家のポストに入っていたチラシにこうある。
「キリストを信じる者は永遠のいのちを持ちます。」
はあそうですか。
不死の肉体と化すとかいう意味でなくて、来世御利益的な意味での永遠のいのちだと言いたいくらいはわかる。(キリスト教は輪廻転生を否定するから来世御利益というのも厳密には違うかもしれんがね。)
でも根拠がない。
どういう根拠をもってして
「キリストを信じる者は永遠のいのちを持ちます。」
と言えるのかがサッパリわからない。
根拠があるかないかでいえば、トルマリン燃費改善説やマイナスイオン健康説のほうがまだナンボかマシである。
我々技術屋はこういった根拠がない断定を嫌う。
・・・とはいっても。
誰もやったことのないこと(新技術開発とか)をやっていれば確固たる根拠を示せない時はいくらでもある。
そういうときは自分がそう推測するに至った根拠を示せば良い。
根拠は全て観測結果である。
もしそれから得られる推論が人と違うならば、また根拠を積み重ねれば良いだけの話である。
しかし!
多くの宗教にはそれが無い。
人にそう信じさせるに足る根拠がない。
科学はそうではない。
たとえ相対性理論であろうと理系の大学1年程度の知識があれば理解できる。
必ず読めばわかるのだ。
こんなことを言うと背徳者扱いされるかもしれない。
しかし、大多数の者がそう推測するに足る根拠を示せないで結論を押し付けるのは不可能である。
そこにある不可能に目をつぶって不可能なまま叫ぶのが宗教である。
科学の世界では自分と違う仮説をたてた人をいちいち背徳者扱いしてたら当の本人が鼻つまみ者にされる。
なぜこうなるのか?
原因の1つは、多くの宗教は現世の不満の解決方法を来世御利益的な意味でしか説明できないからである。
死後の世界がどうなってるかなんて、推測するに足る根拠を示せなんて言われても、誰だって困るに決まっているからだ。
そして多くの宗教では、現世の不満の解決を現世で行うのをあきらめているからだ。
わたしは多くの宗教の提示する現世の不満への解決方法を信じない。
現世での不遇や不満を損害賠償請求権として死後の世界へ持っていくのを夢見るなどバカげていると思うからだ。
「キリストを信じる者は永遠のいのちを持ちます。」
はあそうですか。
不死の肉体と化すとかいう意味でなくて、来世御利益的な意味での永遠のいのちだと言いたいくらいはわかる。(キリスト教は輪廻転生を否定するから来世御利益というのも厳密には違うかもしれんがね。)
でも根拠がない。
どういう根拠をもってして
「キリストを信じる者は永遠のいのちを持ちます。」
と言えるのかがサッパリわからない。
根拠があるかないかでいえば、トルマリン燃費改善説やマイナスイオン健康説のほうがまだナンボかマシである。
我々技術屋はこういった根拠がない断定を嫌う。
・・・とはいっても。
誰もやったことのないこと(新技術開発とか)をやっていれば確固たる根拠を示せない時はいくらでもある。
そういうときは自分がそう推測するに至った根拠を示せば良い。
根拠は全て観測結果である。
もしそれから得られる推論が人と違うならば、また根拠を積み重ねれば良いだけの話である。
しかし!
多くの宗教にはそれが無い。
人にそう信じさせるに足る根拠がない。
科学はそうではない。
たとえ相対性理論であろうと理系の大学1年程度の知識があれば理解できる。
必ず読めばわかるのだ。
こんなことを言うと背徳者扱いされるかもしれない。
しかし、大多数の者がそう推測するに足る根拠を示せないで結論を押し付けるのは不可能である。
そこにある不可能に目をつぶって不可能なまま叫ぶのが宗教である。
科学の世界では自分と違う仮説をたてた人をいちいち背徳者扱いしてたら当の本人が鼻つまみ者にされる。
なぜこうなるのか?
原因の1つは、多くの宗教は現世の不満の解決方法を来世御利益的な意味でしか説明できないからである。
死後の世界がどうなってるかなんて、推測するに足る根拠を示せなんて言われても、誰だって困るに決まっているからだ。
そして多くの宗教では、現世の不満の解決を現世で行うのをあきらめているからだ。
わたしは多くの宗教の提示する現世の不満への解決方法を信じない。
現世での不遇や不満を損害賠償請求権として死後の世界へ持っていくのを夢見るなどバカげていると思うからだ。
ただ、人間に関与することがないだけで。ぶっちゃけ、「君臨すれども統治せず」が神様の存在だと思います。
ラプラスの悪魔だって議論はおいておいて、
基本的に否定されてますしね。確率から無縁な立場なら、まさしく神なんですがねぇ
まぁ、キリスト教は信用できないですね。いろいろありまして。
近くの教会が「祈ったら癌がきえた」とか平気でいってるのが怖い。新興宗教
並ですね。韓国系じゃないんですがねぇ
わたしも神の存在を否定はしません。
ただ、一神教のような神はいつもあなたを見ています的な神ではなくて、
ヒンズー教のようなあまり人間に関係なく存在する超生物的存在としての神みたいなほうがリアルに感じる面はありますね。
そういえば言われてみると、来世御利益を語る宗教より、祈ったら癌がきえたとかぬかす現世ご利益を語る宗教のほうがもっとインチキ臭いですね。
こうであればいいんですが、キリスト教だと実在の人物が神様なんで、そういう曖昧なことができないのかなと。
仏陀もムハンマドも自己崇拝を禁じましたが、キリストもこうも神格化されるとは思ってもいなかったでしょうね・・・
キリスト教も旧約と新約でぜんぜん違うことからして、当時のキリスト本人の意向からはだいぶ違うものになっている可能性は十分ありますね。
ムハンマドも自分の死後すぐにシーア派とスンニ派にわかれてケンカし始めるなんて想定外でしょうし。
まあそれでも、生きている人間が神格化されるよりはまだマシなのかもしれません。
例えば、尊師は座ったまま空中浮遊できるだとかいうアレとか(笑)。
醒めた見方をすれば、宗教とはお客様の気分的な幸せを実現するためのソリューションビジネスであり、お客が満足して自分も儲かれば資本主義社会としては特に問題ない…と言えなくもないですが。
ちなみに当blog名にも冗談で"教団"などとつけておりますが、もちろん営利目的ではありませんし、お布施も受けつけません(笑)。