NHKのニュースによると、トコジラミが東京、大阪など大都市のホテル、旅館を中心に復活しているという。僕らの世代にはトコジラミというより南京虫の名前で知られている。暫らくぶりで聞く懐かしい名前だが、困ったものの復活である。南京虫は昭和40年代には日本では絶滅されたと聞いていたが、最近欧米で増え始め、旅行者のバッグなどに潜んで日本に運びこまれてきた模様だ。
45年前、僕がジャカルタに在勤中、初めて覚えたインドネシア語の一つが”kutu busuk"(南京虫)であった。市内の一流映画館で「座頭市」を見にでかけたら、南京虫に手足を噛まれて見るどころではなかった。エアコンのなかったホテルのベッドの上にも南京虫が行列していた。否が応でも僕は”kutu busuk"という言葉を覚えた。
敗戦直後の東京の電車の駅では、進駐軍の命令により殺虫剤DDTの白い粉が乗客の頭の上から散布された。僕も体験しているが、それほど当時の日本では、南京虫を始めノミ、シラミ、ダニの類が跋扈していた。ハエや蚊もうようよしていて、どこの家庭でも蚊帳をつって寝ていたものだ。バリ島の高級ホテルでもエアコンはなく、高い天井につけられた大きな扇風機がゆっくりとまわり、その下の蚊帳の中で寝ていたことが想い出される。
南京虫に食われると、肌にいつまでも赤い跡が残って困った。最近、都会では南京虫どころか、蚊に刺されることもなくなってきた。まさか絶滅した南京虫が復活するとは思ってもいなかった。空港の検疫所でいちいち乗客に殺虫剤をかけるわけにはいかない。困った問題だ。
45年前、僕がジャカルタに在勤中、初めて覚えたインドネシア語の一つが”kutu busuk"(南京虫)であった。市内の一流映画館で「座頭市」を見にでかけたら、南京虫に手足を噛まれて見るどころではなかった。エアコンのなかったホテルのベッドの上にも南京虫が行列していた。否が応でも僕は”kutu busuk"という言葉を覚えた。
敗戦直後の東京の電車の駅では、進駐軍の命令により殺虫剤DDTの白い粉が乗客の頭の上から散布された。僕も体験しているが、それほど当時の日本では、南京虫を始めノミ、シラミ、ダニの類が跋扈していた。ハエや蚊もうようよしていて、どこの家庭でも蚊帳をつって寝ていたものだ。バリ島の高級ホテルでもエアコンはなく、高い天井につけられた大きな扇風機がゆっくりとまわり、その下の蚊帳の中で寝ていたことが想い出される。
南京虫に食われると、肌にいつまでも赤い跡が残って困った。最近、都会では南京虫どころか、蚊に刺されることもなくなってきた。まさか絶滅した南京虫が復活するとは思ってもいなかった。空港の検疫所でいちいち乗客に殺虫剤をかけるわけにはいかない。困った問題だ。