「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     雑草しげる落下傘部隊長の慰霊碑

2010-06-21 05:41:42 | Weblog
インドネシア・スラウエシ島のメナド(Manado)の市民墓地の一角にわが国
最初の落下傘部隊の堀内豊秋中佐を慰霊して現地の人たちが建てた碑「霊
魂」=Rei kon=があるが、最近この墓地を訪れた在留邦人によると、雑草が
生い茂って慰霊碑まで近ずけず参拝出来なかったとのことだ。

この慰霊碑は10数年前、堀内隊長(戦後の連合軍裁判で刑死)の生前の遺
徳を偲んで現地の人たちの好意で建てられた。平成15年、海上自衛隊艦隊が
メナドを親善訪問したさい、隊員たちがここを訪れ参詣している。しかし、日常
的に誰が碑を管理しているのかはっきりしない。平成13年12月、僕が訪れた時
も荒れ放題で知り合いのインドネシア人に雑草を刈り取るよう依頼して帰国した。

堀内隊長のご遺族も慰霊碑の現状は把握されているが、あくまで碑は現地人の
好意によって建てられたものなので、それ以上のことは言えない。現地の在留邦
人も荒れ方に心を痛めているが、今のところ、建立者との連絡がつかないようだ。

戦争の慰霊碑については同じような似たケースが各地で出てきている。厚生労働
省の慰霊碑についての基本的な考え方は、建立者、所有者を確認し、同意があれ
ば撤去する方針のようだが、果たしてこれでよいのかどうか。僕ら多少なりとも戦争
を体験している世代にとっては抵抗がある。難しい問題である。 

          日系オランダ人の悲劇

2010-06-20 05:37:45 | Weblog
サッカーにあまり関心がない僕も昨夜は人並にテレビで”サムライ日本”を応援した
が、善戦むなしく敗退した。オランダは徳川300年、長い鎖国の日本にあって唯一、
わが国と交流のあった国だが、今の日本人はこの国について知らない。まして、さき
の戦争で先に宣戦布告してきた敵国であったことなど知る人は少ない。

昨日、僕は知人の誘いで明治神宮外苑で開かれた”日系オランダ人”の会に顔を出
した。”日系オランダ人”とは、日本軍の占領下のインドネシアで日本軍の軍人や軍
属とオランダ系原住民との間に生まれた混血で、戦後、インドネシア政府によって
オランダに”追放”された人たちである。その数は推定で1000人は越えているという。

彼らはオランダ国内で、自分たちの出自、日本人の父親探しを求めて活動しているが、
戦後65年も経ち、しかもプライバシーにかかわる問題だけに思うように進んでいない。大
阪居住の内山馨さん(86)が、まったくボランテイアとして彼らの父親探しの受け皿と
なり、この15年に75件の依頼を受けたが、成功した例は少ない。

戦争は惨めである。彼らにはまったく罪はなく深く同情する。しかし、彼らの父親は無責
任で”さむらい”の行為ではない。戦後の混乱期、同じような境遇にあった人たちでも現
地人の妻子を連れて日本に帰国した人を僕は沢山しっている。ジャカルタで最古の日本
料理店の経営者の菊池さんもそうだし、東京のインドネシア料理店”せでるはな”の経営
者であった田中さんもそうである。

65年という歳月はあまりにも彼らには重過ぎる。しかし彼らの探している父親がまだ存命
ならば、今からでも遅くない。名乗り上げてもらいたい。





     後期高齢者 民主党の公約に騙されるな

2010-06-19 05:29:08 | Weblog
民主党と自民党の参院用のマニフェストが出揃った。マニフェストという言葉自体
民主党の約束破りで、信頼できない「代名詞」みたいになってしまったきらいもあ
るが、相変わらず民主党はこの年寄り騙しの「後期高齢者医療」にこだわってい
る。が、果たして、この制度を廃止したからといって、年寄りが期待しているような
バラ色の制度ができるのであろうか。後期高齢者よ騙されるな。

昨年8月の衆院選の民主党のマニフェストは「後期高齢者医療制度」の即時廃止を
うたっていた。鳩山由起夫代表(当時)が東京巣鴨の”おばあちゃんの原宿”通りに
立って”後期高齢者医療制度は年寄りいじめ””現代版うば捨て山を許すな”と訴え
ていたが、政権についたとたん、マニフェストなどどこ吹く風。何故廃止できないのか
の説明もない。

