「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           鳩山元首相の常軌を逸した言動

2012-07-22 06:00:00 | Weblog
鳩山由紀夫元首相のこのところの言動は常軌を逸していて見苦しい。先週金曜日には官邸前の”反原発デモ”に参加して自らマイクを握り”皆様の声を官邸に伝えます”と獅子吼したという。この人は今、民主党の党員資格を停止されているとはいえ、かっての党の代表であり総理であった男だ。鳩山氏はさらに昨日は選挙区の北海道で”野田総理はシロアリ退治の先頭だったのに、今やそのシロアリになってしまった”と批判した。

鳩山内閣(2009年9月―10年6月)の9か月間の日本の政治はどうだったか?普天間基地の移転は最低でも県外で象徴されるように政治は迷走し、国会審議は母親からの遺産問題で事実上スットプしてしまった。”鳩山最低””菅最悪”といわれるよに歴代の民主党政権は”シロアリ退治”どころではなく”シロアリ”を増殖したような政治であった。

先日、民主党から離脱した小沢新党「国民生活を第一」は増税反対と原発反対を旗印にしているが、出来もしないことを言っている点は鳩山、菅政権下の民主党と同じである。鳩山氏の言動もまったく小沢新党と変わりがないように見える。それなら旗色を鮮明にして民主党から離脱すべきである。それが、まるで自分が民主党のオーナー気取りで”犬の遠吠え”のような発言を繰り返している。

完全に政治家としての引き際を間違ってしまった。大げさにいえば、日本中が鳩山氏の言動にあきれ返っている。次期選挙には対抗馬として元冬季五輪のスケート選手や北海道出身の歌手の名前が挙がっているが、誰が出ても勝利は間違いない。こんなお粗末な男を国政に送ってはいけない。日本の恥である。

              困った南京虫の再来

2012-07-21 05:33:44 | Weblog
NHKのニュースによると、トコジラミが東京、大阪など大都市のホテル、旅館を中心に復活しているという。僕らの世代にはトコジラミというより南京虫の名前で知られている。暫らくぶりで聞く懐かしい名前だが、困ったものの復活である。南京虫は昭和40年代には日本では絶滅されたと聞いていたが、最近欧米で増え始め、旅行者のバッグなどに潜んで日本に運びこまれてきた模様だ。

45年前、僕がジャカルタに在勤中、初めて覚えたインドネシア語の一つが”kutu busuk"(南京虫)であった。市内の一流映画館で「座頭市」を見にでかけたら、南京虫に手足を噛まれて見るどころではなかった。エアコンのなかったホテルのベッドの上にも南京虫が行列していた。否が応でも僕は”kutu busuk"という言葉を覚えた。

敗戦直後の東京の電車の駅では、進駐軍の命令により殺虫剤DDTの白い粉が乗客の頭の上から散布された。僕も体験しているが、それほど当時の日本では、南京虫を始めノミ、シラミ、ダニの類が跋扈していた。ハエや蚊もうようよしていて、どこの家庭でも蚊帳をつって寝ていたものだ。バリ島の高級ホテルでもエアコンはなく、高い天井につけられた大きな扇風機がゆっくりとまわり、その下の蚊帳の中で寝ていたことが想い出される。

南京虫に食われると、肌にいつまでも赤い跡が残って困った。最近、都会では南京虫どころか、蚊に刺されることもなくなってきた。まさか絶滅した南京虫が復活するとは思ってもいなかった。空港の検疫所でいちいち乗客に殺虫剤をかけるわけにはいかない。困った問題だ。

          ミスった”ミスター年金”の大風呂敷

2012-07-20 05:24:14 | Weblog
参議院の「社会保障と税の一体改革」特別委員会での質疑で自民党の世耕弘成議員が、民主党の”ミスター年金”こと長妻昭元厚労相を”ミスった年金”と揶揄批判していた。長妻氏が大臣在職中、いっかいの「課長通達」で年金もれのサラリーマンの主婦に対して直近二年間の年金を支払えば無年金から救済される措置をとり、これが法律に違反していて、きちんと年金を支払っていた主婦に比べて不公平だと国会で問題になっていた。昨年の大震災の直前だったので、その後どうなっていたのか僕も忘れていたが、案の定、未解決のまま放置されていた。

野党時代の”ミスター年金”は溌溂として5,000万人の”消えた年金”を追及していた。だから政権交替で厚労大臣に就任した長妻氏の手腕に期待していた国民も多かったが、あれだけ騒いだ年金問題はその後どうなってしまったのか?僕個人の問題で恐縮だが、2010年10月に”大変遅れて申し訳ございませんが”と手紙が届き、僕が依頼した”消えた年金”は、調査したが不明だ、と回答があった。僕の場合は、最低3か月は勤務した会社の年金に代って、勤務したこともない会社から1か月分が支払れていたケースである。貰っている年金全体からみれば、たいした問題ではないので年金機構とは、その後連絡は取っていない。

