ファンタを飲んだ。
もう何十年も飲んでいなかったが、小学生の頃は、結構飲んでいた。その後と違い、選択肢が少なめな高度経済成長時代だったから。
汽車に乗ると、条件反射的に何か飲みたくなる。しかし、私は今でも炭酸飲料が苦手だ。特にコカ・コーラは舌がチリチリ痛くて、みんながなぜあんなに平気で飲むのか、全く理解できない。
それで選ぶのがファンタグレープ。これも炭酸だから、なぜ?と思われるだろうが、汽車に乗ると炭酸飲料しかなかった時代だった。
いや、正確にはバヤリースとかあったけど、あれはあれで気持ち悪くなる飲み物。乗り物酔いもよくするので、バヤリースなど飲んだ次から吐いてしまうだろう。
なので、仕方なくファンタグレープだ。ファンタオレンジもあったのだが、オレンジジュースはありがたみが少ない。グレープジュースなんて、これでしか飲めなかった。
と言いながら、ファンタグレープはグレープジュースではない。
いや、現在のファンタグレープは果汁1%と書いてあるから、かろうじてジュースかな。
飲んでみると、心なしか果汁を感じる。昔のファンタグレープよりおいしい、ような気がする。
当時のファンタグレープは、堂々の無果汁❗️
それでも、グレープジュースというだけで高級な感じを持ったのである。
書きながら、まるで北朝鮮の子供の話を書いているのでは、と一瞬思った。
しかし、次の瞬間思い出したぞ「みかん水」
中学の国語の教科書に出てくる話だ。
「尋三の春」
妹に飲ませたい一心から、乏しい小遣いでみかん水を買って帰ったら、お父さんに「贅沢だ」とこっぴどく叱られ、でも妹は陰で申し訳なさそうにみかん水を飲む、という話。
非常にわびしい、やるせない物語。全国の中学生がジュースを見て「みかん水」と呟いたはずだ。
そして「今はコーラもファンタもある。ずっと豊かな世の中だ。」と当時の中学生は一斉に思っただろう。
でも本当のところはどうだろうか。
当時、果汁の入ったジュースはあまりなく、ちょっと後にHi-Cというのが出たけど果汁は半分も入っていなかったような記憶がある。
今のように、コンビニに行けば果汁100%がいくらでも買える訳ではなかった。
この5年後に、東京でブドウ100%のジュースを見た時は、それこそ「尋三の春」のように買って帰って、九州の人に飲ませたかった。
いや、私が九州の実態を知らないだけかもしれないと思い、その後すぐ、長崎のスーパーマーケットに入ってリサーチした。
そこに置いてあったのはカゴメのトマトジュースとオレンジジュースのみ。しかも缶入り。
リンゴやブドウの100%ジュースは東京だけのものだった。
状況的には「尋三の春」の相似形で、今から見ると、少しも豊かな感じがしない。
おまけに「ノストラダムスの大予言」や「日本沈没」の洗礼を受けた後で、未来は暗いと、当時の子供は刷り込まれた頃の話だ。
では、今は豊かなのか。
物質面では、とてつもなく豊かになった。
コカ・コーラの自販機なのに、売っているのはコーヒー飲料とお茶が大半。(どちらもこの数年後に発売され始める。)
当時は物質面が豊かになれば幸せを感じた。
今は多分違う。精神面が豊かになること、人々が交流することが幸せに結びつく。
これが制限されている以上、幸せな感覚を持てないのは当然だ。
だから、せめて果汁100%のグレープジュースを飲める喜びを幸せと感じよう。
(いつまで経っても「尋三の春」と大して変わらない日本であった。)