参院選用のマニフェストでは”後期高齢者制度は廃止し、2013年から新しい高齢者
医療をスタートさせる”にすりかわっている。即時廃止といっていたのが、3年も待てと
いい、新しい医療制度がどんなものか、はっきりさせていない。

後期高齢者の医療だけではない。今の日本の医療制度全体が破綻の危機にあるこ
とは、後期高齢者の僕でもよく承知している。僕の場合は”現役なみ”と認定され3割
自己負担をしているが、医療保険事務所からの通知をみると、かかった医療費の総額
は大変な額だ。これでは後期高齢者医療制度を廃止して、それに変わる制度ができて
も後期高齢者が期待するような制度ができるわけがない。民主党は老人を騙すな。

       大相撲 名古屋場所を開くつもりか

2010-06-18 05:23:36 | Weblog
相撲協会はいったいどうなっているのか。暴力団員に観覧券が渡っていた問題で親方
2人が関与が明かになったばかりなのに、今度は大関琴光喜や人気力士、豊ノ島が野
球賭博に手をだし、さらには力士を指導する立場の大獄親方(元貴闘力)や時津風親方
(時津海)まで手を染めていた。相撲協会の武蔵川理事長は”徹底的にウミをだす”と
いっているが、琴光喜の休場だけでお茶をにごし名古屋場所を開くつもりなのだろうか。

78年前の昭和8年春場所(1月)前「春秋園事件」というのがあった。力士の待遇、協会の
体質改善を要求して関脇天龍ら48人が東京大井町の中華料理店に集まり、協会を脱退し
た。協会はこれら力士を除名し、取締り3人が辞任した。脱退した力士は「関西相撲協会」
を結成して関西で興行したが、経営が行き詰まり5年後「相撲協会」へ復帰したが、脱退
力士は降格された。

「春秋園事件」から数年間、大相撲は”冬”の時代で、協会の経営は大変だった。年2場所
だったこともあるが、僕が住んでいた東京の五反田でも花相撲があったし、本場所前には
触れ太皷が歩いてまわったものだった。昭和11年春場所、双葉山の69連勝が始まり話題に
なるまで両国の鉄傘下の昔の国技館は”満員御礼”の日は少なかった。

今の相撲協会は恵まれている。文部省青年スポーツ局管下の財団法人として財政上の恩恵
を受けている。昔と違って年6場所あって、地方巡業する必要もない。武蔵川理事長が本当に
”ウミを出す”つもりなら、名古屋場所を前に関係者を厳罰に処し、名前を公表して力士を土俵
に上らせてはいけない。出来れば興行を中止すべきである。

       景気上昇?わが家の周りの新築ブーム

2010-06-17 05:10:30 | Weblog
今、わが家の周りは昔の古家が壊され、新築ブームである。昨日も近所の昭和12年
に建てられた築73年の古家がついに解体された。この家は僕が昭和20年3月、強制
疎開でこの地に来た時にはすでにあった。解体工事の若い人に”昭和12年の建築だ
よ”と声をかけると”戦争前の建物ですか”と目を丸くして驚いていた。ものすごいホ
コリだったという。

後期高齢者の年金生活者は、景気の動向に鈍感だが、この新築ブームをみると、一部
の富裕層なのだろうが、景気は上昇しているようにもみえる。新聞を読むと都心のマンシ
ョン売れ行きもよいという。5月の販売戸数は3779戸で、前年同月比で7・1%の増。前月
同月比を上回るのは、ここ4か月連続だとのこと。

好調の原因は次の二つの理由だと新聞は解説していた。(1)昨年12月の政府補正予算
で住宅金融支援機構(旧住宅金融公社)の住宅ローン金利が引き下げになったこと(2)
税制改正で住宅購入の際、親から援助を受ける贈与税の非課税率が500万円から1500
万円に引き上げられたこと。

僕が住む住宅街は昭和10年代はじめに開発されたが、ほとんどの持ち家は土地を地主か
ら借りて建てたものだ。この半世紀以上の間に、ほとんどの家が地主との話合いで改築の
の際、借りていた広い土地を地主に返し、代償として狭い土地を地主から貰い改築している。
わが家もそうだが、地主との話し合いがこじれた家がここにきて解体されている。