あれだけ大騒ぎした年金問題だが、民主党政権になって何か進展があったのであろうか。ラリーマン主婦の年金漏れ問題は「課長通達」どおり実施されれば、最大100万人、数兆円規模の年金が支払られるはめだった。長妻氏は一見したところ、そう見えないが、やはり大風呂敷の民主党の典型的な政治家なのだ。三党合意で社会福祉問題は「国民会議」で検討されるようだが、こういったニセ年金政治家は排除しなければならない。


     後期高齢者からみた社会保障費の世代間格差

2012-07-19 05:09:20 | Weblog
参院の「社会保障と税の一本化改革」特別委員会で民主党の鈴木寛議員が社会保障をめぐる世代間格差を是正すべきだ、と質問していた。まったく僕もその通りだと思う。しかし、最近の国会質疑を聞いていると、何か高齢者が不当に高い年金を貰っており、しかも1割という安い窓口負担によって全体の医療費増の原因だという批判さえあった。そして、こういった批判が高じて、年寄りを”厄介者”視する風潮が社会に出てきた。これが年寄りの僻みでなければよいのだが。

先週僕ら老夫婦宛に後期高齢者医療保険と介護保険の今年度決定通知が届いた。二人合わせて後期高齢者医療保険が年、30万円以上、介護保険も10万円をこす。月になおすと3万円以上になる。このほか、僕らの場合、厚生年金のほかに僅かな収入があるため、医療費の窓口負担が”現役なみ”に3割だ。正直言って80歳の後期高齢者にはかなりの負担である。しかし、保健の性格からいって収入に応じて支払うのは当然である。これに文句を言っているのではない。

若い世代からの批判の中には、年寄りは昔僅かな保険料を支払いながら今高額な年金を貰っているというのがある。僕の場合、昭和28年から厚生年金を支払っているが、たしかに給料が1万円台だったから年金の額も今の額になおせばたいしたものではない。しかし、今でも覚えているのだが、給料明細書を見るたびに”なぜ年金をこんなにひかれるのか”と文句をいったものだ。若い時には老後の生活なんか考えないものだ。

国民保険の未納率が四割を超え問題になっている。払えないのか、払っても将来貰えるかどうかわからないから支払わないのか。これでは年金の格差以前の問題である。社会保障全体の問題は、将来「国民会議」で検討されることになるらしいが、世代格差の不公平についてお互いに文句を言っていても始まらない。次期世代がいかに安心して暮らせるかが問題である。

              血圧測定とサングラス

2012-07-18 05:33:26 | Weblog
100歳の現役医師、聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明先生が昨日NHKの昼の番組で血圧いついて話をされていた。スタジオに血圧計を持ち込み、いわゆる”白衣恐怖”によって病院で白衣の医師や看護師が測定すると、血圧が上がることを説明、先生自身は白衣を脱いで測定するのだという。血圧はそれほどセンシティブなのだ。先生の血圧も番組の出演前と後では上下していた。

昨日、僕も3週間に1回のメディ.チェックで近くの病院で血圧測定を受けたが、普段家で測定している数値よりは高かった。鈍感なので”白衣には影響されないが、どうも測定する看護師(女性)とのウマが合わないのが原因しているようだ。親切なのかもしれないが、日ごろ、僕を高齢者とみてか耳元で大きな声で話かけてくる。時には幼児言葉で会話してくる。そこで一度注意したことがある。どうもそれを根に思っていたのだろう。昨日測定時に僕が室内でサングラスをかけていたら、取れという。うっかりかけたままだったので、僕は一言も言わず素直にとったが、血圧は案の定上昇していた。

高齢者との接触の多い、医療福祉関係者の中には高齢者とみると同一視して、幼児言葉で話しかけたり、やたらに大きな声で会話してくる人が多い。日常の仕事の中でついつい、そうなってしまったのだろう。しかし、老人すべてが、そうではないのである。先日91歳の友人の一人がデイサービスで”ドラえもんの歌”を合唱させられた、と苦笑していた。核家族が増えて、昔のように日常、年寄りと接触する機会が無くなり、老人心理が理解できなくなってきたのかもしれない。

        原発反対集会についてのマスコミの扱い

2012-07-17 12:07:03 | Weblog
昨日東京の代々木公園で開催された「さよなら原発10万人集会}をテレビでみて僕は単純な疑問を抱いた。「市民ネットワーク首都圏反原発連合」が主催者だそうだが、参加者の背中のゼッケンには「オスプレイの持ち込み反対」と書いてある。原発反対とオスプレイ反対とはどんな関係があるのか。

