過激派学生組織「連合赤軍」が昭和47年(1972年)2月17日、軽井沢の民間保養組織「あさま山荘」に人質をとって立てこもり10日間も警察と対峙した事件から半世紀たつ。この年はわが国にとって沖縄が返還され、中国との間の外交が再開された記念すべき年であったし、田中角栄首相が列島改造に乗り出した節目の年でもあった。世界的にもニクソン大統領が米国の大統領として初めて中国を訪問した年、一方ではベトナム戦争では北爆(北ベトナム空爆)が再開、戦争が激化し始めた。
このお激変の年なのに何故か老生にはあまり「あさま山荘事件」の記憶がない。個人的なことになるが、老生は4月1日、開局する札北海道の民間テレビの試験放送にそなえて札幌冬季五輪にも立ち会っていた。札幌五輪が終わったのは13日だったが、一息つく暇もなかった。「あさま山荘事件」は仕事先でテレビの画面を見るだけだった。個人的にも東京から転勤、引っ越してくる家族の家探しに飛び回っていた。
振り返ってみると、この時代はベトナム戦争を背景に70年日米安保条約改定もあって政治の季節であった。特に学生運動は70年1月の東大安田講堂事件を初め新宿駅東口デモなどヘルメットとゲバ棒の時代であった。が、老生にとっては70年に新聞社からテレビ局に転職、72年に二度目の転勤、転職と人生多忙を極めた。政治に関心を持つにはとりすぎていた、