2009.10.05にチラッと記事に書いたゲーセンにアイマスの筐体があるのを見つけたので、最近たまにやってみている。
アーケード版はアーケード版でなかなか味があって実に楽しい。
ところが!
アーケード版のアイマスはけっこうやるのを辛く感じてしまう。
おかげでだんだんやらなくなりつつある始末だ。
(これは別に金銭の問題ではない。)
とりあえず初めてアーケード版をプレイしたときのことから順に語ろう。
わたしはゲーセンにはシューティングをする事だけしか用事がない。
なので、大型筐体やクレーンゲームやメダルゲームのコーナーはガン無視で完全スルーを決め込んでいる。
しかし、あるときたまたま近くのゲーセンでアイマス筐体を見つけてしまった。
それが運のつきだった。
どーやってプレイするんだかも良くわからんまま、勢いでコインを投入する。
コインを1枚投入したあとになって、初回プレイは1枚では足りないことに気付く。
ちょいとあせったが何とかゲーム開始。
(プロデューサーカードを新規作成する分が料金上乗せになる換算)
アイドルは千早、曲は蒼い鳥を1秒も悩まずに選択する。
というか、最初から悩む気はさらさらなく、悩むよりもどこにあるのか探すほうが時間かかったくらいだった。
ニコマスばかり見ていると、千早はツンツンしていて孤高の我が道を行く的な雰囲気のものが多い気がする。
もしくは貧乳のいじられキャラ。
ところが公式版はそうではない。
公式版の千早はとっても純真で、とっても健気で、おまけにとっても気難しい。
アーケード版特有の顔グラフィックが特にその傾向を助長している気もする。
これはニコマスばかり見ているとそういう面をついつい忘れてしまいそうになるところだ。
いかん、いかん・・・
さてゲーム本編スタート。
会話やらレッスンやらをこなしていく。
ん~~~、テンションのゲージが上がらないこと甚だしいなぁ。
いやまあ、これは分かってて選択したんではあるが…。
わかっちゃいるけど止められないとは、まさにこの事をさすに違いない!
プレイを重ねていく。
わたしがヘタクソなせいで、おかげで千早は気落ちしまくる。
ささいなことですぐに千早を傷つけてしまう。
わたしはそんな千早を見るのがたまらなく辛い。
千早を傷つけてしまった自分のことがどうしようもなくイヤになる。
いくらなんでも、たかがゲームに極端すぎやしないか?
自分でもそう思う。
しかし、このわたしのプレイスタイルは二次元を愛するが故に絶対に譲れないものである。
ゲーセンでコインを投入する。
全神経を集中させ、全身全霊をもってアイマス世界に傾注する。
シューティングでは、たかがコイン1枚のために死に物狂いで弾幕を避ける。
それと同じく、心底本気で自分の精神をアイマス世界に同調させる。
その瞬間にはわたしの精神はリアルワールドには無い。
その時だけはディスプレーの向こう側にわたしは住んでいるのだ!
だから楽しい。
アーケード版のアイマスは実に楽しい。
半ば精神を肉体から開放させ、そして精神のみ空想世界の住人となることで、たかがゲームであっても対等に千早と会話を楽しむことができる。
心ここにあらず。
まさにそれが正しい。
心そこにあるからこそ、その瞬間だけはたかがゲームの域を遥かに超えた何かを得ることができるというものだ。
しかし!
その反面、実に辛い。
わたしと千早のたった2人しかいないその世界において、魂の片割れである千早を傷つけてしまった事がたまらなく辛い。
これが千早を傷つけてしまった自分のことがどうしようもなくイヤになる所以である。
この感触は家で寝転んでギャルゲーをするのでは絶対に味わえない。
DS版のアイマスだったら、たとえ大失敗しても
「あ~あ、しゃあない、またやり直せばいっか・・・」
くらいにしか思わない。
だからそこまで入魂できない。
ところがゲーセンではやり直しがきかない。
さっき出てきた会話はもう2度とお目にかかることもなく自らの生涯を終えることになるかもしれないのだ。
そう思うとやりきれない。
現実世界のようにテンションが回復するまで存分に話し合うことすらできない。
我々はほんの限られたコミュニケーションによって一喜一憂して生きていくしかないのだ。
おかげでゲーセンでアイマスをプレイすればするほどダメージを食うようになってしまった。
おかげでだんだんやらなくなりつつある。
これがテンション管理の超ラクチンなやよいだったらまだ話は別だったかもしれない。
だがわたしは千早と時を過ごすと決めたのだ。
そうはいっても、決めたはいいが、過ごす時間がどんどん少なくなっている。
ううむ、いかんともしがたいな、これは・・・。
アーケード版はアーケード版でなかなか味があって実に楽しい。
ところが!