原発集会についての今朝の新聞の扱いはまちまちだ。一番派手に大きく扱ったのは東京新聞である。”さよなら原発「17万人」集う”と大きなな写真入りで一面トップである。17万人とは主催者発表であって警視庁では約7万5千人とみている。次に大きいのは朝日新聞で社会面の左半分以上を使って”脱原発、怒りの炎天下”と見出しをつけ、さらに1面のコラム「天声人語」で集会に同調的なコメントを書いている。

怒りとは誰に対してなのか。日本人なら誰でも昨年の原発事故には、やりきれない怒りを抱いている。しかし、政府に対してかというと、人によって違うのではないのだろうか。わが国の現状をみると、原発を今すぐすべてストップしたらどのようになるのか。原発事故で今なお1万7千人の人が故郷へ帰れず避難している現実をみれば、心情的には反対だ。しかし、国全体を考えれば”さようなら”できないのである。

昨日の集会に似た集会があったのを想い出した。2007年10月沖縄の宜野湾市で催された戦争中の”集団自殺”をめぐる集会で朝日新聞が参加者11万人と誇大に報道した。この時も大江健三郎氏が関係している。このノーベル賞作家は、大局を見ることができない偏見の持ち主である。彼を取り巻くマスコミは朝日新聞であり、出版社は岩波書店である。反原発に名を借りた左翼の政治運動の匂いがするのは僕だけではないだろう。

           野田内閣はロンドン五輪に無関心?

2012-07-17 05:15:32 | Weblog
ロンドン五輪の開会式まで10日あまりに迫ったが、日本での盛り上がりは今一つだ。僕も関心が薄いが、これは加齢によるものだと思っていたが、電通総研の調査では、日本国内のロンドン五輪による経済効果は前回北京より3割減と推計されるそうだ。やはり、日本人全体の関心度は薄いみたいだ。

少し飛躍するかもしれないが、この原因の一つは政権与党のスポーツ政策にあるのではないか。民主党にはスポーツ議員連盟がない。あったのだが、先日の小沢一派の離党で、会長のた谷亮子参院議員と事務局長の友近聡朗参院議員の二人が去ってしまい、今は有名無実の存在だ。これでは五輪に対して無関心なのは当たり前だ。

野田総理が27日からの開会式にトンボ返りで出席する案が検討されているという。政治生命をかけた社会保障と消費増税の一体化法案の参院審議が大詰めに来ているからだという。しかし、どうだろうか。わが国は2020年に東京が立候補している。昨年、東京が2016年大会に負けたのは、国を挙げての開催への関心が薄かったからだといわれている。開会式だけ出席して”はい、さようなら”ではあまり意味がない。

ロンドン五輪には日本から選手役員含めて514人が参加するが、いつ結団式をやったのか判らない。ネットで調べると、韓国選手団のは出てきて、メダル10個を獲得すると意気込みが語られている。日本はただ参加するだけなのだろうか。大会になれば、国民は選手やチームの活躍に一喜一憂し、メダルの数は国民を元気づける。昨年の大震災のあと、とかく沈みがちな日本である。野田総理、国会審議の中断を野党に申し入れ、堂々とロンドンに出かけて、陣頭指揮で選手を応援し、同時に東京五輪招致運動を展開したらどうだろうか。

       トラジャ.コーヒ(kopi.Toraja)とルアク.コーヒ(Kopi.Luak)

2012-07-16 05:41:15 | Weblog
先週の土曜日、インドネシア関係のある会合で最近マカッサル(スラウェシ島)の旅行から帰国した知人からトラジャ.コーヒを頂戴した。トラジャ.コーヒと言えば、今では日本人のインドネシア土産の定番の一つだが、意外と”トラジャコーヒ”の名前が知れ渡った歴史は浅く、この半世紀ほどにすぎない。今では写真のようにしゃれた包装の土産品だが、ジャカルタ空港がまだ市内の中心、クマヨランにあった1960年代当時は売店でも売られていなかった。

トラジャはスラウェシ島中部の標高800mほどの山岳少数民族(Tana Traja)の名前である。20年前ほど前、僕もマカッサルから800㌔の道のりを車をチャーターして一日がかりで出かけ、首都ランテパオに二泊したことがある。独特の舟形の家に住み、洞窟の中にはタオタオという人形を供え、盛大な葬儀をすることで有名だ。偏狭な地なので、日本人の観光客の数はまだ少ないが欧米人の観光客は多い。日本では1973年に横浜の木村コーヒが店が、この地に現地の会社と合弁でコーヒ園を経営し”Key"コーヒのブランド名で売り出して以来その名前が知られるようになった。

