井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

「燃えた花嫁」と「キャッスル」

2020-12-11 20:57:02 | 日記・エッセイ・コラム
10年前は韓ドラばかり、ひっきり無しに放送していたBS民放、数年前からミステリー物、サスペンス物の2時間ドラマ再放送に移り変わっている。私にとっては良い傾向である。

と言って、普段は全くテレビは見ない(ようにしている)のだが、時々親元に行くとテレビがついているので、どうしても見てしまう。

そして、やはり警察物のドラマを見てしまう。それは、もともとミステリーが好きなこともあるが、それ以上に日本の風俗の変化を確かめるのがとても面白いからでもある。

そこに山村紅葉という女優さんが頻繁に登場する。大して素晴らしい演技をしている感じは正直言ってしないのだが、私と同世代なので応援したいと思う。

その山村紅葉さんのデビュー作が「燃えた花嫁」と、その後知って、俄然応援する気になったのは確か。

それは、この「燃えた花嫁」のロケの一部が「キャッスル」で行われたからに他ならない。

東京芸大が何故か京都大学になって、そこの学生食堂という設定。
小食堂と呼んでいたスペースの隅に座ったのは、田村正和、藤吉久美子、坂上二郎のお三方。

「田村正和が来てるっ!」という噂が練習室の廊下を駆けめぐり、「エーッ」と駆けつけるバカは当時の私。

行くと三重くらいの人垣が。

「あんな飲み物、見たことがない」と内緒話をする学生達。フルーツ片の載ったジュースなんて、今考えても学生食堂らしくない。運ぶウェイトレスはエキストラさんと思われる人で、キャッスルのスタッフではなかった。

学生も、そんなに暇ではないので、入れ替り立ち替り見物をしているから、粘っていると、しっかり見ることができた。

それで私は、藤吉久美子さんをナマで見ると、こんなに綺麗な人なんだ、とひたすら見とれていたのだが、大半は田村正和に大騒ぎだった。

今でも付き合いのある作曲家、同級生のY氏は「田村正和のサインもらっちゃった」とはしゃいでいたのも思い出す。

一方、通りがかりの調律係の職員さん、「誰が来てるの?」「田村正和ですよ」「それ誰?」
という人もいた。

「あ、坂上二郎もいます。」
「ああ、坂上二郎ね。」

この瞬間、故坂上二郎氏の偉大さを思い知ったのであった。

あの時代、坂上二郎を知らない人はいなかったと思うが、それも今は昔の物語、なのだろうなぁ……。

「キャッスル」のレモン戦争

2020-12-06 22:16:58 | 日記・エッセイ・コラム
私の10年上は「全共闘世代」と言われる人達で、大学に行くと「我々ワァー」とメガホンを持ちながら叫んでいた。

ちなみに、大学の教室の椅子と机が固定されたのは、学生紛争の反省からきているそうだ。全共闘世代は、教室の椅子と机で「バリケード」を作って戦っていたのだそうで。

東大の安田講堂で派手な騒ぎがあった頃、そこから20分ほど歩いた場所にある東京芸術大学では学生紛争はあったのか。

美術学部を中心に(比較的地味に)あったそうだ。武蔵野美術大学や多摩美術大学の学生が応援にかけつけたが、そこで東京芸大生のエリート意識が出てしまい、中心になるべき闘争以外のところで後味の悪いものだった、という美術学部の職員の証言を記憶している。

多分その頃の話だと思うのだが、キャッスルの「レモン水」が値上げをする、それで学生と「闘争」になった、という伝説を聞いたことがある。

1杯20円か25円のものが30円になる、それはけしからん!ということで、キャッスルVS音校生で「戦争」になったらしい。

今聞くと、それがなぜ戦争にまで発展するのかわからないし、そうだとしても実にのどかなほほえましい話、当時の言葉で表現すれば、とても「カワユイ」話である。

で、その攻防たるや、レモンをどれだけ薄く切ったらレモン水ができるか、学生とキャッスルスタッフで大実験をやったそうだ。

そして、少し薄く切ったら値上げせずにレモン水を作れる、という実験結果が出たのだが、キャッスルのマスターが、涙ながらに、
「でも、値上げしないとやっていけないんです」
と訴え、幕切れになった、という話。

たかがレモン水に、これだけ熱意を傾けた先輩のエネルギーには敬服する。

しかし、こんな学生を相手に営業してくれたキャッスルの皆さんにも頭が下がる。

今から振り返ると、このように「どうでも良いこと」に一所懸命情熱を注いだ、昭和の青年達の話であった。

「キャッスル」のコーヒー

2020-11-29 18:24:20 | 日記・エッセイ・コラム
東京芸術大学の音校にある食堂が、最初は旧奏楽堂の裏にあったとは聞いていた。

それは全く知らない。私が知っているのは現在の場所、学生会館の1階、しかし新築2年目くらいの、なかなかにして新しさの漂う場所だった。
しかし、冷房がまだなくて、夏は大変だった。
(ちなみに、当時芸大は夏休みに冷房が入らなかった。)