時代の流れで仕方がないが、70年も経過した古家には歴史があり、ありふれた一般民家で
もあと数百年も経つと歴史遺産になるかもしれないが。(写真は空地になった土地とまだ残る
古家)

        インドネシア人からの温かい義金

2010-06-16 05:09:02 | Weblog
何故か昔の同僚のうち3人が仏籍に入っている。その1人から”今どき珍しい温かい
話だ”と産経新聞の記事(5月29日付首都圏版)を紹介した「南の国から一陣の涼風」
という、ある業界誌に書いた自分の記事を送ってきた。これを読んで僕も感激したの
で、さらに小ブログでも紹介させて頂く。

産経新聞の記事の大筋はこうだ。40年ほど前、インドネシアへ医療援助にきた日本
のドクター・チームの一員の紹介で、当時6歳だった貧しい心臓病の少年が産経新聞
が後援している子どもの心臓病治療支援基金の「明美ちゃん基金」の適用ができた。
少年は外国人患者第一号として心臓病の権威、榊原什教授の執刀で手術に成功した。

それから37年の歳月が流れ、少年は45歳となり、その後米国に留学したりして今はイ
ンドネシアで実業家として成功している。その彼が先月、昔手術でお世話になっ先生の
1人、今村昌耕医師(92)=結核予防会=を訪ねて来日した。そして「明美ちゃん基金」
の産経新聞を表敬訪問し”貧乏だった私が元気なのは、日本人の善意のお陰です。同じ
境遇の患者に役立てて下だい”と袋に入った2万ドル(約180万円)を基金に寄託した。

僕の友人の記事は次のように結んでいる。「恩義を忘れたかのような心の荒んだ日本人
に警鐘を鳴らされた思いがある、さわやかな南からの一陣の涼風である」。僕も同じ思い
である。

    公共交通施設の老人向けバリアフリー化   

2010-06-15 05:34:13 | Weblog
閉じこもり老人が多くなり、社会的な問題になっているが、その一つの原因は公共
交通機関施設の老人向けバリアフリー化が、まだ不十分であるからだ。幸い僕は
まだ外出できるが、最近、足腰が弱り若い時のように早く歩けなくなってきた。さら
に困るのは公共交通施設の中には、高齢者にとって意外とバリアーが多く、苦痛な
事を発見した。年寄りの視線がかけているからだ。

東京都では65歳以上の高齢者には、都内を走るバスと地下鉄に限り年間1千円で
「シルバー・パス」を発行してくれている。お陰で僕ら夫婦も若干時間がかかる不便
はあるがこれを利用しているが、問題は都営地下鉄の老人向けバリアが多いことだ。
都営地下鉄は東京メトロ路線に比べて、改札口が地下深いのにほとんどの駅で、地
上から改札口までエレベーターも降りのエスカレーターもない。

先日も浅草線の蔵前駅から大江戸線の蔵前駅に乗り換えたが、一度地上に出なけ
ればならない。それは仕方がないにしても改札口までの降りのエスカレーターがない。
これは足腰の弱った年寄りでなければ解らない。手すりに掴って50段近くの階段を降
りたが大変な苦痛だった。

若い人の視点からみれば、階段の上り下りのうち登りの方がきついだろうと、エスカレ
ーも登りだけ設置したのだろうが、実際は降りの方がきつい。公共交通機関だけでなく
高齢者用の各種サービスも高齢者からの視点が足りないように感じる。石原慎太郎都
知事も後期高齢者の仲間入りしたようだ。時間があったら都営地下鉄の高齢者バリア
の実態を視察して頂きたい。

           長州「奇兵隊」と会津藩

2010-06-14 05:50:57 | Weblog
菅直人・総理が生まれ故郷の山口県宇部市で新内閣は”奇兵隊”だと言っていた。
へそ曲がりの僕は、あえて菅総理に忠告するが、長州で”奇兵隊”発言はしても構
わないが、昔、幕末期、薩長軍と戦った会津藩などの地では、あまり”奇兵隊””奇
兵隊”と得意になっていわないほうがよい。

菅総理は先日の新内閣発足時の記者会見で内閣の特徴を一言でいえば”奇兵隊”
だと言った。これは新内閣の閣僚が世襲の政治家だけでなく自分のような”草の根”
政治家もいる、と強調したかったのだろう。

