大正から戦前昭和にかけて2月11日は「紀元節」と呼ばれ、新年、天長節、明治節とともに国の四大祝日であった。戦後進駐軍によって「建国記念の日」と名前を替えられたが、老生らの世代にとっては祝日歌「紀元節」とともに楽しい思い出がある。
▽ 紀元節 (高崎御風作詞 伊沢修二作曲)
雲にそびゆる高千穂の高根おろしの草も木も
なびきふしけん大御代を仰ぐ今日こそ楽しけれ
紀元節に学校は授業はなく、講堂でお祝いの式があった。ご真影が式場に運ばれ君が代斉唱のあと祝日歌が皆で歌われた。校長先生から初代の神武天皇が高千穂の峰に降下された話や八千のカガミの話などが面白おかしく語られた。そして最後にお祝いの紅白の饅頭が配られた。
昭和15年は日本の皇紀によると、区切りの2600年だった。この年11月には東京で国をあげて”金鵄耀く日本の栄えある光”と祝日大式典を祝い花電車まで出た。あの時代、社会一般では西暦など使わなかった。仏教は大陸から一二一二とあるいて伝来してきたと記憶させられた。ちなみに今年は皇紀2682年である。
。