そして、喫茶室という小綺麗な場所があり、学生のたまり場になっていたのだが、そこではちょっと高級感のあるコーヒーが飲めた。

一般の食器同様、陶磁器のカップなのだが、それだけではなく、当時珍しい(恐らく海外製品の)「コーヒーマシーン」で淹れるコーヒーで、茶色い泡が浮いているやつ。ソフトエスプレッソみたいな感じである。
で、私はこれがあまり好きでなかった。何だかインスタントコーヒーみたいで。

と、そこまでは普通の話だが、この喫茶室で数名集まって打ち合わせをしていると、マスターの豊さんが、そのコーヒーを差し入れてくれることが時々あったのだ。

今でこそ、私はコーヒー中毒なのだが、当時はコーヒーを飲むと腕が震えてヴァイオリンが弾けなくなるので、コーヒーは極めて慎重に飲んでいた。

ありがたいやら、ありがた迷惑やら、私の意識は混乱してくるので、結局喫茶室には安心して入れず、入る時はレモネードを頼むのを常としていた。
レモネード1杯50円だったか80円だったか、とにかく一番安い飲み物である。

よく考えると高いような気もするが、高級感あふれる場所なので、そのくらいは払わねばなるまい。

レモネードと言うと、また思い出したことがあるが、それはまた次の機会に。

「キャッスル」閉店によせて

2020-11-22 22:34:56 | 日記・エッセイ・コラム
馴染みの店ができても、そこの店員さんと馴染みになるのは、どうも苦手である。

東京芸術大学には「大関売店」という楽譜等を売る店があった。大関さんというおばちゃんがやっていたのだが、そのおばちゃんが亡くなった時は、元学長が亡くなるより、大騒ぎだった。

私自身は、この大関おばちゃんに覚えられないように、なるべく寄らないようにしていた。このおばちゃん、黛敏郎先生と仲良しだったし、口を開くと「池辺君は~」とか何とか雑談をする。池辺君とは当時既にテレビドラマの音楽で活躍していらした作曲家、池辺晋一郎氏のことである。

こんなおばちゃんと話すと、いよいよ自分が小さく見えるから、ここで駄弁ったり、店番までするヤツの気がしれなかった。

その隣に「キャッスル」という学生食堂があったのである。
学生食堂、と言って良いのかわからない。普通の学生食堂ではなかったからだ。

例えば、食器が全て磁器製だった。これは声楽科の友人が大騒ぎしたから、初めて気づいたのだが、確かに学食の食器はプラスチック等の「割れない」ものを使うのが一般的だ。
「だから、ここはとても贅沢だ」と、その友人はのたまわっていた。

そのせいか、いわゆる学食よりはやや高めの価格設定。カレーライスが250円。これではわからないか……。

それは大した話ではない。来年閉店するにあたって知ったことは、私にとって衝撃だった。

「キャッスル」がもともと東京駅近くで営業していたのは聞いていた。が、初耳だったのは、
・戦前丸ビルで営業しており、東京音楽学校の先生方から贔屓にされていたこと。
・その先生方から「音校の学生にも本格的な洋食を」と頼まれて、昭和11年から音楽学校内で営業し始めたこと。

こうなると、一つの文化財だ。

例によって、経営する福本家にあまり近づかないようにしていた。
でも、そもそも学食の経営者の名前を知っているだけでも、普通の学食ではないと言えるだろう。
そして、それを私でも知っているくらいだから、そうは言っても様々な思い出がある場所だ。

戦前からあるのを知っていれば、諸先輩にももっといろいろ聞いておいたのに。

まあ、仕方ないので、自分の思い出でも振り返るとしようか。

「いってみたいな よその国」はアメリカ

2020-10-25 18:09:00 | 日記・エッセイ・コラム
「メッチャ、アメリカに行きたいんです!」
と言った若者がいた。

ふーん、今でもそういう若い人がいるんだな、と思ったが、その人は宮崎県出身だった。
なるほど、小さい時から太平洋を見て育ったからなぁ、と思った。太平洋の向こう側はアメリカだ。

「海にお舟をうかばせて
行ってみたいな よその国」

これを地でいく話だが、ふと思った。
日本海側の向こう側はロシア、朝鮮だ。
日本海側で育った人が、こんなことを思うだろうか。
この歌詞は、太平洋側を想定しているように思える。


そうなると、行ってみたいよその国はアメリカ大陸と考えるのが無難だろう。

しかも、それは砂浜でなければならない。岩場に立って、そのように優雅な気持ちにはならないだろうと思うからだ。
そう考えると、太平洋側で砂浜がある所はかなり限られてくる。茨城、千葉、神奈川、静岡、高知、宮崎、沖縄くらいだろうか。
北海道、三重、和歌山も少しは穏やかな所があるかもしれないが、せいぜいそのくらいだ。

《うみ》は1番と3番の歌詞がかぶる沖縄の歌か?
それはないとしても、この歌に共感する日本人は以外と少ないのか。

そんなことはない、と多くの方がおっしゃるだろうが、やはり住む場所で海のイメージは当然違うから、私が思う「広いなあ、大きいなあ」とは違う感覚を大勢の方が持っているのだろうなあ、と思う。

私はやはり、国内では太平洋を見ないと「広いな大きいな」とは思えないのである。

太平洋を見たことがない方には是非ともご覧になっていただき、その後「海は広いな」と歌ってもらいたい。