”奇兵隊”というのは幕末の長州藩の志士、高杉晋作が組織した下級藩士や武士以
外の庶民も参加した部隊のこと。”奇兵隊”は幕末時各地の戦争で活躍、会津戦争で
も「官軍」の一翼として勝利している。

40年も昔、僕は郡山の民放に勤務、会津若松にたびたび出張したが、その頃だったと
思うが、会津若松の青年商工会議所(JC)が山口市JCからの友好交流申し入れを
きっぱり断ったことが話題になっていた。確かに当時、僕も郡山の土地の人からよく言
われたものだ。”会津では関西弁は使うな”と。幸い僕の先祖は幕臣だったが。

民主党の長老,渡部恒三先生は会津弁を使うが、会津のお城がある若松の出身ではな
い。それだからか”新内閣は100点満点だ”といっているが、会津戦争で長州の奇兵隊
に蹂躙された白虎隊など子孫の中には菅総理のたび重なる”奇兵隊”発言を快く思って
いない人もいるかもしれない。

         後期高齢者ないがしろ内閣

2010-06-13 05:47:20 | Weblog
菅直人総理の先日の所信表明演説を聞いたが、あれほど民主党が昨年の総選挙で強く
僕らに約束していた「後期高齢者医療制度」の即時撤廃については一言も触れていなか
った。「強い社会保障」の実現を訴えながら老人への医療、介護、年金については、何も
述べていない。それほど選挙の票にはならないから、ないがしろにしたのかもしれない。

鳩山前総理は、口では”友愛””新しい公共”などと言いながら「後期高齢者医療制度」に
ついては、いつのまにか政権公約を引っ込め”老人医療制度の改定には調査だけで2年
はかかる”と言い始めている。即時撤廃といっておきながら、まったく老人だましだ。

老人だましだけではない。民主党が看板公約だった「子ども手当」も長妻厚労相によれば、
来年度からの月額26000円支給は非常に難しいそうで、事実上実施は出来なくなった。母
親までだましている。「羊頭狗肉」とは店先に羊の頭を掲げながら、実際は狗肉(イヌの肉)
を売るインチキ商売のことだが、民主党の「後期高齢者医療制度」の即時撤廃公約は「羊
頭無肉」である。

「鳩山・小沢ダブル辞任」効果で支持率が上昇したが、民主党の「羊頭狗肉」の体質が変わ
ったわけではない。強い財政を追及としながら、依然として「子ども手当て」とか「高校無料
化」といった矛盾した政策にこだわっている。後期高齢者の僕には「最小不幸社会」が何な
のか理解できない。










       「児童労働反対世界デー」に想う

2010-06-12 06:44:25 | Weblog
先日、孫が自分の体型にあわないといってTシャツをくれた。シャツには「Stop
Child Labour July 12」と印刷してある。知らなかったが、今日、6月12日は20
02年に國際労働機関が制定した「児童労働反対世界デー」で,孫からのプレゼ
ントのシャツは、この運動協力団体のグッズであった。

早速、協力団体、児童労働ネットワークのhpを調べてみると、世界には現在2
億人もの子どもが貧困から強制的な労働を強いられている。とくに多いのが今、
サッカーW杯が開かれているアフリカ大陸で、3人に1人が働かされている。

日本でも明治から昭和の初期までは尋常小学校6年の義務教育を卒業すると、
ねえやは、小守に出されたり、商家にデッチに出されて働かされていた子ども
が多かった。早く父親に逝かれた僕の従弟も、親戚の米屋で小僧として働いて
いたのを覚えている。

戦争末期の昭和20年6月、中学3年だった僕は親元を離れ、敵の本土上陸に備
えて千葉県の利根運河の江戸川河口で浚渫工事に動員された。毎日、朝早く
からモッコを担がされ、裸足で重いドロを土手の上まで運ぶ作業であった。孟宗
竹の食器に僅かなご飯とニラの味噌汁にラッキョウのオカズ。食べ盛りの僕らは
農家の畑から人参を盗んで食べたりした。

戦争という極限下での児童労働虐待であった。アフリカの国々の中には依然内戦
で、大勢の子どもたちが犠牲となり、貧困から強制的に労働に従事している。