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「戦争への教育」 たんぽぽ日記

2017-08-20 20:35:39 | 八百長戦争

平成24(2012)年2月26日


たんぽぽ日記さんの力作を再編再掲
 
「戦争への教育」 たんぽぽ日記
http://satehate.exblog.jp/20835550/

安倍晋三や橋下徹はなぜ教育界の支配を目指すのか 「戦争への教育」政治=哲学に調教されてきた人類 世界の人口を調整するために たんぽぽ日記 2013年10月13日
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/11335973.html 元ページは消されました

安倍政権が学校教育者の管理を、教育委員会から各首長(すなわち、橋下徹のような悪しき政治家たち)に移管する方針であるということが報道されている。




すでに橋下徹が支配する大阪では、教育の現場で橋下徹が強制した「国家斉唱」や「国旗掲揚」が義務づけられ、国家を歌わない先生は罰せらるという、 教師の精神の自由が奪われる「違憲状態」が現出している。

学校の先生たちがなぜ「国家の斉唱」を嫌悪しているのかといえば、それは戦時中に国家の斉唱や国旗掲揚が強制され、「戦争が国民の義務」とされてきたからに他ならない。

「生徒たちを二度と戦場に送らない」という日教組の素晴らしい理念が、安倍晋三や橋下徹、そして暴力団が支配する右翼団体によって打ち破られる日が近づいている。




なぜこれほどまでに安陪晋三や橋下徹が「教育」にこだわるのか?その答えはプラトンの「国家」に書かれている。

これはプラトン哲学の中でも最も重要な要素であり、「肉体のこの世からの消滅=生命の否定」を目指すプラトン哲学の思想を成し遂げるための核心的な手法となる、子供たちや国民の思想支配が盛り込まれているのである。

人間の思考を「平和」から「戦争」モードに切り替えるという、まさに真の魔術が隠されているのだ。



魔術とはネズミをライオンに変えることではなく、人間の心を凶暴化させたり、おとなしくさせる術なのである。

以下「国家」プラトン著 岩波文庫より引用

「では次に」とぼくは言った、
「教育と無教育ということに関連して、われわれの人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。

ー地下にある洞窟状の住まいの中にいる人間たちを思い描いてもらおう。

光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入り口が洞窟の幅いっぱいに開いている。

人間たちはこの住まいの中で、子供の時からずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前の方ばかりをみることになって、縛めの為に、頭を後ろへめぐらすことはできないのだ。

彼らの上方はるかのところに、火が燃えていて、その光が彼らの後ろから照らしている。

この火と、この囚人たちの間に、ひとつの道が上の方についていて、その道に沿って低い壁のようなものがしつらえてある。

それはちょうど、人形遣いの前についたてがあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じようなぐあいになっている」

「思い描いています」とグラウコン。

「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や水やその他いろいろの材料で作った、人間およびその他の動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んでゆくものと、そう思い描いてくれたまえ。運んでゆく人々の中には、当然、声を出す者もいるし、黙っている者もいる」


「奇妙な情景の喩え、奇妙な囚人たちのお話ですね」

「われわれ自身によく似た囚人たちのね」とぼくは言った。



プラトンがソクラテスに言わせているように、洞窟の中の囚人とは我々大衆のことであり、洞窟の中で影絵を演じているのが政治家やマスコミである。さらにその政治家やマスコミに指示して演舞をさせている人間たちがいる。






プラトンの書き方では少しわかりにくいので説明をつけ加えるが、この洞窟の囚人たちはみな洞窟の突き当たりの壁に向かって縛り付けられている。

その突き当りの壁が丁度スクリーンとなり、支配者に命じられた政治家たちが演じる影絵を眺めているわけだ。その影絵システムが、現在ではテレビ局に移り変わっただけなのだ。

囚人たちはこの影絵システムから流れる政治芝居しか見たことがないので、影絵が演じるすべてを真実だと子供の頃から思い込まされている。



そして影絵が求めるまま、影絵が「平和が正義」であるといえば平和を信じ、「戦争が正義」であるといえば、影絵の言うがままに戦争に向かう。

これこそがプラトンが見抜いていた政治と大衆の実態であるのだが、別にプラトンは大衆をその洞窟から導き出したりはしない、むしろ「洞窟から出してやる」といいつつ、もっと恐ろしい地獄への道へと導いてゆくのである。









