12月だったこと。

ショーソンと團先生が直接結びつく感じはしないので、今までは「他人のそら似」だろうと思っていた。

しかし、ショーソンの初演が同じ時期、東京交響楽団によってとなると話は別だ。團先生が作品発表されていた「三人の会」で演奏を担当していたのは東京交響楽団だったから、関係は深い。

意図的にショーソンのメロディーを借りて作ってやろうとは、さすがに思わなかったと信じる。

だが、ショーソンの交響曲、終盤にあれだけしつこく「ドラーソ、ドラーソ」と繰り返されると、誰でも頭から離れなくなるだろう。

以下は井財野の妄想。

NHKから「ぞうさん」に付曲を頼まれていた團先生。締め切り近いけど、まあ何とかなるさ… … …ほら、出来た。

「それにしてもすぐ出来たな」こんなにすぐできるのは自分に才能があるからか?いや、そうではないけど、まあそういうこともあるさ…。

で、ある時に気付く「あちゃー、ショーソンにそっくり、というかそのまま。でも日本国内ではショーソンより有名になってしまったし、まあ黙っとこ」

こんなところではないかと思う。だから、曲誕生の経緯については深く触れていない。

何故こんな妄想をするか、それは井財野もこういう経験があるから、である。残念ながら日本国内で有名にはなっていないけど。