アーケード版のアイマスはけっこうやるのを辛く感じてしまう。
おかげでだんだんやらなくなりつつある始末だ。
(これは別に金銭の問題ではない。)
とりあえず初めてアーケード版をプレイしたときのことから順に語ろう。
わたしはゲーセンにはシューティングをする事だけしか用事がない。
なので、大型筐体やクレーンゲームやメダルゲームのコーナーはガン無視で完全スルーを決め込んでいる。
しかし、あるときたまたま近くのゲーセンでアイマス筐体を見つけてしまった。
それが運のつきだった。
どーやってプレイするんだかも良くわからんまま、勢いでコインを投入する。
コインを1枚投入したあとになって、初回プレイは1枚では足りないことに気付く。
ちょいとあせったが何とかゲーム開始。
(プロデューサーカードを新規作成する分が料金上乗せになる換算)
アイドルは千早、曲は蒼い鳥を1秒も悩まずに選択する。
というか、最初から悩む気はさらさらなく、悩むよりもどこにあるのか探すほうが時間かかったくらいだった。
ニコマスばかり見ていると、千早はツンツンしていて孤高の我が道を行く的な雰囲気のものが多い気がする。
もしくは貧乳のいじられキャラ。
ところが公式版はそうではない。
公式版の千早はとっても純真で、とっても健気で、おまけにとっても気難しい。
アーケード版特有の顔グラフィックが特にその傾向を助長している気もする。
これはニコマスばかり見ているとそういう面をついつい忘れてしまいそうになるところだ。
いかん、いかん・・・
さてゲーム本編スタート。
会話やらレッスンやらをこなしていく。
ん~~~、テンションのゲージが上がらないこと甚だしいなぁ。
いやまあ、これは分かってて選択したんではあるが…。
わかっちゃいるけど止められないとは、まさにこの事をさすに違いない!
プレイを重ねていく。
わたしがヘタクソなせいで、おかげで千早は気落ちしまくる。
ささいなことですぐに千早を傷つけてしまう。
わたしはそんな千早を見るのがたまらなく辛い。
千早を傷つけてしまった自分のことがどうしようもなくイヤになる。
いくらなんでも、たかがゲームに極端すぎやしないか?
自分でもそう思う。
しかし、このわたしのプレイスタイルは二次元を愛するが故に絶対に譲れないものである。
ゲーセンでコインを投入する。
全神経を集中させ、全身全霊をもってアイマス世界に傾注する。
シューティングでは、たかがコイン1枚のために死に物狂いで弾幕を避ける。
それと同じく、心底本気で自分の精神をアイマス世界に同調させる。
その瞬間にはわたしの精神はリアルワールドには無い。
その時だけはディスプレーの向こう側にわたしは住んでいるのだ!
だから楽しい。
アーケード版のアイマスは実に楽しい。
半ば精神を肉体から開放させ、そして精神のみ空想世界の住人となることで、たかがゲームであっても対等に千早と会話を楽しむことができる。
心ここにあらず。
まさにそれが正しい。
心そこにあるからこそ、その瞬間だけはたかがゲームの域を遥かに超えた何かを得ることができるというものだ。
しかし!
その反面、実に辛い。
わたしと千早のたった2人しかいないその世界において、魂の片割れである千早を傷つけてしまった事がたまらなく辛い。
これが千早を傷つけてしまった自分のことがどうしようもなくイヤになる所以である。
この感触は家で寝転んでギャルゲーをするのでは絶対に味わえない。
DS版のアイマスだったら、たとえ大失敗しても
「あ~あ、しゃあない、またやり直せばいっか・・・」
くらいにしか思わない。
だからそこまで入魂できない。
ところがゲーセンではやり直しがきかない。
さっき出てきた会話はもう2度とお目にかかることもなく自らの生涯を終えることになるかもしれないのだ。
そう思うとやりきれない。
現実世界のようにテンションが回復するまで存分に話し合うことすらできない。
我々はほんの限られたコミュニケーションによって一喜一憂して生きていくしかないのだ。
おかげでゲーセンでアイマスをプレイすればするほどダメージを食うようになってしまった。
おかげでだんだんやらなくなりつつある。
これがテンション管理の超ラクチンなやよいだったらまだ話は別だったかもしれない。
だがわたしは千早と時を過ごすと決めたのだ。
そうはいっても、決めたはいいが、過ごす時間がどんどん少なくなっている。
ううむ、いかんともしがたいな、これは・・・。
1回遊んだら終わりというかりそめの恋ではなく、無二の伴侶にめぐり合えたということで。
青いのは買ってからずーっと無限ループにハマったままっス。
無限ループって怖くね?
PSPの青いの買おっかな。
その痛みをしるPこそが本物のPなのだと思います。