安倍晋三や橋下徹はなぜ教育界の支配を目指すのか 「戦争への教育」政治=哲学に調教されてきた人類 世界の人口を調整するためにⅡ
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/11336082.html

とにかく我々大衆は政治家に騙されやすい。




いまアメリカの「デフォルト」で世界が大騒ぎになっている。私はオバマがアメリカ大統領に就任したとき、バラク・オバマは人々を貧しくするために支配者たちから送り込まれた、新訳聖書で予言されている「黒い馬」であると書いた。

大衆が貧しくされれば生活がすさみ、犯罪や戦争に奔ることは歴史が証明している。 (蛇足:第二次世界大戦前も現在も戦争前の定石)

安陪晋三が解雇特区の新設や派遣無期限化を目指しているのも、孫正義や渡邉美樹などのごく一部の経営者たちだけがさらに金持ちになり、私たち国民がご飯も食べられなくなる戦前の暮らしを取り戻すためである。



現に安陪晋三は「取り戻す!(国民の貧しい暮らしを!)」と叫び続けているではないか

以下「国家」プラトン著 岩波文庫より

「つまり、まず第一に、そのような状態に置かれた囚人たちは、自分自身やお互い同士について、自分たちの正面にある洞窟の一部に火の光で投影される影のほかに、何か別のものを見たことがあると君は思うかね?」

「いいえ」と彼は答えた、
「もし生涯、頭を動かすことができないように強制されているとしたら、どうしてそのようなことがありえましょう」

「運ばれているいろいろの品物については、どうだろう?この場合も同じではないかね?」

「そのとおりです」

「そうすると、もし彼らがお互いどうし話し合うことができるとしたら、彼らは自分たちの口にする事物の名前が、まさに目の前を通り過ぎてゆくものの名前であると信じるだろうとは、思わないかね」

「そう信じざるえないでしょう」

「では、この牢獄において、音もまた彼らの正面から反響して聞こえてくるとしたら、どうだろう? (彼らのうしろを)通り過ぎてゆく人々の誰かが声を出すたびに、彼ら囚人たちは、その声を出しているものが、目の前を通りすぎてゆく影以外の何かだと思うかね?」

「いいえ、けっして」

「こうして、このような囚人たちは」とぼくは言った、「あらゆる面において、ただもっぱらさまざまな器物の影だけを、真実のものと認めることになるだろう」

「どうしてもそうならざるをえないでしょう」と彼は言った。

「では、考えてくれたまえ」とぼくは言った。

「彼らがこうした束縛から解放され、無知を癒されるということが、そもそもどのようなことであるかを。それは彼らの身の上に、自然本来の状態へと向かって、次のようなことが起きる場合に見られることなのだ。

彼らのひとりが、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光のほうを仰ぎ見るようにと、 強制されるとしよう。

そういったことをするのは、彼にとってどれもこれも苦痛だろうし、以前には影だけを見ていたものの実物を見ようとしても、目が眩んでよく見定めることができないであろう。

そのとき、ある人が彼に向かって、 『お前が見ていたのは、愚にもつかぬものだった。

しかし、今は、お前は以前よりも真実に近づいて、もっと実在性のあるものの方に向かっているのだから、前よりも正しく、ものを見ているのだ』 と説明するとしたら、彼はいったいなんと思うかね?

そしてさらにその人が、通り過ぎてゆく事物のひとつひとつを彼に指し示して、

それが何であるかをたずね、むりやりにでも答えさせるとしたらどうだろう?

彼は困惑して、以前に見ていたもの[影]のほうが、いま指し示されているものよりも真実性があると、そう考えるだろうとは思わないかね?」

「ええ、大いに」と彼は答えた。

「それならまた、もし直接火の光そのものを見つめるように強制したとしたら、彼は目が痛くなり、向き返って、自分がよく見ることのできるものの方へと逃げようとするのではないか。

そして、やっぱりこれらのものの方が、いま指し示されている事物よりも、実際に明瞭なのだと考えるのではないだろうか?」

「そのとおりです」と彼。

「そこで」とぼくは言った。 「もし誰かが彼をその地下の住まいから、粗く急な登り道を力ずくで引っぱって行って、太陽の光の中へと引き出すまでは話さないとしたら、

彼は苦しがって、引っぱって行かれるのを嫌がり、そして太陽のもとまでやってくると、目はぎらぎらとした輝きでいっぱいになって、いまや真実であると語られるものを何ひとつとして、見ることができないのではなかろうか?」