インドネシアのコーヒと言えば、この数年ルアク.コーヒが静かなブームになっているという。コーヒの木の赤い実を好んで食べる野生のジャコウネコの糞から取り出したコーヒの実を清浄乾燥させ、焙煎したコーヒである。僕は幸か不幸かまだ飲んだことはないが、コーヒ通に言わせると、最高の香りと味だという。ジャワ島やスマトラ島が主産地だという。トラジャにジャコウネコが生息しているかどうか知らないが、やがてトラジャ産のルアク.コーヒも売り出されるかもしれない。日本でもすでにネットを中心に販売されているが、値段は100g数千円もして、ヤボな僕の口には入らない。
(Luak coffee beanes collected from civet cat's feces=kamus Indonesia Inggris)


          夢は戦前の房州の夏の海をかけめぐる

2012-07-15 06:31:46 | Weblog
昨夕、晩酌用の安焼酎を買いに駅前商店街へ出かけたら浴衣姿の少女が歩いている。東京はまだ梅雨明け宣言は出ていないが、早や新盆による盆踊りの季節なのである。後期高齢者になると季節感まで感度が鈍くなってくる。外出する機会も少なくなり、ただただ熱中症にかからないよう願って日中は家でじっとしていることが多い。そんな生活の中で、僕は戦前子供だった頃、毎年、親に連れらて出かけた房州(千葉県)の白砂の海水浴場が楽しく想い出される。

戦前、僕の父親は新聞社勤務のサラリーマンだったが、夏休み期間中の数日休暇をとって東京の中学(旧制)の臨海学校の水泳の監督をした。臨海学校は1週間程度だった記憶だが、海岸近くの学校の施設に宿泊して水の事故が起きないようライフガード兼水泳の指導に当たった。そんな関係で僕ら家族も当時すでにあった近くの漁師の家に民宿してお世話になった。

民宿という言葉はまだなかったが、長期の海水浴用に特別に造られた家があって、数家族が宿泊できた。僕が戦前最後にお世話になったのは昭和16年の夏で、この時は亡くなった姉と友人と僕の三人だけだった。当時、この民宿では寝具の用意はなく、東京の自宅から”チッキ”と呼ばれた国鉄(JR)のサービス制度を使って送った。子供だったので記憶が薄いが、食事も自炊だったのかもしれない。姉の作った”目玉焼き”が美味しかったことをまだ覚えている。

あれから70年、当時は岩井町と呼ばれていた海岸だが、今では南房総市と地名が変わった。ネットで調べると、僕がお世話になった民宿の名前がある。再訪するなら足腰がたつ今年あたりが最後かもしれない。しかし、あの白砂できれいだった遠浅の海はそのまま残っているのだろうか。キリギリスや鈴虫を追いかけた草むらはまだあるのだろうか。谷内六郎の絵に出てくるような葭簀かけの氷屋は健在なのだろうか。そう考えると、夢の中で楽しく想像していたほうがよいのかもしれない。

                 源実朝と集中豪雨

2012-07-14 05:46:02 | Weblog
九州地方の平均的梅雨明け宣言は7月13日だそうだが、今年はここへきて連日豪雨に見舞われ、土砂崩れや河川の氾濫などで各地で大きな被害がでている。まさに”時によりすぐれば民の嘆きなり、八大竜王雨やめ給え”(源実朝)である・八大竜王とはインドの半獣半蛇の神、Nagaだが、中国経由で日本に渡来、わが国ではその第一神が難陀と呼ばれ、雨や水をつかさどる竜神として崇められている。

鎌倉幕府の最後の将軍、源実朝(1192-1219年)は、百人一首にも選ばれた歌人だが、わずか27歳の若さで公暁によって鎌倉八幡宮の境内で暗殺されている。ところが調べて見ると、その短い人生なのに天災や地震が多発している。実朝が7歳、10歳、23歳の時に鎌倉には大地震があったという記録がある(震度や被害は不明)。また9歳の時には、東国は大暴風雨に見舞われ大被害がでている。前記の歌がこの時の暴風雨を歌ったかどうかは不明だが、八大竜王に願いを乞うほどの集中豪雨だったのだろう。

この時代は天災、地震、飢饉それによる疾病の流行などもあって政治も混乱していた。実朝の死の2年後に日蓮(1220-1282)が生まれているが、日蓮上人の時代には正嘉元年(1257年)にM7.5と推定される鎌倉大地震が発生、寺社民家が全壊して2万人が死亡している。また、この年から翌年にかけて2年間大飢饉に襲われ大きな被害がでている。さらには1272年には蒙古軍が襲来してきている。日蓮上人の説く立正安国論が多くの人々に受け入れられたのもうなずける。

翻って今の日本はどうだろうか?”国民の名を勝手に使って政局が一向に安定しない。それをいいことに日本の領域を外国船がウロチョロしている。危機管理は大丈夫なのだろうか。