Kerc の町(教会)を後に、更に国道1号線を東進し、中堅都市Fogaras(フォガラス)
を抜け14km程そのまま進んで、Sárkány (シャルカーニ)村を左折し、5kmほど
旧道を北上すると、Halmágy (ハルマージ)村という中央行政から過疎化されたような
人口700人ほどの村がある。 そこが今回の目的地である。
<百八十九番札所; ハルマージ (Halmágy) 教会>
この地域は昔からサス人(南ドイツ)の領地であり、教会は、13世紀に3層内陣でバジリカタイプ(*)
で建立された。 1448年にオスマントルコ軍の襲撃によって、村の住民は他所に逃れ、いなくなった。
当時の村はドイツ語で “Halffenmengen” と呼ばれていたが、その後、ハンガリー人が住みつき
地名も “Halmengen-ként” 、そして1662年には “Lamágy” とハンガリー語で呼ばれるように
なった。 教会はルター派の教会であった。
(*) 初期キリスト教会の形式で、前面壁の玄関と前庭を備え、教会内部は列柱で身廊と側廊に
分かれている。 前回のKerc 教会(百八十八番札所)もこのタイプである。
村に入る橋は崩れたまま放置され、ハンガリー統治時代の往時を偲ばせる。 向こうに教会が望める。
往年の石造りの橋ゲタのみは残っている。 現在使われている橋も崩れかかっている。
教会入口鐘塔(1979年に修復) 左側が教会の建屋、右側が墓地。
こんな地にも、あの “シッシー(*)” が祀われているとは、かつてハンガリーの地で
あったという実感が湧く。 (*)オーストリア・ハンガリー帝国時代のエリザベート皇女。
教会入口門(西側前面壁) 1260年建立。 アーチ型の玄関門はアルパート時代の遺物
南門 祭壇側からの教会外観、二つの丸窓はこの時代の特徴
祭壇(ゴシック様式のアーチ天井)、祭壇の反対側にハンガリー国旗が飾られている。
聖歌隊席の下を飾る板絵(パネル)
身廊と側廊を仕切る石柱の数々
村の夕餉の煙が立ち上がり、往年とはさほども変わらぬ情緒なのだろう?
これで、「ブラショフ・トランシルヴァニアの教会(2)」は、お終いです。