「できないでしょう」と彼は答えた。「そんな急には」

「だから思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというものがどうしても必要だろう。 ーまず最初に影を見れば、いちばん楽に見えるだろうし、つぎには、水にうつる人間そのたの映像を見て、後になってから、その事物を直接見るようにすればよい。

そして、その後で、天空にあるものや、天空そのものに目を移すことになるが、これにはまず、夜に星や月の光を見るほうが、昼間太陽とその光を見るよりも楽だろう」

「ええ、当然そのはずです」



プラトンがソクラテスに言わせているこれらのことが、秘密結社「フリーメイソン」の三階級を意味しているということを理解できる人はそういないだろう。

世界政治という「影」だけを見ているのが我々大衆である。

それがフリーメイソンの「徒弟」階級に入社すると、水に影ではなく、「水に映った実像」を見ることができる。

そして「職人」の階級に上がると、水に映った実像ではなく、「実像そのもの」を目にすることができる。

そして最後の「親方」の階級まで上がると、「この世のものではない」と言われる、上方世界、すなわち「神の領域」を目にすることができるというのだ。


-ただし、悪霊の住む上方世界の-


その上方世界にもさらに階級があり、フリーメイソンでは30階級以上にならないと明かされないように、最初は月や星の神々を知り、そして最後に万物の父である太陽について知るというのだ。







ー太陽を悪魔の仲間入りさせるのは止めてくれー


実際、ギリシャ神話のアポロンは厄病神として知られている。

人間界に戦争や疫病を起こす神であるが、実際の太陽はそのような悪しき存在ではない。

ー仮に太陽の波動エネルギーがHAARPで利用されているとしても、それは太陽自身の行為ではなく、そのエネルギーを悪用する悪しき者共による犯罪であるからだー

地球上のすべての生命は太陽の存在なくして生まれてくることはなかったのであるから、太陽は人間の肉体を生み出した父であることは理解できる。

ただ、聖書に書かれているような悪しき悪魔でも、ギリシャ神話やメイソンが崇拝するような悪しき神でもない。

フリーメイソンになり、最上級まで上り詰めれば、この世の影ではなく、世界で実際に行われてきた真実の歴史を知ることになるであろう。


それは、プラトンが言うように、世界を動かす人間どもと、その仲間しか知らないことであり、大衆に知られてはならない「政治のからくり」であるのだ。

それにしても、プラトンの書物に登場するソクラテスの会話の相方は、毎度のことながらソクラテスが話を進めるにあたり、都合のよい相槌しか打たない。

その理由は、この問答集が、実は本当にソクラテスとその弟子たちによる哲学問答であったのではなく、あくまでもプラトンの創作による演劇の台本であるという理由による。

この問答の場にプラトン自身は居なく、プラトンはソクラテスの話を直接聞いていない。

さらに、ソクラテスの話を誰も速記していたわけでもなく、もちろん録音などされているわけがないから、ここに書かれていることは、のちにプラトンがすべて創作した哲学問答なのである。

プラトンの師であるソクラテスは後にアテナイにおいて死刑を宣告される。その理由は「ソクラテスは罪を犯すものである。彼は青年を腐敗せしめか国家の信ずる神々を信ぜずして他の新しきダイモンを信ずるがゆえに」というものであった。

人間の生ける生命ではなく、死や霊こそが「真の生」であるとして、人間を死に向かわせたソクラテスは古代ギリシャにおいて正しくも断罪された。

ところが、その悪しき哲学がルネッサンスにメディチ家によってヨーロッパにもたらされてしまう。



以来、このプラトン哲学は欧米の支配者たちの精神の中心を担う学問であるとされ、「植民地」や「戦争」における人間殺しを正当化する「口実」として使われてきた。

人間の肉体が塵から生まれ、悪しき悪魔によって魂を吹き込まれた「悪」であるとする哲学が、世界政治の根幹を支えてきたのである。



ソクラテスとプラトンという悪魔が、数千年の時を超えて人間界を支配する時代が開始されたのだった。

そして悪魔の時代は現代も続いている



プラトンに限らず、哲学は至高の学問とされているのである。

「国家」はプラトンという悪霊が書いた「魔道書」である。

大衆は騙されやすく、哲学と聞いただけでもう何もかも理解できず、ただ頭を垂れてしまう。

プラトンの主張は読めば少しも難しくなどない、人間世界を良くすることが目的ではなく、人間の霊を上方世界に帰すという、明確な目的をもって書かれた書物なのである。

ゆえに「国家」は魔道書なのであり、「聖書」同様、人間社会に戦争を持ち込む役割を果たしている。









ーⅢに続くー


おまけ



五輪テロ警戒 「共謀罪」創設、再提出を検討 政府、来年通常国会で 産経新聞 9月24日(火)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130924-00000065-san-pol

