goo blog サービス終了のお知らせ 

撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き(3)小さな美しき村たち

2017-09-19 01:36:46 | 海外生活

  Berhida(ベルヒダ)の町境を越えると、街道は2つに分かれる。 左折すればバラトン湖畔

まで8km、直進すれば県庁所在地 Veszprém (ヴェスプレーム)まで13kmである。

建国の歴史に翻弄された小さな美しい村が3つほど点在する直進を選ぶことにした。

 

1-3. Vilonya (ヴィロニャ)

 最初の村が Vilonya (ヴィロニャ)である。 人口は約650人で、Veszprém (ヴェスプレーム)

 郡(県)に属している村である。 この後に出てくる2つの村も同様である。

    

<見どころ>

*改革派(カルヴァン主義)教会; 13世紀にゴシック様式で建立された要塞教会であったが

   1552年のオスマントルコ軍の襲撃で破壊され、現在の物は1720年代に再建された。

  塔は1796年に追加され、当初の教会には塔はなかった。

  

 

  北側の壁には細長い窓(ロマネスク様式)が残されている。 当時の教会は背後の屋根が低く、

 建物の真ん中に位置する祭壇部は平らな四角い天井であった。 その跡が壁に残されている。

 

丸いカワイイ説教台は、中世ゴシック様式で改築時のものであり、教会の両サイドが信者席になっている。

 内部はトルコ軍により、ことごとく破壊され初期の面影は全くない。

 

* Séd (シェード)川と水車小屋;

 

  癒しのSéd (シェード)川とガボール神父公園から村の中心を望む。

 

                        今も稼働中の水車小屋

 

*廃線となったVilonya (ヴィロニャ) の駅舎; 

  隣なり村の Kiralysentistván(キライ・セント・イシュトヴァーン)と共用駅であった。

 

1-4.  Kiralysentistván(キライ・セント・イシュトヴァーン) 

       村の中心部のお洒落な役場(道路右側の6角屋根)

 

   村の人口は約450人。 建国のきっかけとなった997年にイシュトヴァーンは後継者争いの

 宿敵コッパーニ (Koppány)を、この付近の Séd 渓谷 で破り、初代のハンガリー王となった。

 しかし、村の名前に王の名前を使ったのは、ハンガリー/オーストリア帝国時代の1908年からで、

 村としては建国前からあったものではないと推定される。

 教会自体も古くはなく、18世紀半ばに新古典様式で建てられた改革派(カルヴァン)教会がある。

 

 1-5. Sóly (ショーリ)

    蛇行して流れるSéd (シェード)川沿いに、川の恵みを共有する形で今回の三つの村が隣接している。

   Sóly (ショーリ)の人口は約420人で3つの村を合わせても1500人程度の地域である。

 

           Szőlő-hegy (ソーロ山)より見た Sóly(ショーリ)村と教会

 

<見どころ>

* 改革派(カルヴァン)教会; 

   教会は、イシュトヴァーンがコッパーニとの後継争いに勝利した記念に建てられた礼拝堂

  (1009年建立)の場所に初期の教会が12世紀にロマネスク様式で建てられた。

   現在の教会は18世紀にバロック様式に改築されたものである。

   目隠しされた細長い窓は、ロマネスク様式で初期の物として残されている。

 

 

* Szőlő-Hegy (ソーロー山);  広大な高原風景と世界一(高さ12m)の木製の剣。

      

     但し、2014年7月の落雷により倒れており、未だに復興されていない。

 

* コウノトリ; この地域の煙突の上や電信柱の上に多く見られる渡り鳥。

  春にアフリカから渡って来て、子育てを終えたら、また冬にはアフリカに帰る。

  ハンガリーでは、「赤ちゃんを運んでくる鳥」「幸せを運んで来る鳥」として愛されている。

 

*廃線のSóly (ショーリ)駅舎;

 

    これで、「バラトンそぞろ歩き(3)小さな美しき村たち」はお終い。

 

「バラトン遍路の旅」   http://motsukahu.web.fc2.com