江戸時代には目黒川沿いの貧村にすぎなかった東京五反田の天台宗の古刹に当時の庶民信仰の対象だった地蔵菩薩像が二つ残っている。昨日母方の本家の13回忌に参席した「長命山地蔵院徳蔵寺」(東京都品川区西五反田)の境内にその二つがあった。
その一つは「塩地蔵尊」と呼ばれる、高さ1mほどの立像で,貞亨4年(1687年)竜雲院一峰義天居士の菩提をともらうために安置されたもの。言い伝えによると、塩地蔵に供えられた塩を少量持ち帰って風呂に入れると、諸病に効験があるとされ、特に眼病に霊験あらたかだったという。
もう一つは「三輪地蔵尊」で、三代将軍綱吉に仕えた大奥の老女、三輪が元文3年(1738年)に寄贈されたもので、右の膝を折り、左脚を下に下ろした珍しい石像。虫歯の痛みをとる霊験があるとされているが、もしかすると、膝の痛みにも効き目があったのかもしれない。
徳蔵寺は天正年間(1573年―91年)梁誉道元によって今の地に草創された古刹だが、明治時代に国鉄(JR)が近くを走り、戦後は高速道路が上を通って建物もコンクリート造りの近代的建物にさま変わりしたが、直接戦災には会わなかった。
徳蔵寺の周囲は今や高層のビル街になっているが、母方の本家のビル前には、江戸時代の庚申塔が、関東大震災や戦災にも関わらず残り、毎日、供花がたえない。
その一つは「塩地蔵尊」と呼ばれる、高さ1mほどの立像で,貞亨4年(1687年)竜雲院一峰義天居士の菩提をともらうために安置されたもの。言い伝えによると、塩地蔵に供えられた塩を少量持ち帰って風呂に入れると、諸病に効験があるとされ、特に眼病に霊験あらたかだったという。
もう一つは「三輪地蔵尊」で、三代将軍綱吉に仕えた大奥の老女、三輪が元文3年(1738年)に寄贈されたもので、右の膝を折り、左脚を下に下ろした珍しい石像。虫歯の痛みをとる霊験があるとされているが、もしかすると、膝の痛みにも効き目があったのかもしれない。
徳蔵寺は天正年間(1573年―91年)梁誉道元によって今の地に草創された古刹だが、明治時代に国鉄(JR)が近くを走り、戦後は高速道路が上を通って建物もコンクリート造りの近代的建物にさま変わりしたが、直接戦災には会わなかった。
徳蔵寺の周囲は今や高層のビル街になっているが、母方の本家のビル前には、江戸時代の庚申塔が、関東大震災や戦災にも関わらず残り、毎日、供花がたえない。