リンカーン、ケネディ、オバマ繋がり&フランクリン&50セント(ハーフダラー) 2013/10/11(金) 午前 0:26
http://blogs.yahoo.co.jp/ontibt_des/64704109.html






政府がたった一月で米国債を5.2兆も購入!そんな余裕あるなら、なぜ消費増税?増税分が一瞬でアメリカに 原発問題 2013-10-11 00:11:16
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/34ea53930a49ec58777b466d151f965a

日本国民の預貯金650兆円が米国連邦政府の財政を支えてきたと知れ!米デフォルト危機を日本の対米自立のチャンスとすべき  新ベンチャー革命 2013/10/13(日) 午後 3:57
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/32737476.html



「戦争への教育」 たんぽぽ日記 続編
http://satehate.exblog.jp/20841132/

安倍晋三や橋下徹はなぜ教育界の支配を目指すのか 「戦争への教育」政治=哲学に調教されてきた人類 世界の人口を調整するためにⅢ たんぽぽ日記 2013年10月14日
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/11337272.html

以下、「国家」プラトン著 岩波文庫より

「思うにそのようにしていって、最後に、太陽を見ることができるようになるだろうー 水その他の、太陽本来の居場所ではないところに映ったその映像をではなく、太陽それ自体を、それ自身の場所において直接しかとみてとって、それがいかなるものかを観察できるようになるだろう」

「必ずそうなるでしょう」と彼。

「そしてそうなると、今度は、太陽について次のように推論することになるだろう、-この太陽こそは、四季と年々の移り行きをもたらすもの、目に見える世界におけるいっさいを管轄するものであり、また自分たちが地下で見ていたすべてのものに対しても、ある仕方でその原因となっているものなのだ」

「ええ」と彼は言った。 「つぎにはそういう段階にいたることは明らかです」

「するとどうだろう?彼は、最初の住まいのこと、そこで(知恵)として通用していたもののこと、その当時の囚人仲間のことなどを思い出してみるにつけても、身の上に起こったこの変化を自分のために幸せであったと考え、地下の囚人たちを哀れむようになるだろうとは、思わないかね」

「それはもう、たしかに」

「地下にいた当時、彼らはお互いの間で、いろいろと名誉だとか賞賛だとかを与えあっていたものだった。とくに、つぎつぎと通り過ぎてゆく影を最もよく鋭く観察していて、そのなかのどれが通常は先に行き、どれが後に来て、どれとどれが同時に進行するのが常であるかをできるだけ多く記憶し、それに基づいて、これからやって来ようとするものを推測する能力を多く持っているような者には、特別の栄誉が与えられることになっていたー

とすれば、君は、このいまや解放された者が、そういった栄誉を欲しがったり、彼ら囚人の間で名誉を得て権勢の地位にある者たちを羨んだりすると思うかね?

むしろ彼は、ホメロスがうたった言葉と同じ心境になって、かの囚人たちの思惑へと逆戻りして彼らのような生き方をするくらいなら、『地上に生きて貧しい他人の農奴となって奉公すること』でも、

あるいは他のどんな目にあうことでも、そのほうがせつに望ましいと思うのではないだろうか?」

「そのとおりだと私は考えます」と彼は言った。 「囚人たちのような生き方をするくらいなら、むしろどんな目にあってもよいという気になるでしょう」

「それでは、次のこともよく考えてくれたまえ」とぼくは話を続けた。

「もしこのような人が、もう一度下へ降りて行って、前にいた同じところ座を占めることになったとしたら、どうだろう?太陽のもとから急にやってきて、彼の目は暗黒に満たされるのではないだろうか」

