クロアチアにも、ハンガリーの古い教会があると聞き出掛けてみた。 場所は高速道路M7を南下し、
そのまま国境を越えるとクロアチアの高速道路A4である。 国境から30kmほど離れた所にVarasd
(ヴァラシュド、クロアチア語でVarazdin)という人口47,000人(2011年)の中堅都市が今回の第一
目的地である。
この地(クロアチア北部)は1200年頃には、ハンガリー王国の支配下にあったようだ、オスマントルコ軍
の襲撃から防御する要塞都市として共に戦う必要性があった。
オスマントルコの支配後は、ハンガリーとの関係は薄れ、町はクロアチア建国の礎を築く時期を迎える。
1756年には短期間ながらクロアチアの首都となる。
再び、ハンガリーとの関係は、ハプスブルグの女帝マリア・テレージアの出現により、オーストリア=
ハンガリー帝国の植民地になり、ハンガリーが再び、統治することになった。
しかし、それも1920年のトリアノン条約(第一次世界大戦)後は、クロアチアは多くの民族問題を抱え
ながら、スロベニア、ボスニア・ヘルツゴビナと共に独立の道を歩む。
紆余曲折はあったが第2次世界大戦後の1992年に、ユーゴスラビアから独立する。
以上の歴史と人種配分(1921年にはハンガリー人は4%弱でマイノリティ)より、教会にはハンガリー
色は全くないようだ。
市街地 Ursuline (姉妹)修道院と教会(1712年建立)
市庁舎(1523年建立)と中央広場 Old town (Stari Grad) 全体
Varazdin城
<百七十九番札所; Varasd (Varazdin) 教会>
1.大聖堂 ; 最初はイエズス会の教会として、聖マリア教会と修道院が1647年に建てられた。
後に1997年に大聖堂(教会区教会)となった。
2.聖ニコラス教会 ; 15世紀にゴシック様式で建てられたが、1761年にバロック様式で再建された。
聖ニコラスの像 教会内部
3.フランシスコ会修道院と教会 ; 1641年に建立、塔の高さ54.5mは、市内で最も高い建物。
教会は聖ヨハネを祀るバブテスト派の教会である。
次に目指す目的地は Varasd から20号線を北上し、9km離れた Csáktornya(チャークトルニャ、
クロアチア語で Cakovec) である。 人口15,000人(2011年)の町である。
1910年には人口 5,000人中、半分はハンガリー人であった。 トリアノン条約まではハンガリーの
ザラ県に属していた。 第2次世界大戦中の1941~1944年に再び、ハンガリーの支配下となる。
<百八十番札所; Ference (フェレンツェ) ローマン・カトリック教会&修道院>
教会は、1545年頃、この地の領主 Zrinyi Miklos が同じ場所にあった木造の修道院を再建。
今日の教会は1702~1750年に聖ミクロシュを祀って、バロック様式で改築されたものである。
市街地と教会 教会は市街地の中心にある
塔は1753~1757年築 教会内部
教会正面ブースには、Zrinyi Miklós の像が収められている。
これで、「Varasd (ヴァラシュド/クロアチア)の教会」は、お終いです。
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