教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

男の見た萌え と 女の見た萌え (中巻)

2009-06-30 00:00:18 | オタネタ全般
(・・・前回からのつづき)



では二次元におけるそれはどうか?
見てくれは大変重要である。
だが、いちばんの重要事項ではない。

では何か?
二次元における
「女らしさとは何か?」
つまり
「メスを感じる部分は何か?」
を考えてみたい。

二次元の女におけるいちばんの重要事項は性格である。
なぜならば、いかな二次元愛好者であれ、ただの絵に描いた女なだけの紙切れ1枚だけでは惚れないからだ。
その絵に描いた女が何を考え、なにを話すか、それがいちばん重要なことなのだ。

たとえばこんな感じだ。
弁当を作ってきて

「弁当を作ってきてあげたわよ。
 どーせあんたのことだからコンビニ弁当くらいしか持ってないんでしょ?
 あっ、それと勘違いしないでよね!
 あたしの分の材料が余ったから、あんたの分はついでなんだから、つ・い・で。
 べっ、べつにあんたのために作ったわけじゃないから、変な勘違いしないでよね!
 あたしはあんたの事なんか、何とも思ってないんだから・・・」

と、ほほを染めて話すのがかわいいのだ。
(釘宮病の危篤患者は脳内再生してみてくれ(笑))

これをわたしの文章力で現物の女に例えるのは難しすぎてあきらめた。
なので男視点から見たメスを感じるところが何かの解説は難しい。
まあ、そもそも現物のねえちゃんを好きになったことないし(笑)。

この課題はあえていえば
「愛玩的な姿」
にそれを投影できるかもしれない。
ときメモしかり、とらドラ!しかり、カードキャプターさくらしかり。
いくらでも例えることができそうな気がする。

そう、男がメスを見る視点は
「愛玩的な姿」
であり、女がオスを見る視点は
「戦う姿」
である。

これを反意的に証明してみたい。

愛玩的な意味でのかわいらしいだけの男のキャラがいたとして、それははたして女の視点から見て萌えるだろうか?
それはきっと、ぴこ(@ぼくのぴこ)みたいなキャラになってしまい、むしろ男のファンができるにちがいない。
というか、ぼくのぴこは成人男性向けのショタアニメである。

じゃあ、戦う姿がカッコいいだけの女のキャラがいたとして、それははたして男の視点から見て萌えるだろうか?
かわいくなかったら萌えない。
たぶん、少女漫画に出てくるアクティブなキャリアウーマンのようなキャラになってしまい、むしろ女の側に共感するものがでるにちがいない。
たとえば大崎ナナ(@NANA)とかがそうだろうな。



ひところから、やたらめったら男女の区別を嫌う傾向が強くなりすぎている感がある。
たとえばポスターなどでも、男は食う役で女だけメシを作る役をやらされていたとすると、どこぞの腐れフェミニスト団体から必ずクレームが入る。

ヤツらの言い分はかならず
「男女同権に違反している」
だ。

しかし、男も女も本質的には異性に求めるものが違うのだ。
もっと過激に表現するとすれば、腐れフェミニストは
「男は私たちフェミニストの価値観にあわせろ! でなければキサマらは差別主義者だ!」
と言いくさっているのだ。

それに対して、さきの

> 男が絵に描いた女の子にハマるのと、女が絵に描いた男の子にハマるのとで、性別をひっくり返しただけでそれは果たして成り立つのだろうか

という問いには、いままでの考察のうえではきっぱりと「NO!」と言えることから、男の価値観を腐れフェミニストの価値観にあわせることはまずムリな注文である。

だいいち、男が腐れフェミニストに
「キサマらが男の価値観にあわせろ」
といったところで
「差別主義的な考え方に吐き気がする」
と言われて議論の進展のしようがないのは明白であるわけだし・・・。

だから必ずしも男と女の役割を厳密に等しくする必要はないように思う。
男と女の役割が違うからこそ、そこにオスやメスを感じるのだから。



(次回につづく・・・)