「それはもう、大いにそういうことになるでしょう」

「そこでもし彼が、ずっとそこに拘禁されたままでいた者たちを相手にして、もう一度例のいろいろの影を判別しながら争わなければならないことになったとしたら、どうだろうー

それは彼の目がまだ落ち着かずに、ぼんやりとしか見えない時期であり、しかも、眼がそのようにそこに慣れるためには、少なからぬ時間を必要とするとすれば?そのようなとき、彼は失笑を買うようなことにはならないだろうか。

そして人々は彼について、あの男は上に上へ登って行ったために、目をすっかりだめにして帰ってきたのだと言い、

上へ登ってゆくなどということは、試みるだけの値打ちさえもない。

というのではないだろうか。

こうして彼らは、囚人を解放して上の方に連れて行こうと企てる者に対して、もしこれを何とかして手のうちに捕らえて殺すことができるならば、殺してしまうのではないだろうか」

「ええ、きっとそうすることでしょう」と彼は答えた。

「それでは親しいグラウコンよ」とぼくは言った。

「いま話したこの比喩を全体として、先に話した事柄に結びつけてもらわなければならない。

つまり、視覚を通して現れる領域というのは、囚人の住まいに比すべきものであり、その住まいの中にある火の光は、太陽の機能に比すべきものであると考えてもらうのだ。

そして、上へ登って行って上方の事物を観ることは、魂が(思惟によって知られる世界)へと上昇してゆくことであると考えてくれれば、ぼくが言いたいと思っていたことだけは、ーとにかくそれを聞きたいというのが君の望みなのだからねーとらえそこなうことはないだろう。



我々は洞窟の中で太陽のフリをしている火の光、すなわち「安陪晋三」や「バラク・オバマ」に騙され、洞窟に縛られたまま生きている囚人である。ー安倍の起こす戦争や、オバマの経済破壊になんの抵抗もできない囚人ー (引用注:黒い太陽だとバレバレになっても、まだ続けています)



もうすぐ安倍の起こす戦争で殺されることになるだろう。



そしてこの後、教育とは何のために行われるのか、さらにはプラトン哲学の「目的」が明らかにされてゆくー





全世界は地獄王プルートン、すなわちプラトン哲学の支配下にある。

福島原発から今でも放出されている猛毒の放射性廃棄物、原子炉を動かすその猛毒は、 この地獄から世界を動かす哲学者プラトンに因んで「プルトニウム」と名づけられた。

この世の終わりに現出し、全人類を破滅へと導く「悪の王」である。

福島原発は「パンドラの箱」であり、日本破滅の序章であった。

安倍晋三が福島原発事故の終息に力を入れていないのは、そこから漏れ出す悪が、この日本と全世界を満たすときを待っているからである。

私が総理大臣であれば、「東京オリンピック」の招致などに金や時間をかけず、 国家の総力を以って「福島原発事故終息」に注力するであろう。

それが日本国民、そして全世界に対して日本国政府が負うべき「責任」というものではないか。

小泉の息子に林檎を齧らせれば国民が騙せると考える、姑息な者共にこの国を救う気持ちなどあるわけがない。

放射線が飛び散る国でオリンピックが開かれるとき、世界は終わりを告げるだろう。



正義と悪が逆転し、何が正しいのか、人間が判断できない時代を、政治家とマスコミが生み出しているのだ。


ーⅣに続くー


※後半の私の意見だけ、安倍晋三のいる首相官邸に送りつけました。政治家が行っている悪事をこの世に明らかにし、正しい政治を行わせることが、私たち国民、大人たちの役目ではないでしょうか。(引用注:これでブログをまるごと葬られたのでしょう)

戦争で殺し合わされるより、真実を伝えて殺されるほうが正しい生き方だと私は考えています。


安倍晋三や橋下徹はなぜ教育界の支配を目指すのか 「戦争への教育」政治=哲学に調教されてきた人類 世界の人口を調整するためにⅣ 2013年10月15日
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/11338150.html

みんな、今日は仕事が遅かったので書かないつもりだったけれど、みんな待っているようだからなんとか書きました。

「国家」プラトン著 岩波文庫より

ただし、これがまさしくこのとおりであるかどうかということは、神だけが知りたもうところだろう。とにかくしかし、このぼくに思われるとおりのことといえば、それはこうなのだ。
―知的世界には、最後にかろうじて見てとられるものとして、〈善〉の実相〈イデア〉がある。

