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華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「多様性」と格差は無関係

2006-03-03 02:13:18 | 格差社会/分断・対立の連鎖
格差の存在について、小泉首相の発言はあいかわらず強気。2月28日の衆院予算委員会では、「どの国にも、どの時代にも格差はある。そういう中でどのように活力を持った国にしていくか。違いや多様性を認めながら、お互いの力を、能力を高める社会をつくることが望ましい」と述べたそうである。

「違いや多様性を認めながら……」は大いに結構。その部分は、私も大賛成である。しかし、「違いや多様性」がなぜ「格差」に結びつかなければいけないのか。それが私にはどうしても「理解できない」。頭が悪いと言われてもいい、負け組の泣き言と言われてもいい、理解できないと私は死ぬまで執拗に繰り返したい。

「どの国にも、どの時代にも格差はある」
それはそうかも知れない。だが、この言葉には「今、現在の時点で見渡す限り」という注釈がつかねばならない。「喜八ログ」さんの所でコメントをやりとりした時、喜八さんがこんなことを書いてくださった。
「たとえば数百年前の人たちに「普通選挙」を説いても「なんだ? それ?」となったでしょう」(http://kihachin.net/klog/archives/2006/02/horitakeaki.html)

そう……たとえば私たちが何百年も前に生きていたら、「人間が月へ行く」ことは単なる空想に過ぎなかっただろうし、ギリシア・ローマ時代(でも何でもよいが)の奴隷身分に生まれていたら「おまえも主人と同じ尊厳を持つ人間である」と言われてもキョトンとするだけだったろう……。過去のどの時代にも、そして現在の何処の国にもないからといって、イコール、それが空想ということはできない。私たちはしばしば理想と空想とを混同してしまうけれども、「非常に困難な道であっても不可能ではない」ことは空想とは言わない(いや、私は空想も非常に好きなのであるが、それとは話が別)。そして……たとえ自分が死ぬまでに到達できないとわかっていても、私は自分の理想の方に顔を向けていたい。

突然、ピョートル・クロポトキンが『相互扶助論』の中で、生き物の世界には相互闘争(生存競争)の原理のほかに相互扶助の原理があり、生存と進化のためには後者の方がはるかに重要である。生き物は優勝劣敗、弱肉強食の原理によって進化するのではない――という意味のことを述べていたのを思い出した(意味、である。言葉の使い方は少し違っていたかも知れない)。もう1度、クロポトキンや幸徳秋水でも読んでみよう……。

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なるほど (Zarathustra)
2006-03-03 04:29:43
華氏451度さん、こんにちは。



記事の考え方が非常に近かったので、思わずTBしてしまいました。(^^)



> たとえば数百年前の人たちに「普通選挙」を説いても「なんだ? それ?」となったでしょう



なるほど。



私も「完全に実現」することが不可能でも追求する意義があると思います。



ただ、それと同時に、「格差」があっても「誰もが満足に生活できるなら『可』」とも思っています。



こちらは、たとえ理想的ではなくても許容できる、という意味ですが。
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Unknown (農婦)
2006-03-03 13:38:18
初めまして。貴方様野お考え方に同意です。優勝劣敗、弱肉強食、の原理で人間が生きてはいけないし、その原理で人間社会は、成り立たないと思ってます。ある植物学者は植物社会も、人間社会も、無駄な物、者はない。みんな必要とされて、生まれ生きているといってます。格差はあっても、自殺しないで生きていける社会にしてほしいです。自殺者が多すぎます。他殺的な自殺ともいえます。消費税は、すぐ15%までいくでしょう。税金のかけ方が大間違いだと思います.政財界の皆さん、私達を踏みにじれば、手前のくびが自然に閉められてくることにキズイテほしい.
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わかるけど (ましま)
2006-03-04 08:47:11
 どこかおかしい・・・・と感じている人が一番多いのはアメリカと日本じゃあないですか。
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近頃は (とむ丸)
2006-03-04 14:05:24
辛うじて見ていたニュースでさえも見るのが嫌になって、その発言を知りませんでした。



なにしろ、詭弁を弄することにかけては超?一流の人です。それも、すごく自然にさらっと言ってのけてしまう。才能ですね。



こうした言葉を聞くたびに、戦略があって言っているのかな、どうなのかな? と疑問に思っていましたが、なにかこの人の発想そのものが、自己弁護と詭弁の塊のように思えてきました。
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国語学者よ。突っ込んで! (レッツら)
2006-03-04 16:44:00
>「違いや多様性」がなぜ「格差」に結びつかなければいけないのか。

一般的に違いにしろ、多様性にしろ、上下関係ではなく、見た目や性質に差異があるなかで、その違いを乗り越えて、お互いに尊重し合う、そんな時に使われる概念なのかなあって気がします。それに対して、格差って、明らかにピラミッド型の概念。所得が多い、少ない、資産が多い、少ない。上下の別というか、優劣と関係がある概念な気がします。



これを並列してしまうところが小泉さんなんですよね。小泉さんの場合は、経済学者が突っ込むより、まず、国語学者に突っ込んでほしい気がします。
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Unknown (華氏451度)
2006-03-05 06:06:53
皆さん、コメントありがとうございました。



ツァラトゥストラさん;そうですね。人間社会の多くのことは「これだけが正しくて、それ以外はすべてペケ」というわけではないと思います。「優・良・可・不可」の考え方っていいですね。少なくても「不可」は嫌だ! というところで大勢の人と手をつなぐことが出来る。



農婦さん、はじめまして。無駄な人間、生まれてこなかったほうがよかった人間、などはありませんよね……。



レッツらさん;国語学者に突っ込んで欲しい……まさしくそうですね! 多様性というのは水平な関係で、「バラエティーに富んでいる」ということなのですよね。日本語の意味からして、「格差」とは全然違いますよね。
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無政府主義から考え直す (kaetzchen)
2006-03-05 07:11:09
のは良いことで,科学的だと思います。要するに,議論の一番基本に立ち返って,考え直すことですね。例えば,算数が分からないという子供に対して,単に計算テクニックや公式だけを丸暗記させて分かったふりをさせるのか,それともどんどん学年を遡って,どこで引っかかっているのか(遡及主義と言われそうですが)を分析して,そこから再構築するのかでは,全く効果が異なります。もちろん,後者は非常にコストがかかりますけど,少なくともその子供が入力に対して出力ができない理由だけは分かります。



華氏451度さんにもう一つ参考書:マルクス『ゴータ綱領批判』 ないし戸坂潤『日本イデオロギー論』『科学論』。『科学論』は文庫化されてないので,入手不可能かも(神田なら見つかるかも)。

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ありがとうございます (喜八)
2006-03-05 11:40:36
華氏451度さん、こんにちは。



私のぼんくらなコメントを取り上げていただきまして、ありがとうございます。

よくよく考えたら「なんだ? それ?」どころではなくて、「命が危ない」というケースのほうが多そうです。

税金を多く払っている「金持ち」と少しか払っていない「貧者」が同じ一票の投票権を持つ、なんてのはものすごい「危険思想」だと思われてしまうでしょうから。



「多様性」と格差は無関係とういのはまったくその通りだと思います。

小泉首相や竹中大臣の「詭弁」は聞きあきました・・・。
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