「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             上井草球場 洲崎球場の想い出

2012-07-08 07:30:50 | Weblog
64年前に卒業した母校の野球応援に午後から府中球場に出かけた。バスと電車を乗り継いで1時間もかかるが、80老の仲間たちは皆元気である。5人も駆けつけ孫より幼い選手に応援を送ったが惜敗した。。僕らの中学(旧制)時代は戦後間もなくで野球の道具もなく球場難であった。昭和21年の復活第一回大会のの一回戦、わが母校はこの年東京地区で優勝した高師付属中学と当たり、大敗したが、会場は同校の砂利まじりの応援席もない運動場であった。

当時よく応援に駆け付けた球場の一つに上井草球場がある。今は杉並区の総合運動場になっているそうだが、戦後の昭和25年8月、プロ野球の4球団がこの球場に集まって変則ダブル,ヘッダーの試合が行われたことがる。後楽園球場が出来る前の昭和11年に出来た球場だったが、のどかな田舎の野球場であった。当時神宮球場は進駐軍に接収されていて、上井草球場は学生野球のメッカであった。

プロ野球の創世期、上井草と並んでよく使われ球場に洲崎球場がある。今は球場があった地に記念碑が建っているそうだが、ここは学生野球には使われなかった。おそらく球場の近くに遊郭があって教育上よくないという理由からであったのだろう。海に近いので、満汐になると外野が海水につかるとか、カニが出てくるとかいった伝説の球場であった。Wikipediaによると、いつまでこの球場があったのか書いていないが、戦後僕はこの球場で、かって国鉄スワローズの監督をした林義一氏(故人)のチームと草野球をした想い出がある。林氏が監督になる前だから1964年前だと思うがはっきりしない。

東京には上井草、洲崎のほかにも消えた球場としては東京スタジアム(荒川区)駒沢球場(世田谷区)がある。歴史を感じる。