いったんこれが見てとられたならば、この〈善〉の実相こそはあらゆるものにとって、すべて正しく美しいものを生み出す原因であるという結論へ、考えが至らねばならぬ。

すなわちそれは、〈見られる世界〉においては、光と光の主を生み出し、〈思惟によって知られる世界〉においては、みずからが主となって君臨しつつ、真実性と知性とを提供するものであるのだ、と。

そして、公私いずれにおいても思惟ある行いをしようとする者は、この〈善〉の実相をこそ見なければならぬ、ということもね。

「私もまた、同じ考えです」と彼は答えた「私にできる限りでは」

「さあそれでは」とぼくはつづけた、「次のことでも同じ考えになってくれたまえ。そして、けっして驚かないようにしれくれたまえー上の世界に行ったことのある人々は、 世俗のことを行う気にならず、彼らの魂はいつも、上方で時を過ごすことを切望するということを、それは当然のことだろうからね。いやしくもこの点について、こんども先に語られた比喩のとおりであるとするならば」

「ええ、たしかにそれは当然のことです」

「ではどうだろう。次のことは、何か驚くに足るようなことだと思うかね?」と僕は言った、

「神的なものを観照していたひとが、そこを離れてみじめな人間界へと立ち戻り、その場の暗闇にじゅうぶん慣れないで、まだ目がぼんやりとしか見えないうちに、法廷その他の場所で、正義の影、あるいはその影の元のある像について、裁判上の争いをしなければならないようなとき、そしてそういった影や像が〈正義〉そのものをまだ一度も見たことのない者たちによって、どのように解されてうるかを巡って争わなければならないようなときに、へまなことをして、ひどく滑稽に見えたとしても、これは驚くに足ることだろうか」

「いいえ、ぜんぜん驚くに足りません」と彼は答えた。

「むしろ、心あるひとならば」と僕は言った、
「目の混乱には二通りあって、その原因にも二通りあるということを、想い起こすだろう。すなわち、光から闇へと移されたときに起こる混乱と、闇から光へと移されたときに起こる混乱とがそれだ。

そして、これとまったく同じことが魂の場合にも起こるということを認めるならば、ものをよく見定めることができずにまごまごしているような魂をみても、わきまえもなしにただ笑うというようなことはしないだろう。

むしろ、その魂はもっと明るい生活の中からやってきたので、不慣れのために目がくらんでしまっているのか、それとも、もっとひどい無知の状態の中から比較的明るいところへ出てきたので、以前よりは明るい輝きのために、目がちかちかと火花でいっぱいになっているのか、そのどちらであるかを、よく調べてみることだろう。

そしてそのように調べた上で、一方〔前者〕の魂に対しては、そのような状態と生き方を幸せであるとみなすだろうし、他方〔後者〕の魂に対しては、哀れみを感じるだろう。

その場合、その魂のことを笑いたくなったとしても、上方の光の中から来た魂を笑う場合に比べるならば、その笑いには笑止な点がすくないということになろう」

「それは、たいへん公平適切なお説です」と彼は答えた。

「それなら」とぼくは言った、「もし以上に言われたことが真実であるならば、われわれは目下問題にしている事柄について、次のように考えなければならないことになる。

すなわち、そもそも教育というものは、ある人々が世に宣言しながら主張しているような、そんなものではないということだ。

彼らの主張によれば、魂の中に知識がないから、自分たちが知識を中に入れてやるのだ、ということらしい、-あたかも盲人の目の中に、視力を外から植えつけるようにね」

「ええ、たしかにそのような主張が行われていますね」

「ところがしかし、いまのわれわれの議論が示すところによれば」とぼくは言った。
「ひとりひとりの人間がもっているそのような〔真理を知るための〕機能と各人がそれを学び知るところの器官とは、はじめから魂の中に内在しているのであって、ただそれを-あたかも目を暗闇から転向させるには、身体の全体といっしょに転向させるのでなければ不可能であったように-魂の全体と一緒に生成流転する世界から一転させて、実在およに実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪え得るようになるまで、導いて行かなければならないのだ。

そして、その最も光輝くものというのは、われわれの主張では、〈善〉にほかならぬ。
そうでないかね」

「そうです」

「それならば」とぼくは言った、「教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け変えの技術にほかならないということになるだろう

それは、その器官のなかに視力を植えつける技術ではなくて、視力ははじめからもっているけれど、ただその向きが正しくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ



プラトンらは教育を向け変えの術だと言っている。まさに安陪晋三や橋下徹、石破茂の狙いはそこにあるのだー

彼らが目指している教育とは、平和から戦争へ、若者たちの思想を向け変えることである。








今日はすべては書き写せなかった(見ながら書き写すには本当に長い、コピーできればどれほど楽な作業であることか・・・)

プラトンやソクラテスはなぜ教育によって若者や国民の思想を向け変える必要があると説いたのか、その答えは次回とさせていただきます。

※疲れましたので校正は行いません、誤字脱字は許してください。



マレーシア首相 TPP協定は最終決定前に議会でも議論 交渉の反民主的本質に挑戦
http://www.juno.dti.ne.jp/tkitaba/globalisation/regional/news/13101201.htm

 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉首脳会合が終わって4日が過ぎた。交渉の年内妥結の可能性や是非をめぐる論議がかまびすしい。ところが、そういう論議で当然重視されると思っていたマレーシア・ナジブ首相の発言が、少なくとも日本の政治家やマスコミの間では、未だに取り上げられない。取り上げられる気配もない。ここで注意を促さざるを得なくなった次第である。

 その発言とは、TPP首脳会合に先立つAPECCEOサミット(10月7日)対話セッションでなされたもので、「われわれはTPPをマレーシア議会に提出する必要がある」というものである。TPPについては、国家主権と国内政策決定権にかかわる問題を研究する必要がある。最終決定の前に、閣内だけでなく、議会でも論議するというのである。

 TPP to be debated in parliament, says Najib,The Star,13.10.9
http://www.thestar.com.my/News/Nation/2013/10/09/TPP-to-be-debated-in-parliament-says-Najib.aspx

 Govt Committed To Presenting TPPA At Parliament, Says Najib,Bernama(マレーシア国営通信),13.10.7
http://www.bernama.com/bernama/v7/bu/newsbusiness.php?id=983775

 議会に諮るとなれば年内妥結の可能性は遠のくが、それは年内妥結のみならず、徹頭徹尾秘密主義に貫かれたTPP交渉の本質、「自由と民主主義」に反する本性(⇒ダーウィン主義のTPP 何が「力による支配ではなく」、「自由と民主主義」だ,13.3.19)への挑戦ではなかろうか。TPPの議会提出は「守秘義務」=踏みにじられた民主主義への挑戦に等しい。だからこそ、この発言を重視するのである。

 わが国政治家は、このマレーシア首相の姿勢にこそ学ぶべきである。最終合意は、必ず議会の審議を経なければならない。

++
日本では選挙もやり直してからでなくては。さらにその前に選挙制度を改善しなければ




豪や英の外資が入札に参加検討 関空、伊丹の運営権売却
http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013101101002540.html

安倍晋三が福島の米をどんどん食べてくれと国会で語っていたが、防護服を着た人が試験的に田植えですよ。おかしいでしょ。
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/141.html
投稿者 gataro 日時 2013 年 10 月 17 日 09:48:57: KbIx4LOvH6Ccw

 私は、毎日官邸で、福島産のお米を食べています。折り紙つきのおいしさです。安全でおいしい福島の農水産物を、風評に惑わされることなく、消費者の皆さんに、実際に味わってほしいと願います(平成25年10月15日 第百八十五回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説から)。



Youhei Kabasawa @ykabasawa

安倍晋三が福島の米をどんどん食べてくれと国会で語っていた。原発から30キロ圏内で試験的な田植えをしてた時の写真。防護服きた人が田植えですよ。おかしいでしょ。
9:48 AM - 16 Oct 2013











https://twitter.com/touitsukyoukai/status/899129776912318464
統一教会の研究‏ @touitsukyoukai 9:43 PM - 19 Aug 2017
Replying to @touitsukyoukai @nhk_kurogen

#新潟補選 に野党共闘で出馬予定の田中真紀子氏が指摘。敗戦後A級戦犯と731部隊の「逆コース」がCIA戦争屋に日米安保・地位協定で植民地化。官僚社会主義、北朝鮮拉致被害者、原発被災者、劇薬(抗癌剤)麻薬(向精神薬)中毒者、自衛隊戦死者、生活困窮自殺者、格差社会と独裁者を作った。



続く


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